第十五話 ソフィア・クアラルン
ソフィアがセイファート家にやって来た日、特待生ソフィアは学校からその存在が消えた。
名目は一身上の都合による自主退学だ。理由は濁してはいるが、もしも詳しく聞かれた時の答えももちろんある。本当の両親が隣国で見つかったから、ソフィアはそこへ向かったと、そう答える手筈になっている。
本当のソフィアは我がセイファート家にいるわけだが。学校から帰ってきた私は早速ソフィアの下へと向かう。今彼女は貴族としての振舞いを学習中であった。
「ソフィア、調子はどう?」
「お陰様で充実していますよ。セイファート家の家庭教師の方々は素晴らしいですね」
「ふふ、なかなかに余裕がありそうね。流石だわ」
ソフィアはウキウキであったが、別に情けをかけて緩くしているわけじゃない。むしろ私としては、スパルタと言っても良いくらいにぎちぎちに詰めている。
何故なら私とアルベルトがソフィアをお披露目すると決めたのは今から一年後、卒業式の一ヶ月前と決めている。そこで王家主催のダンスパーティーを行い、ソフィアをクアラルン公爵家の末裔と紹介し、婚約者の変更を発表するのだ。
無謀とも言える強硬スケジュール、それでも私に迷いはなかった。
私はソフィアを信じていたから。
「取りこぼしがないか後で確認させてもらうからね。私達は急いではいるけれど、だからと言ってただの付け焼き刃は許されないわ」
「ええ、分かってます」
貴族の勉強を終えたら、すぐに実践に入る。その内容はひとえに貴族として日常生活を送ってもらうに尽きる。体に染み込ませるにはそれが一番の近道ゆえに。
平民と貴族では歩き方ひとつだけでもかなり違う。マリアンヌ院長が元貴族だからか、ソフィアは平民にしてはその所作は洗練されているが、それでも足りているとは言い難い。ソフィアの心の美しさは誰にも負けないと思っているが、人々はまず形を見る。故にソフィアには頑張ってもらわなければならなかった。
「ソフィア、口元が汚れているわよ」
「っ! 申し訳ありません」
日常であるからには、それこそ本来安らぎの場である食事中にも厳しく見られる。食事は楽しいからこそ油断しやすい部分であった。
またメイド長のナンシーやロイドなどはソフィアと同じ平民であるが、世話焼きの二人には我慢してもらい、最低限の接触のみにしてもらっていた。これからソフィアは貴族になるのだから、平民との距離感が近すぎると困るのだ。
人をうまく動かすには飴と鞭と言うが、こうした日常が鞭だとすれば、飴としては私の両親がいた。さすが私の両親と言おうか、父と母はソフィアの事を直ぐに気に入った。
普段厳しい分、私の両親はソフィアを甘やかした。母に膝枕されて硬直しているソフィアは絵に残したい程の傑作だった。
ただ兄までもがソフィアを気に入った事だけは看破できない。ソフィアは私とアルベルトのものなのだから。お兄様には婚約者いるのだから、少しは遠慮してほしい。お義姉様に刺されても知らないわよ?
「やあ、ソフィア」
「アルベルト様」
夜の食事が終わってからもソフィアの訓練は続く。最後の仕上げはダンスの特訓だ。普段は私が男性パートを踊ってるのだが、こうしてアルベルトも時間を見てはお忍びでやってくる。その際はアルベルトこそがソフィアのダンスパートナーだ。
「アルベルト顔がニヤけてるわよ?」
「仮面被るのは得意のはずだったのだが、どーにもこうして名前で呼べるようになったら、な」
ソフィア嬢かソフィア、敬称付きか呼び捨てか、たったそれだけの違いであるがその差は大きい。
後になってソフィアから聞いたのだが、私がソフィアに王妃の座を勧めた後、アルベルトからも呼び出しがあり、告白されたらしい。それはそれは情熱的な告白だったそうで、
呼び捨てになったのはそこかららしい。
嬉しそうに頬を染めるソフィアと、その件については聞くなと恥ずかしがるアルベルトは実に対局的であった。十中八九アルベルトは泣いたのだろう。目が赤くなっていた日があったので告白したのはその日に違いない。聞いてもはぐらかしてきたが、そもそもソフィアは私の屋敷にいるのだ。隠し通せるわけもない。
そんな訳で無事ソフィアに想いを受け取ってもらったアルベルトはずっとニコニコしている。それこそ学校でもふやけているので、私が叱りつけるほどだ。
「でも、良かったわ」
自然と笑えるようになったアルベルトを見て素直にそう言える。アルベルトは後の王ではあるが、彼もまた人間だ。彼が彼らしくあれる場所があるからこそ、アルベルトは王の仮面を被る事が出来る。私はそう思った。
「さあ、ソフィア。私と踊ったところをアルベルトとやって見せて」
「うまく出来るか分かりませんが分かりました」
「別にアルベルトの足を踏んづけても構わないわよ。アルベルトはそれすらも喜ぶだろうから」
「いやいや、流石にそれはない! ……多分な」
そこで多分を足すとは分かっているわね、我が半身。ソフィアはくすくす笑っている。これでソフィアは程良く緊張が途切れた状態になる。頃合いね。
「さ、行くわよ。エル、伴奏を頼むわ。私が主旋律を奏でるから。フレデリックは二人を見ていてちょうだい」
屋敷ではソフィアの教育にべったりであるが、学校では一転して私とアルベルトは根回しに奔走する。ソフィアを受け入れてくれる土台を作る。これも私達の仕事であった。表向きは特待生達の視察をしつつ、その後の時間を使って計画を進める。
そんな日々を過ごしていたある日、アルベルトは言った。
「父上と母上は認めてくれたよ」
「そう」
私は頷くだけで深くは聞かなかった。国王陛下と王妃様には私もお世話になった。私が王妃になるのを期待してくれてもいただろう。
でもと私は頭を振る。私が選ばれたのは王妃としての適性があったからではない。何よりも高位貴族の中で唯一他所の血が混じっていたから選ばれたに過ぎない。
今の王族は資質よりも何より血を絶やさない事の方が大事なのである。ともなると子孫を残すという意味においては、私よりもより血が遠いソフィアの方が適任であるのは道理であった。
選ばれた理由故に反対出来ないのは皮肉という他ない。陛下と王妃様は反対こそしなかったが、それはきっと本心ではない。私達が選んだ道はあまりにも危険だからだ。
「でもソフィアならきっと」
「ああ、私は決して父上と母上を悲しませない。ソフィアとナタリア、君達と共に国を正しく導いてみせよう」
「ええ、今はすれ違っていても最後に纏まれば私たちの勝ちよ」
しかしアルベルトも頼もしくなったもので、私は誇らしい気持ちになってくる。ふっきれたアルベルトは今まで燻って止まっていた時間を取り返そうと、獅子奮迅の活躍っぷりだ。
長年連れ添ってきた私でも初めて見る姿である。私はその勢いのまま私達が超えるべきもう一つの方に触れる。
「ところで公爵家の方はどうなの?」
「思いの外反対は少なかったよ。クアラルンの名を使う事には渋い顔されたけどね」
私は一瞬驚くも、納得する。
「公爵家の面々もそれだけ危機感を感じていたのね」
「血族が弱っていっているのははっきりしていたのに、責任でがんじがらめになっていたからな」
このままでは公爵家を維持出来ない、誰も口にこそしなかったが、そのレベルまで行っていたのだろう。しかしながら血を薄くしたから健康な子が生まれたというケースは我がセイファート家以外はない。成功例が一つだけでは躊躇するのも当然の事だ。
「でも私達にとってはこの状況こそが好機」
「ああ、ナタリアが言った通り、私達には運がある」
同じ事が二回もあれば100ではないにしろ、その信憑性は格段に高くなる。
血を薄くする実験を王族が率先してやってくれるのは、公爵家の人達にとってまさに渡りに船だった事は想像に難くない。この濃い血の事情が無かったら、ソフィアを王妃にする事は無理であっただろう。運が味方しているというのは、私達にとってどうしようもなく頼もしかった。
「ナタリアの方はどうなっている? 司祭殿の方は?」
「引き受けてくださったわ」
「そんなにすぐに? ……何か秘策でもあったのか?」
アルベルトが不審がるのも無理はない。司祭は品行方正で偽証は許さない体裁を取っている。だから私達が公爵家の血族を偽装するのは許されないはす。
しかしだ。
「私達の始まりこそが嘘から始まってるのだもの。今の貴族達の体の弱さの一端は教会にもあるわ。変わらなければならないと感じていたのは教会も一緒だったのよ」
アルベルトは知らないが、私の両親が結婚する際、誰よりも反対したのは教会だった。しかし兄が生まれた時、兄に洗礼を与えた司祭様はその健康な姿を見て号泣したと言う。
それを知っているからこそ、私は嘘偽りなく司祭様に私たちの事情を話した。司祭様は教えを守る事は大事としつつも、時代に合わせていく大切さも説いた。そして私に言ってくれたのだ。
やりましょう、と。
私達の計画は順調に進んでいる。危機感による後押しは思いのほか強烈であった。どこかリラックスした様子でアルベルトは冷めた紅茶を手にする。油断は決して出来ないが、問題は起きない事に越した事はない。
一通りお互いの進展を話し合った後、私はアルベルトにソフィアにとって重要となる儀式の予定を告げた。
「洗礼の儀は三日後よ」
「という事はいよいよか」
「ソフィアには今夜話すわ」
私達の間に緊張の糸が走った。表情が消えたアルベルトは呟いた。
「私達の秘密を知ったらソフィアは今度こそ後戻り出来ないな」
「今さらでしょう? あの子はもうセイファート家に来てしまったのだから。それとも心配? 知られてしまう事が」
「いや、心配というよりかはこれはそうだな……喜びかもしれない。やっとソフィアに全てを話せるという。恐れる必要は何もない。そうだろう? だってあの子は私達が何者であっても受け入れてくれるのだから」
確信を持って言うアルベルトの表情は喜びに満ちていた。
「分かってるじゃない。だから私達はあの子に対して命を賭けられるの」
私達にとってソフィアにはそれだけの価値があるのだ。
「予定あけときなさいよ? ソフィアがクアラルン家になる瞬間を見ないなんて許さないわ」
「仮に空から槍が降ったとて向かうさ」
言葉は冗談っぽくてもアルベルトの顔はどこまでも本気だった。
そして三日後の朝、その時は訪れた。
「ソフィアよ。こちらへ」
司祭様からの呼び出しがあると、ソフィアは少しの間目を閉じた。私とアルベルトは彼女の肩に手を置く。言葉はなかった。
「はい」
ソフィアは目を開けると一歩ずつ、その瞬間をかみしめるようにゆっくり壇上へと進んでいく。私達は、ソフィアの背中を見守った。
後ろには私の両親、そしてエルとフレデリックもいた。数にしてたった六人、この六人こそがソフィアの洗礼の儀式の見届人であった。司祭様はソフィアに全てを見通す厳格な視線を向けたが、ソフィアはしっかりと受け止め、司祭様から目を反らさなかった。
「そなたは亡きクアラルン公爵家の末裔であると言う。その事に偽りはないか?」
「ありません」
「ではそなたは今後、クアラルン公爵家としてその責務をまっとうする覚悟を持っているか?」
「あります」
ソフィアは二つに質問について堂々と答える。嘘か本当かは関係ない。司祭様が問うのは一つ。貫き通す意志の強さだ。
「最後に問う。そなたはクアラルン公爵家の者となって何を目指す?」
最後に必要なのは単純なはい、いいえではない。それでもソフィアの答えは明白であった。
「私は国を守る一員となり、また国を守る人の心の支えになります」
「ソフィア……」
「ふふ、あの子ったら」
ソフィアの言葉に私とアルベルトの心が温かくなる。私達の心はソフィアが守ってくれる。だからこそ私達は本気で国を守ろうと思えるのだ。
「そうか。ならばその言葉が偽りにならないよう励むがよい。神は何時だってそなたを見ている」
「分かりました」
ソフィアの覚悟を見届け、司祭様は空に向けて宣言する。
「ソフィア・クアラルンに祝福あれ!」
司祭様が杖を掲げると光がソフィアを包んだ。すると彼女の髪が見る見るうちに白銀に染まっていき、その瞳は深い紅になっていった。これこそがクアラルン公爵家の色である。
「……何と美しい」
アルベルトが呆然と呟いていたが、私も同感であった。その神秘的な美しさに思わず吸い込まれそうになる。私はこの時巡り合わせの妙を感じた。ソフィアとクアラルン公爵家がこうして時を経て結びついたのは運命なのかもしれないと。
「クアラルンの色はソフィアを受け入れた。神は今この時を持って、そなたをクアラルン公爵家の末裔である事を認めよう」
こうしてソフィア・クアラルンは静かに誕生した。
とうとうソフィアが覚醒しました!




