第十二話 我儘であれ
孤児院の中は温かさで満ち溢れていた。これをどう説明したらいいのだろう? まず私が目にしたのは畳んだ洗濯物や散らかった子供達の玩具だ。その二つは混じらないようにしているのか、随分と距離が開いている。床にラインが引かれている事からどうやら区分けみたいなのがされているらしい。
本棚には子供向けの絵本から教材まで並べられており、壁には子供達が描いたのだろうか? 様々な絵が飾られている。上手いとは言い難いが、どこか微笑ましくて不思議と笑みが出る。
別にそれらを私は見た事がある。だが貴族の場合は全て別の部屋だ。洗濯部屋も、遊戯室も、図書室も、全部別れている。だからこうして一つの部屋に揃っている光景は何とも不思議であった。
大きな広間を抜けると来賓室のような場所に通される。先ほどとは打って変わってどこか落ち着くスペースだ。私は院長に促されて席へと着いた。私が着席したのを確認して院長もまた自分の椅子へと腰掛ける。
「子供達が騒がしくて驚いたでしょう?」
「いいえ、ちょっと戸惑いましたけど、それでもソフィアを手伝おうとしていたし、良い子たちだと思います。」
「ふふ、貴族の人達は子供の世話なんて嫌がる人多いのだけど、流石はソフィアが連れてきた子ね」
穏やかな笑みを浮かべる院長を見ていると何とも調子が狂う。どうして私はこの人に苦手意識を持っているのだろう? まだ会ったばかりのはずなのに。
「さて、何を話せばいいのかしらね。きっとあなたが来たいと言ったのではなく、あの子から誘ったのでしょう?」
「ソフィアの事よくご存じで。その通りです」
「そりゃ小さい頃からあの子の面倒を見てたからね。良い子だけどやりたい事が見つかったら猪突猛進。それがあの子よ」
「ふふ、分かります」
このままソフィアの幼い頃の話を聞きたくなる衝動に駆られるが、それよりも私には聞かなければならない事があった。
「どうして貴女がこの孤児院に来たのか聞いても?」
「かまわないわよ。大した面白い話でもないのだけど」
そう前置きをして院長は話し始めた。ブルームーン子爵家の廃絶の話は知っている。良くある経営難だったはずだ。でもどういう理由でそうなったかを私は知らない。
「ブルームーンが没落したのは凄く単純な話よ。商売の失敗。商人に騙されたの。先払いで支払ったら肝心の物が入ってこなかった」
「それは余りにもおろ……」
愚か、私は出かかったその言葉を慌てて飲み込んだ。しかし時すでに遅し。絶対マリアンヌ院長には伝わっている。しかし院長は私の失礼な態度に激高する事もなく、冷静に当時の状況を説明した。
「ちょっとだけ擁護させてもらうと一回目はちゃんと物が入ってきたの。二回目は一回目より多く頼んで、それも大丈夫だった。金を持ち逃げされたのは三回目、本気でやろうと大量発注した時だった」
「何て卑劣な……」
私は怒りのあまり思わず拳を握りしめる。信用を勝ち取ってから騙す。商人の手口は悪質極まりない。そんな憤慨する私を見て院長は感謝してくれた。怒ってくれてありがとうと。でもと彼女は言葉を続ける。
「父が愚かだった事には変わりないわ。最初はちゃんと警戒して少量発注だったのに、いとも簡単に信用してしまった。脇が甘かったと言うしかない。そしていくら騙されたと言えども、貴族として運営資金を失ったのは擁護しきれない失態だった。だからブルームーン子爵家はなくなってしまった」
どうにかならなかったのだろうか。騙される方が悪い。それはそうなんだろう。でも罪は犯していない。それなのに色さえ失うなんて。言葉にならない想いを抱え、私は世の無常を感じた。
「その後は悲惨なものよ。父は代々続いた子爵家を潰してしまった責任を感じて自害し、母は心労のあまり病に倒れて帰らぬ人となってしまった。こうして私は全てを失って孤独
となったわけ。でもそんな何もない私を孤児院の先代院長は受け入れてくれたわ」
「知り合いだったの?」
私がそう思ったのはマリアンヌ院長が穏やかな表情をしていたから。
「ええ、私ではなく父のね」
しかしながら、その想いの先は院長に対してのものではなく、亡き父に対してのものであった。
「父は教育には熱心でね。この孤児院が建つ際の出資者だったわ。先代院長はずっとその事を恩義に感じていて私を引き取ってくれたの。ブルームーン家が没落したのは父のせい、でも父が残したものが私の命を救ってくれた。私は泣いたわ。涙が枯れ果てるまで。優しい父が生きていられなかった世界が憎たらしくて。そして何より悲しくて……」
あまりにも壮絶な過去であった。彼女の悲しみは察するに余りある。優しさによって裏切られ、でもその優しさがマリアンヌ院長を救った。何て、何て残酷な話。
「でも生きてさえいれば傷は癒えていくのよ。私はここで子供達の純粋さに触れる事で生きる気力を取り戻していったわ。そして私を救ってくれたこの孤児院を引き継ぐ事にしたの」
「……貴族に戻ろうとは思わなかったの?」
私は暗に告げていた。復讐するつもりはなかったのかと。復讐をするのに最も有効なのは権力を持つ事だ。権力さえあれば相手を探す事も容易になるし、公に裁く事が出来る機会も増す。貴族に戻るとはそうした手段を得る事でもあった。
「あいつらを恨む気持ちはもちろんあるわ。でも孤児院の子供達を、今の幸せを犠牲にしてまでやるものじゃないわね」
「でもそれでは世間にとってあなたは可哀想な人のままじゃない」
私のそれは義憤だったのだろう。だが彼女はあろう事か私のそれを笑い飛ばした。
「それがどうしたの?」
「え?」
「人にどう思われようが知ったこっちゃない。私は私がそうしたいから今の道を選んだの。それだけの事よ」
「ああ……」
底抜けの明るさであっけらかんに言うマリアンヌ院長に私は圧倒された。何て、何て強い人なのだろう。
今更ながらに理解した。どうして私は彼女に苦手意識を持っていたのか。彼女にとって貴族や平民は関係ないのだ。だからといって敬意がないわけではない。彼女は外側じゃなくて内側を見る。だから彼女の敬意は侯爵令嬢に対しての敬意ではなく、私そのものに対しての敬意。そう、ソフィアと一緒である。
理解する前は怖ろしさすら感じたが、分かってさえしまえばむしろ愛おしい。私はこの時になって、ようやくソフィアがどうして私をマリアンヌ院長に引き合わせたのか分かった気がした。
彼女は間違いなくソフィアのルーツだ。この人の素晴らしさをソフィアはちゃんと受け継いでいる。血の繋がりではなく意志の継承、私はその素晴らしさに自然と笑みがこぼれた。
「そうね。もしもどこかでばったりあいつらと出会ったとしたら、恨みが再燃する事はあるかもしれないわ」
そんな中、マリアンヌ院長は復讐について、より具体的に考えてくれたようで、私は彼女の答えに注目する。
「その時は……」
「その時は?」
「ま、色々とやりようはあるかしら。私の夫は商人として優秀だから逆に罠に嵌めてやろうかしら?」
「ええ? 結婚しているの!?」
「何? 別に孤児院の院長が独身じゃなきゃいけないってわけでもないでしょう?」
「それは……確かに……」
つい先入観で判断してしまった事を私は反省する。ここは教会の孤児院ではない。シスターではなく院長なのだから、結婚していたっておかしくはないのだ。
「孤児院経営もそれだけだと大変なのよ。人の善意だけで成り立つには無理が出てくるわ。子供にひもじい思いをさせないためにもお金は必要よ」
「……孤児院のために結婚を?」
「それもあるけど、夫があまりにも一生懸命だったから、根負けしたというのが真相ね。私を選んだら苦労するって分かってるのに一緒に背負うって。物好きも良い所よね」
伴侶の事を語るマリアンヌ院長は心底嬉しそうであった。
「お相手は商人との事だけど不信感はなかったの?」
「もちろんマイナスからのスタートよ。当時の私は人間不信だったから」
何を当たり前な事を院長は笑う。その笑みは私に安心感を与えてくれた。
「それでも一緒になれたのね。憎しみを乗り越えて」
「そうねぇ。マイナスであるはずの商人は実際孤児院を救う鍵だったし、夫が誠実だったおかげで悪い商人だけじゃないって知る事が出来た。人生って何とも不思議なものよ」
ブルームーン子爵家が没落し、家族も亡くなってしまったのは悲劇でしかない。しかし不幸の先でマリアンヌ院長は幸せをつかみ取った。
もう凄いとしか言えなかった。語彙が消滅するほど彼女の人生は濃い。特に私にとっては貴族令嬢という敷かれたレールから外れても、ここまで輝きを放っているのは驚嘆に値する事で、それだけが人生じゃないと強く思えた。
この強い人には色なんて必要じゃない。
「皆さんお茶をお持ちしました」
私がマリアンヌ院長に憧れの視線を向ける中、ちょうどソフィアがお茶を持ってやってきた。随分とキリが良い所で持ってきたように感じるが、タイミングを図っていたのだろうか? ソフィアの笑みからは何も伺い知れない。
ソフィアの姿を確認するや否や、マリアンヌ院長は私に呼びかけた。
「ナタリア様、いえ、あえてこう呼ぼうかしら? ナタリアちゃん」
それは軽蔑でなく、親しみを込めた呼び方であった。侯爵令嬢ではない私自身に言葉を届けるためにそうした。何か予感がして私は姿勢を正す。
するとマリアンヌ院長は何を思ったのか、いきなり私の頭に手を伸ばす。驚きこそしたが私はそれを振り払うなんて事はしなかった。マリアンヌ院長は満足げに頷くと、私の頭を優しく撫でつつ、ゆっくりと語り始めた。
「こうしてあなたがソフィアと出会えたのも、ブルームーン家が没落して私がここにやってきたから始まっているの。多分私が継がなければこの孤児院は閉鎖されていたから。始まりは不幸でも道は続いている。出会いに偶然なんかない。そこに至るまでは色んなものが重なっているの。私が夫と出会えたのもそう。悲しい事も沢山あったけど過去は過去、私は今この時が大切なの。だからその出会い、大切にしてね」
魂が震える言葉であった。彼女の言葉は私とソフィアに対する祝福だ。
その言葉はどうしようもなく優しさに溢れている。
泣きたくなるのをこらえ、私は彼女に応えた。
「……分かりました」
「ささ、難しい話はここまでにしましょう! お茶うけにマリアンヌ孤児院特製のクッキーも持ってきたので是非食べてくださいね」
本当に院長の話を聞いていたのだろうか? 感動に打ち震えている私なぞ気にする様子もなく、ソフィアはさっさとテーブルの上にお茶とクッキーを置く。そこにさっきまで手伝っていたのだろう子供達が続いた。
「私達が頑張って作ったんだよ」
「生地を作ってー型取りしてー」
食べて食べてと迫ってくる子供達を見て私は焦る。確かにこれは感動とかしている場合じゃない。今のソフィアは子供達を優先しているのである。だったらと私は覚悟を決め、それまでの真面目モードから切り替えてお姉ちゃんモードに入った。
「オススメはどれなのかしら?」
「えっとね! お星さま! お星さまは私作ったの!」
「チョコの奴! 美味しいのはチョコの奴だよ!」
子供達の勢いはとんでもなく、私だけでなくエルも子供達に飲み込まれて一気に騒がしくなる。マリアンヌ院長はそんな私達を慈愛の目で見つめていた。
子供達の大クッキー展を乗り越えた後、孤児院を後にした私とソフィアは帰路についていた。もちろん後ろにはエルが控えていた。終始子供達の勢いに圧倒されていたため、今の彼女は少々お疲れ気味である。綺麗な夕焼けを堪能しつつ私は隣を歩くソフィアに問いかけた。
「ねえソフィア?」
「何ですか?」
「どうして私を院長に会わせてくれたの?」
「お姉さま、ナタリア様はいつも何か悩んでいるようでしたから。それこそ出会った頃からずっと……」
「そんなに前から心配してくれてたのね」
頷くソフィアに私は嬉しさと申し訳なさが同時にこみあげてくる。最初からだったなんて、私の仮面も彼女の前ではまるで役に立っていないようであった。まあウェンディ達にもバレていたくらいだし、隠せていると思っていた自分の道化っぷりが悲しくなる。
「私も迷ったときはマリアンヌ院長よく相談に乗ってもらってたんです。特待生制度を利用するのを決めたのも院長の後押しがあったから。余計なお世話でしたか?」
「まさか。頭の中がすっきりしたわ」
「だったら良かったです!」
実際今の私は晴れやかな気分だ。夕暮れ時の心地良い風を受けながら私とソフィアは歩き続ける。そこからはお互い無言であったが、気まずいどころか二人とも上機嫌であった。いわゆる余韻と言うものを私達は楽しんでいた。
十分に堪能した後、私はソフィアに語る。
「マリアンヌ院長、凄い人ね」
「ええ、本当に」
「私、答えが見えた気がする。だからソフィア、覚悟しておいてね? 私をその気にさせたあなたの罪は重いわよ?」
「それは怖いですね。でもナタリア様がその気なら私も受け取る覚悟はありますよ」
その応酬はまさに売り言葉に買い言葉、冗談めかして言ってこそいるがソフィアも本気なのだろう。だったら私は……
その日、私は初めて自分が王妃になる以外の道を見つけたのであった。
人生山あり谷あり。




