第十話 肉は全てを救う
「ナタリア様、一度庶民街を見てみませんか?」
「ええ?」
ソフィアがそんな事を言ってきたのは、私達が互いに遠慮しない関係になって一週間後の事であった。ソフィアは屋敷にやってきた翌日から私は学校に通うのを再開したわけだが、私の不安とは裏腹に学校は秩序に満ちていた。
私がウェンディ達を裁いた件は広く伝わっており、下位貴族達から見て私は畏怖の対象となっていた。結果として余計な横やりが入るがなくなり、私は気兼ねなくソフィアと接する事が出来るようになった。嬉しい誤算である。
私とソフィアの距離が近くなった事を知ったアルベルトの顔は傑作であった。あそこまで笑ったのは久々かもしれない。
「いきなりどうしたの?」
「前に屋敷を訪れた時、お茶とお菓子をご馳走してもらったのでそのお礼をしたいなって思いまして」
「なるほどそういう事ね。別に感謝する必要はないし、気を使う必要もないわよ。それはそれとして庶民の街ってのは興味あるけど……でも私が行ってもねぇ」
いきなり貴族の令嬢が行ったってびっくりさせてしまうだけだ。気を使われまくるのも微妙だし、それこそ迷惑にしかならないだろう。しかしソフィアは私の考えを先読みする。
「だからこそお忍びで行くんですよ」
「お忍び?」
「ええ、変装して庶民に化けるんです!」
ソフィアのまさかの提案に私は目を丸くした。確かにそれならば私も庶民として楽しめるであろう。行きたいか行きたくないかで言えばもちろん行きたい。だがそう簡単に首を縦に振るわけには行かない。
別に誰かに狙われているという事はないが、それでも侯爵令嬢としては安全面は最優先で考えなければならない。私が身の危険にさらされでもすれば、私を誘ったソフィアの罪になってしまうのだからなおさらの事。だから私は後ろで控えているエルに尋ねた。
こういう時は守られる私ではなく守る方、護衛の意見を聞くのが一番だ。
「エル、私が変装して街を回っても問題ないかしら」
「そうですね。条件付きと言ったところでしょうか」
「というと?」
「出来る限り屋内は避けて欲しいですね。喫茶店などは私もお客で入ればいいので大丈夫ですが、私が一人で入ったら怪しまれる所には行って欲しくないです。外で待たざるを得なくなりますから。後は急に走ったりしないでください。追いつけない事はないと思いますが、万が一という事もありますので」
エルの意見は相変わらず至極真っ当であった。だが駄目と切り捨てないで、私が行けるように配慮してくれる点はありがたい。禁止してしまった方が護衛の仕事は楽であるのに。
「無理言ってごめんなさいね」
「いえ、ナタリア様は真面目過ぎるので息抜きは必要です」
「ありがとう」
エルは真面目であるが何時だって私を労わってくれる。エルを私の護衛につけてくれた父に感謝しかない。
「エル様、ナタリア様を危険なところに連れて行くつもりはありませんので安心してください。屋台を廻ったり、公園に行ったりとか」
「ええ、貴方の事は信頼していますよ」
「屋台で美味しい所知っているので私とナタリア様が買った後に是非行ってくださいね。エル様が食べ終わるまで私達近くで談笑してますので」
ここで一緒に食べようと言わないのがソフィアである。エルの職務を良く理解している証拠であった。ただ優しいだけでない。
「ふふ、お気遣い感謝です」
ソフィアの相手の立場を思いやっての気配りには普段無表情のエルも笑みを見せるほどであった。しかしエルにも勧めるほどの食べ物とは如何に?
「ソフィア、その美味しい屋台って何を売っているのかしら?」
「それはズバリ、肉串です!!」
「に、肉ですって?」
ソフィアの回答は実にワイルドであった。
「美味しいんですよ。お肉の串って。熱々をそのまま食べるんです」
「そ、そう」
肉を串にさしてそのまま食べるなんてそんなのした事ない。ソフィアは一体私に何をさせようというのか。未知への興味とちょっとした恐怖と、私の庶民街体験はなかなかに刺激的になりそうだ。
なお一緒に来たがりそうなアルベルトはこの場にはいなかった。前のように心労で休んでいるわけじゃなく、たまたま王宮の方で用事があるらしい。とことん運が悪い男である。
そんなわけで私はソフィアとお忍びで街へと出かける事となった。しかしながら我が国で貴族と言うのはとても目立つ。理由は髪と眼の色だ。貴族は必ず何かしら色を持っており、私もその例に漏れない。
私のセイファート家の場合は根元の方は赤、先の方は橙色というグラディエーションの髪を持ち、その瞳の色は金色だ。アルベルトに至っては髪も眼も金という実に王族らしい風貌をしている。一目見たらすぐに分かるため、はっきり言って隠しようがないくらいだ。
でも抜け道はあるもので。
待ち合わせの場所に着いた私であったが、ソフィアはすでに到着していたようで、私が来るのを今や今やと待っていた。これでも約束時間より20分も早く着いたのであるが、彼女の方が上手のようであった。これもソフィアが楽しみにしていてくれている証拠だと思うと自然と口の端が上がってしまう。
「せっかくだからソフィアの観察眼を確かめるとしますか」
私は悪戯めいた表情を浮かべながら、彼女の元へと近寄る。必然的に視線が合う私達であったが、ソフィアは私に気づかずに別な方向を探し始めてしまった。だが何か変だなと思ったのか、慌てて私に向き直る。
「ひょっとして……」
「正解よ。今日はよろしくねソフィア」
一度はスルーしても私を探し当てるのは流石だ。何故ソフィアが困惑したかは無論私の変装技術が優れているからだ。
「ナタリア様凄いです。私はカツラと眼鏡を想定していたのですが……」
「まあこんなものよ」
今の私は何とソフィアと同じ、ブロンドの髪を持ち、瞳の色もヘーゼルカラーであった。お揃いである。
貴族は何かと目立つ。良くも悪くも。だから人の視線をかいくぐる手段というのも実は確立されていた。貴族にとって色を失うとは貴族としての地位を失うに等しい。だから本来色を地味な色に変えるという『色落ち』は罪を犯した貴族への罰として存在している。
しかしながら罪を犯していなくても色を抜きたいという瞬間はある。だから私が使用したようなお忍び用の一次的な『色落ち』もあるというわけだ。
「へぇー、貴族の特権って凄いですね」
私の説明を聞いてソフィアは感心したと言わんばかりに息をついた。
「あれ? でもそんなに便利なら悪用される事もありません?」
「鋭いわね。そう、そのままだと便利すぎるわよね。だから他の貴族の色にはなれないのよ。選べるのはあくまで自分の色と平民の色だけね」
「なるほど」
しきりに頷くソフィアは実に勉強熱心だ。良い点のみじゃなく、即座にデメリット考えられるのは地頭の良さが感じられる。私はそんなソフィアに意味ありげに問いかけた。
「ねえソフィア。本当の私の色は何だと思う?」
「え? え? 違ったりするんですか」
「さてどうでしょう?」
「あー、からかいましたね!!」
良い反応をするソフィアに私は笑いを抑えきれなかった。こんな普通の学生のようなやり取りが出来るなんて思いもしなかった。私は知らず知らずの内に憧れを抱いていたらしい。あの騎士科の生徒達みたいな関係に。
「まったくナタリア様ったら」
「はい、ストップ。せっかく変装したのに様付けは変でしょ?」
「あっ」
素っ頓狂な声をあげるソフィアを私は意外に思った。この反応は想定していなかっという事だ。となると嗜虐的な心がムクムクと湧いてくる。
「私の事、何て呼べばいいか分かるわよね?」
「う、その……ナタリア……さん?」
残念、その答えは60点だ。
「ソフィア?」
私が意地悪く問いかけるとソフィアは顔を真っ赤にして一気にまくし立ててきた。
「いいえ! ナタリアさんは年上なのでこれで合ってます! 平民でも年上は敬うんです!」
「ま、これくらいで勘弁してあげましょうか」
「……お姉さまは意地悪です」
「っ……ソフィアあなた!?」
予想外の角度からの一撃に私は悶絶する。姉呼びは反則だ。130点。
「ふふ、お返しですよ。ずっとここで会話するのもなんですし、そろそろ行きましょうか」
苦い敗北感を胸に私はソフィアの後をついて行った。
庶民街を見るのは何もこれが初めてではない。ただこれまで私が庶民街へ行くときは侯爵令嬢、ナタリア・セイファートであった。アルベルトの婚約者として知られている私の事だ。私が道を歩くだけで勝手に道が開き、それまでの喧噪も静かになってしまう。
人によってはその事に優越感を得られるだろうが、私としてはただ居心地の悪さを覚えるだけだ。だからといって一人でお忍びするほどの熱量もなく、結果として私は庶民街の本当の姿は知らないまま。だから今回ただのナタリアとして見る庶民街は純粋に楽しみであった。
「お姉さま、あれが市場ですね。大抵の人はあそこで今日の夕飯を買います」
「ちょっとそれ気に入ったの? 私恥ずかしくてしょうがないのだけど」
「だって呼んでみたらしっくり来たんです。ですから今日はずっとお姉さま呼びさせていただきますね」
「藪から蛇とはこの事ね」
げんなりしながらも市場の方に目を向けると、貴族が集う場所とはまた別の活気があった。売り子の掛け声、値段交渉する商人、はたまた女性たちの井戸端会議など、統一感のない様相はまさに混沌だ。
「凄い熱気ね」
「夕飯前の今の時間は一番混むんですよ。さ、目的の場所はもうすぐです」
そして私はとうとうソフィアのオススメと対面する事となる。
「はい、お姉さま。一本どうぞ」
「これが例の肉串……凄いわね」
まず率直の感想はでかい。それに尽きる。縦の長さで自分の手二つ分という豪快さ。焼きたての香ばしい匂いが食欲をそそる。しかしだ、これ、どう食べればいいんだろう? 私が途方に暮れていると、ソフィアはとんでもない行動に出た。頭からかぶりついたのである。
「おいしーい!」
「そ、ソフィア!?」
「お姉さまもどうぞいっちゃってください。もう一気にがぶっと」
「え? え?」
ソフィアはそれからもガンガンとお肉を口に運ぶ。普段見られない様子に私は圧倒されっぱなしだ。でもあまりにも美味しそうに食べるものだから羨ましくなって。
「えい!」
とうとう私も肉串にかぶりついたのであった。
「っ!!?」
直後、衝撃の肉汁が頭を突き抜ける。
何これ? いったいこれは何だと言うの!?
味と見た目、どちらも上品さの欠片もないそれは、暴力的な旨さであった。ちょっと濃い目の味付けに強烈なスパイスの香り、そのすべてが肉のためだけに存在している。こんなの知ってしまったら止まれない。私はそれからも夢中に食べ続けた。
肉串、恐るべし。
絶対またここに来よう。
この作品で初めての日常回。焼きたては美味しいよね。




