第8話【間幕】薬師は泣いてなんかいられない
第1話の直後の話です。
第8話【間幕】泣いてなんかいられない
(薬師のミーナ視点)
「こ、この話はいったん保留だっ!」
ビッ君の背中が、酒場の扉の向こうに消えていった。
リリーさんの腕の中にいた私は、ぼやけた視界のまま、その背中をじっと見つめていた。
キィキィと音を立てて揺れるドアを見ていると、また涙があふれてくる。
――離れたくない。
その一心で追いすがり、必死に言葉を重ねていたさっきまでの興奮は、ビッ君がいなくなった途端、すうっと引いていった。
燃えるような熱の代わりに胸の奥に広がっていくのは、不安。
冷たい霧みたいに、じわじわと心を覆っていく。
どうして。
どうして、あんなことを言ったんだろう。
“追放”だなんて。
そんな言葉、冗談でも聞きたくなかった。
ううん、冗談だったらよかったのに……
もう、遠い昔の思い出だけど、私はちゃんと覚えてる。
休耕地のカスミ草畑で、ビッ君が作ってくれた薄紫の花冠。
私の頭にそっと載せてくれた、その自慢げな笑顔がとても素敵で。
嬉しくて、胸がいっぱいで、私は思わず叫んでいた。
『あたし、ぜったいにびっくんの、およめさんになる!』
ビッ君は驚いた顔をして、でもすぐに笑って――
『いいぜ! ずっと一緒にいような!』
その言葉が、風に乗って私の胸に飛び込んできた。
あの瞬間のことは、今でもはっきり覚えている。
なのに――どうして。
疑問の言葉が頭の奥に反響して、息が詰まる。
胸の奥がぎゅうっと締めつけられて、呼吸が苦しくなる。
もし……
もしビッ君が、あの約束を忘れていたとしたら。
“ずっと一緒にいよう”って言ってくれた、あの言葉を。
私の宝物みたいな思い出を。
私がずっと信じてきた、あの瞬間を。
ビッ君は――もう覚えていないの?
その考えが胸を刺す度に、視界が一気に滲んだ。
「ひ……っ、く……っ……」
堪えようとしても、嗚咽が勝手に漏れてしまう。
涙が止まらない。
胸の奥が痛くて、苦しくて、息がうまく吸えない。
「ミーナ……大丈夫、大丈夫よ。私たちが、ここにいるわ」
リリーさんが、ぎゅっと抱きしめてくれた。
細い腕なのに、驚くほど温かくて、
その温もりに触れた瞬間、張りつめていたものがぷつんと切れた。
「ミーナ、ゆっくり息して。大丈夫よ、怖くないわ」
リリーさんが背中を優しく撫でてくれる。
その手つきがあまりにも優しくて、胸の奥に溜まっていた不安が、涙と一緒にあふれ出していく。
「や……やくそ、く……ビッくん……っ……ずっと……一緒、だって……」
自分でも驚くほど弱々しい声が漏れた。
「ミーナちゃんは、ビックス君のことが大好きなんだね」
その声は、泣きじゃくる私の耳に、そっと触れるみたいに優しかった。
顔を上げられないまま、涙で濡れた視界の端に、クララちゃんのスカートの裾が映る。
「大丈夫。あなたは悪くないよ」
いつもの柔らかくて温かい、ゆっくりとした言葉が、胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
「ミーナちゃん、ねえ……聞いて」
クララちゃんが、そっと私の肩に触れた。
その手つきは驚くほど優しくて、泣き疲れた心にそっと寄り添うみたいだった。
「ビックス君の“追放”って言葉……あれはね、きっと咄嗟に出たものだよ。ビックス君も焦ってたんじゃないかな?」
「……っ、でも……ビッ……くん……」
言い返そうとしたけれど、涙で喉がつまって、うまく言葉にならない。
「大丈夫。ミーナちゃんを追放する理由なんで、どこにもないんだもの」
その言葉が胸に触れた瞬間、張りつめていたものがまた少しだけ緩んだ。
「そうだぜ、ミーナ。お前がいなきゃ俺たちのパーティーは成り立たない」
レオナードさんの言葉は、胸の奥にまっすぐ届いた。
泣きじゃくって乱れた心に、ぽうっと小さな灯りがともるみたいだった。
「……わ、たし……?」
「ああ。ミーナがいなきゃ、俺たちは困る。な?リリー」
「そうだ。薬師としてはもちろん。経理や裏方の仕切り、どれも大切な役目だ」
リリーさんの優しい瞳が、私の目を見てほほ笑む。
「ミーナがいてくれるから、私たちは安心して前に進めるの」
その言葉が、胸の奥にじんわり広がっていく。
みんなの言葉が胸に染みて、ようやく呼吸が楽になった。
涙の跡を指で拭ったその瞬間――
「しっかし……ビックスの奴も、急に何いいだすかと思ったら、まさかなぁ」
レオナードさんが呆れたように笑う。
不思議と今度は、涙も出なかった。
「お? ミーナもそろそろ大丈夫そうだな。なら、こっからが本題だ。」
指をピッと立て、得意げな笑顔でみんなの視線を集める。
「多分だがビックスは、次も何かと難癖付けて、ミーナに追放を迫ってくるぞ」
レオナードさんの言葉に、クララちゃんが眉をひそめた。
「今回は、とっさに言っちゃった感じだったけど……次があるの?」
「ああ、ある」
レオナードさんは即答した。
「むしろ、一回言ったからこそ、次も言ってくるはずだ。」
「……まぁ、ビックスだしな」
リリーさんは私の肩にそっと手を置き、落ち着いたのを確かめるように軽く押して、ゆっくり距離を取った。
その動きに合わせて、私の背筋も自然と伸びる。
「だからこそ、ミーナ。お前は覚悟と準備をしなくちゃならない!」
「……覚悟は分かりますけど、準備……ですか?」
“追放”の言葉が頭をよぎると、やっぱり胸が苦しくなる。
けど、こうやって私を支えてくれる仲間がいてくれるんだから。
覚悟、しなきゃいけないんだもんね。
「準備ってのはな、ミーナ」
レオナードさんが、いつもの調子で腕を組む。
「ビックスの奴が、どんな内容でお前に追放を言ってくるか、予想を立てて、反論を準備しておくことだ」
「反論……」
さっきの酒場でのやり取りを思い出すと、胸がきゅっとなる。
今思えば、相当にプライベートを暴露してしまったような……
「なるほどな。次に何を言われても、落ち着いて言い返せるように備えておくのか」
リリーさんはうなずいたかと思ったら、首をひねる。
「しかし、ミーナの仕事は完璧だぞ? 何を指摘して追放するつもりなんだ?」
「ふふふ……こういうのは、理屈じゃないんですよ。リリエンティさん」
クララちゃんが椅子に深く腰を下ろし直した。
背筋をすっと伸ばし、片手だけを顎に添えて、わずかに首を傾けた。
キラリと、目が光った様に見えた。
「ビックス君が何が何でも追放したいなら、ミーナさんのすること全部に噛みついてくるに決まってます」
クララちゃんが言い切ると、レオナードさんが「まったくだ」と肩をすくめた。
「なら、まずはギルドで依頼の成果をまとめておくといいだろう」
リリーさんが言うと、レオナードさんがすぐに頷いた。
「お前の“完璧な仕事”の情報を、目に見える数字でそろえておくんだ」
「感情論で噛みついてくる相手には、目に見える証拠が一番効きますからね~」
二人のやり取りを、今度はしっかりと頷いて聞くリリーさんが、話をまとめる。
「あまりにひどい理由なら、私たちが止める。ミーナを一人で追い詰めさせたりしない」
「リリーさん……」
「――だから、ミーナ。」
「っ!は、はいっ!」
「お前たち二人の。私生活のことを詳しく話してもらうぞ?」
リリーさんはそこで、ふっと表情を変えた。
先ほどまでの真面目をどこかに置いてきた、いたずらな顔に切り替わったような、そんな顔。
「冒険中のミーナの働きは全部見てるから、いくらでもフォローできる。だが――」
すっと目が細くなる。
「私生活の話はあまり知らないだろ? そこをフォローするには、“くわしい話”を知らないとな?」
「えっ……あ、あの……?」
「さあ、ミーナちゃん! 二人の赤裸々な生活を、余すことなく話してもらうわよ!」
「ええええええええええ!?」
いつの間にか私は、リリーさんとクララちゃんに、がっちりと腕を組まれていた。
レオナードさんはニヤニヤした顔で、お酒のお代わりを頼んでいて、私は――
「や、やめてくださいぃぃ……っ!」
そこから先は、違う意味で涙目になった。
第2話へつながる一幕。
パーティーは全員ミーナの味方です。
☆や感想を頂けましたら、これ幸い。




