第八話『活気あるギルド』
城下町の喧騒を抜け、石造りの重厚な扉の前に立った。扉には剣と盾の紋章が彫られており、これが冒険者ギルドであることを示していた。俺は深呼吸し、力を込めて扉を押す。軋む音とともに視界が開けると、そこには外とはまるで別世界の空気が広がっていた。
中は熱気と声で溢れていた。笑い声、怒鳴り声、武具が打ち合う音、紙を叩く音。様々な音が渦を巻き、外で見た無機質なモブ住人のループ台詞とは比べ物にならない“生”を感じさせる。汗と酒の匂いが混じり合い、冒険者たちの活気が空間を支配していた。
広いホールの中央には巨大な掲示板があり、所狭しと依頼が貼られている。ダンジョン攻略、魔物退治、護衛依頼、素材採集──どれもがファンタジー小説で見たような言葉だが、今ここでは現実の仕事として呼吸していた。依頼は色で区分され、EからSまでランクが明示されている。掲示板の前では冒険者たちが声を張り上げ、仲間を募ったり条件を確認したりしている。
「おい、今回の魔物退治はCランクだぞ、腕に覚えのあるやつはいるか!」 「ダンジョン攻略の報酬が上がったらしい! 一緒に行く奴、募集中だ!」
飛び交う声に胸がざわめく。ここでは皆が“生きるために、そしてPVを稼ぐために”必死なのだ。
受付カウンターには列ができ、若い冒険者が依頼書を提出し、受付嬢がにこやかに処理している。その隣には小さな窓口があり、そこに掲げられた札に俺は目を奪われた。
『PV両替所:所持PVを通貨に換金できます』
「……PVを金に変えるのか」
俺が呟くと、ミリィが肩のあたりにふわりと降り、俺の耳元で囁いた。
「ええ。ここではそれが当たり前ですわ。PVは命であり、力であり、そして通貨でもある。そして具現化する妄想のPVを、そのまま消費してしまうと管理が難しいこともあります。ですから、馴染みのある金に換えておけば扱いやすくなるのです。両替所を利用するのも一つの手ですわ」
「……なるほどな。確かにPV残量っていう数字だけ見てても実感が湧かないし、金に変えちまえば目に見えて分かりやすい」
俺は頷き、再び周囲を見渡した。ギルドの奥には酒場が併設され、冒険を終えた者たちがジョッキを打ち鳴らして勝利や失敗を語り合っている。さらに隣には宿屋もあり、依頼帰りの冒険者が疲れを癒すために部屋を求めて受付をしていた。武具や薬草を扱う店も一角にあり、依頼に備えて装備を整える者たちで賑わっている。
「宿や酒場、商店まで……全部ここにまとまってるのか」
俺が感心して呟くと、ミリィが得意げにうなずいた。
「依頼をこなすために必要なものがすべて揃っているのがギルドですわ。だからこそ、ここは諦めていない人間たちの拠点なのです」
俺は周囲を見渡した。酒を片手に談笑する者、装備を整える者、依頼をめぐって言い争う者。そのどれもが熱を持ち、存在を主張していた。外で見た“断筆モブ”たちとは明らかに違う。
「ここに立っているだけで、何か……胸が熱くなるな」
思わず口にすると、ミリィが満足げに頷いた。羽が七色に光を放ち、まるで俺の決意を映すかのようだった。
「ここは諦めなかった者たちの拠点。挑み続ける意志が集まる場所です。あなたもその一人ですわ」
その言葉に、心臓が大きく跳ねた。ここなら、俺もモブの群れに埋もれることなく、自分の力で挑めるかもしれない。胸の奥に熱が広がり、鼓動が早くなる。
「……ああ。ここからだな」
俺は拳を強く握りしめ、目の前の掲示板を見上げた。ここから、俺の物語が本当に始まる──そんな確信が湧き上がっていた。
掲示板に貼られた依頼書を眺めながら、俺はふと胸の奥に浮かんだ疑問を口にした。
「なあ、ミリィ。このギルドって……誰が運営してるんだ?」
声に自分でも重みを感じた。
あまりにも整った仕組み、活気、それでいて見えない規律。誰がこの巨大な組織を動かしているのか、気にならないはずがなかった。
ミリィはふわりと羽を揺らし、俺の肩の横に舞い降りる。その小さな唇から紡がれた答えは、予想以上に静かで、それでいて衝撃的だった。
「書籍化作家たちですわ」
「……やっぱり、か」
俺は息を呑み、思わず視線を逸らした。
心のどこかで予想はしていたが、こうもあっさり断言されると、逆に現実味を突きつけられる。
ミリィは俺の動揺を察したのか、さらに説明を続けた。声は柔らかいが、その瞳は真剣だ。
「依頼は表向きには冒険者が生きるための仕事。しかし、実際には依頼を受けた者たちの行動や選択を観察し、作家たちが自らの作品のアイデアに利用しているのです。つまり、このギルドそのものがネタ作りの為の観察装置なのですわ」
「……観察装置、ね」
俺は周囲を見渡した。仲間を集める冒険者、報酬に笑顔を浮かべる若者、失敗して肩を落とす者。それぞれの動きや言葉が、誰かにとっての物語の素”になっているのかと思うと、背筋に薄ら寒いものが走った。
「さらに言えば、書籍化作家たちにとってこの世界は自らの作品そのもの。維持するためには現作品を更新し続けたり、新作を書くための糧が必要なのです。そのために、ここで生まれる依頼や行動、あなた方の挑戦はすべて彼らのネタ作りにも直結しているのです」
「……つまり、俺たちが生きて動くこと自体が、あいつらの飯のタネってわけか」
自嘲気味に呟いた言葉が、思った以上に胸を刺した。思い返せば、俺も同じだった。PVゼロの爆死投稿。誰にも読まれず、感想もなく、ただアップしては沈んでいった物語たち。あの虚しさは、今ここで見ているモブ以下の姿と重なる。
「ですが」
ミリィの声が鋭く俺の思考を遮った。振り返ると、彼女の瞳は強く光を帯びていた。
「あなたは今、ここに立っている。スライムで終わらず、冒険者として歩き出した。ならば、この仕組みを逆に利用してやればよいのです」
「……逆に、利用する」
俺はその言葉を反芻した。観察される側? 結構じゃねぇか。だったら俺は、その目を利用してPVを奪い返すだけだ。俺の行動をネタにするなら、それ以上に俺は成り上がってやる。
「……よし、決めた」
拳を強く握りしめ、掲示板を見上げる。紙に書かれた依頼が、ただの文字ではなく、挑戦の扉に見えた。心臓が熱く脈打ち、血が騒ぐ。
「書籍化作家のネタ集め……観察装置だろうが関係ねぇ。俺はここでPVを稼ぎ、モブの群れから抜け出す。リベンジしてやる」
ミリィはにっこりと微笑み、羽をふわりと広げた。その笑みは俺の決意を後押しするように輝いて見えた。
「そう、その意気ですわ。挑戦こそが、あなたを物語の主人公にするのです」
俺は深く頷いた。ここは確かにネタ作りに利用される舞台。だが同時に、俺にとっての唯一の挑戦の舞台でもあった。
胸の奥に「成り上がってやる」という微かな希望が芽生えたその瞬間だった。
頭の中に、ピコン、と軽い音が響いた。耳に届いたのではなく、直接脳に流れ込んでくるような感覚。俺は思わず立ち止まり、額に手を当てる。
「……なんだ、今のは」
視界の片隅に、淡い光のウィンドウが浮かび上がっていた。そこには見覚えのあるロゴが並んでいる──「なろう」「カクヨム」「アルファポリス」。
俺が現世で散々投稿しては爆死してきたサイトの名前だった。
心臓が跳ね上がる。胸の奥がざわつき、嫌な汗が背筋を伝う。
まさか、ここでもあの悪夢を味わうのか──そう思った瞬間、ミリィが俺の耳元に近づいて囁いた。
「どうやら、リンクされているようですわね。あなたの向こうの投稿が、この世界にも影響を与えているのです」
「投稿……俺の、小説……?」
喉がひどく乾き、言葉がかすれた。目の前に浮かぶウィンドウには、通知のように数字が点滅している。PV、評価、感想、☆、そしてブクマ──。かつて俺が喉から手が出るほど欲しかったものが、今ここにある。
「これが、この世界での日払い給与みたいなものですわ」
ミリィの声は穏やかだが、どこか誇らしげだった。
「PV至上主義のこの世界において、読者の反応が良ければ良いほど、あなたの生活は豊かになるのです」
俺は震える指でウィンドウに触れた。数字が鮮明に浮かび上がる。──PVの合計、七百超え。評価が数件。さらに、ブクマが七件。
「……っ!?」
声が裏返った。胸が熱くなり、呼吸が荒くなる。これまでの俺にはあり得なかった数字だ。いつも一桁、二桁止まり。ブクマなんて夢のまた夢だった。なのに──
「七百……? 本当に……七百超えてるのか……?」
指先で何度も数字をなぞり、目をこすった。間違いじゃない。ウィンドウは確かに、その結果を示している。ブクマ七件。評価もついている。俺の物語を「面白い」と思った奴が、現実にいる。
「……俺、初めてなんだ……」
気づけば声が震えていた。ミリィが優しく微笑み、肩のあたりに降り立つ。羽の光が揺れ、俺の胸の高鳴りに呼応するかのように瞬いていた。
「よかったですわね、龍之介。これは始まりの証です」
「始まり……」
その言葉を繰り返すと、涙が滲みそうになる。過去、何度も心を折られた。誰にも読まれず、沈んでいった投稿。けれど今は違う。たった一度でも、こうして数字が示されるだけで、自分が存在している証明になる。
「俺……やれるかもしれない……!」
思わず笑みがこぼれた。胸が躍り、鼓動が早まる。ミリィは小さく頷き、声を重ねる。
「ええ、やれますとも。あなたが歩みを止めない限り、数字はきっと積み重なります」
その言葉が胸に響いた。
それは、書籍化作家やランキング上位者にとっては分で稼ぐ数字なのかも知れない。だが、俺にとっては初めて読んでもらえてる実感のわく数字なのだ。
俺は握りしめた拳を胸に当て、強く頷いた。希望の火種は、今や確かな炎に変わりつつあった。