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第七話『街の住人達』

 城門をくぐった瞬間、俺の目の前に広がったのは、まさに絵に描いたようなナーロッパ風の城下町だった。


 石畳の道がまっすぐ延び、両脇には木造の店が肩を寄せ合うように並んでいる。

 パン屋の軒先からは香ばしい匂いが漂い、籠に山盛りのパンが並んでいる。

 焼き立ての湯気まで見えてきて、思わず腹が鳴った。露店には赤や緑の果物が山のように積まれ、八百屋の親父が胸を張って声を張り上げている。井戸端では老婦人たちが桶を抱えて集まり、何やら世間話をしている。


 ──だが。


 どこかがおかしい。俺は眉をひそめて耳を澄ませた。


「いらっしゃい」


 パン屋の女将が口を開いた。だがその声は、妙に抑揚がない。棒読みというか、まるで録音を流しているかのように平坦だ。


「安いよ、新鮮だよ」


 続いて八百屋の親父が同じ調子で叫ぶ。いや、待て。野菜の説明とか値段はどうした? それしか言えないのか?


「今日もいい天気ね」

「ほんとねえ」


 井戸端の老婦人たちも、まるで壊れた人形のように同じ会話を繰り返していた。声の抑揚も、仕草も、まったく同じ。俺は足を止め、口を半開きにして見入ってしまった。


「……なあ、ミリィ。なんか、この違和感は……」


 隣でふわふわと飛んでいたミリィに視線を向けると、彼女は羽をきらりと揺らし、小さなため息を落とした。


「お気づきになりましたか。この城下町に住む者の七割以上は、モブかそれ以下の存在ですわ」


「モブ……以下?」


 俺は思わずオウム返しに声を漏らした。胸の奥がざらりと冷える。まさか、この違和感の正体が……。


「ええ。彼らはかつて小説を書き、投稿しても芽が出ず、やがて筆を折った人々。その残滓が、この世界ではこうして住人として形を持っているのです」


「…………」


 俺はパン屋の前に立ち止まり、無意識に女将の声に耳を澄ませる。


「いらっしゃい」


 まただ。三歩進んでも、同じ声。

 同じ抑揚。

 同じ仕草。

 無限ループに入ったのかと錯覚する。

 八百屋の親父も「安いよ、新鮮だよ」しか言わない。たまには値引きするとか、今日のおすすめとか言ってくれよ……!


「おいおい……これが筆を折った人間のなれの果てってか。笑えねぇぞ」


 俺は思わず頭をかきむしった。

 自分もかつて、何度も更新を止めかけた。

 アクセスがゼロで、感想もなく、ブクマもつかない。あの空虚さ。諦めかけた瞬間。……あれが積み重なれば、このモブになるのか。


「震えておられるのですか?」


 ミリィの声が耳に届く。俺は苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。


「まあな……。あれは、ほんの少し歪んでいたら俺の姿だ。スライムで終わって、NPCの群れに混ざって、延々と『いらっしゃい』って繰り返す未来もあったんだろうな」


「けれど、そうはならなかった。あなたはスライムから冒険者になり、こうしてわたくしというヒロインを得ている。それは偶然ではなく、あなた自身の積み上げがあったからこそです」


 ミリィは小さく微笑み、俺の顔をまっすぐに見つめた。その目は、補正された上品な口調以上に力を持っていて、俺の心を射抜いた。


「……俺は、少なくともいらっしゃいボットや安いよ新鮮だよマシーンにはならない。そういうことだな」


 俺は剣の柄を握りしめ、無意識に息を整えた。ほんの少しでも、変われる余地があるのなら──まだ終わっちゃいない。


 石畳の道を進んでいくと、町の様相が少しずつ変わっていった。


 さっきまで「いらっしゃい」「安いよ、新鮮だよ」しか言わない住人ばかりだったのに、今度はやたらと目立つ連中が視界に飛び込んでくる。

 鎧をぎらぎらと光らせ、大剣を背負って堂々と歩く冒険者。

 羽根飾りのついた帽子をかぶり、朗々と歌声を響かせながら通りを練り歩く吟遊詩人。

 さらには絹の服を纏い、豪奢な馬車に揺られる貴族の一団。その周囲を固める護衛騎士までもが、芝居がかった仕草で剣を抜き構えてみせる。


 通りを行き交う人々が彼らに振り返り、ひそひそと噂を交わす。

 空気が明らかに変わった。

 さっきまでの無表情でループする台詞しか吐かないモブ住人たちとは違い、ここにいる連中は視線を集めるだけの存在感を放っていた。


「おいおい……なんだよ急に、舞台俳優みたいなやつらばっかになったな」


 俺がぽつりと呟くと、隣を飛んでいたミリィが小さくうなずく。七色の羽が陽光を反射してきらりと光った。


「彼らこそ、この町の残り二割ですわ。ランキング上位者の影響を強く受けて生まれた存在なのです」


「ランキング上位者……あの化け物作家どもの落とし子ってことか?」


「その通りです。小説投稿サイトである程度成功を収めた者の残響、あるいは書籍化作家が直接与えた設定を背負った住人。だからこそ、他と比べて存在が際立ち、物語の中心に立てるのです」


 俺はしばし言葉を失い、彼らの姿を目で追った。貴族の馬車を先導する騎士は、まるで一枚絵から飛び出してきたように凛々しい。

 吟遊詩人の歌声は通りを歩く者の耳を引き寄せ、冒険者の鎧は光を反射して眩しく輝く。そのどれもが、生き生きと物語を体現しているように見えた。


 胸の奥にざわつきが広がる。不安と期待がごちゃ混ぜになり、心臓の鼓動が速まる。俺は無意識に剣の柄を握りしめていた。


「……俺は、あっち側に行けるのか?」


 思わず声に出した言葉は、俺自身の耳にも重く響いた。モブの群れから抜け出すだけでもやっとなのに、その二割に食い込むなんて本当にできるのか。俺のPV6969なんて、比較にならない数字じゃないか──。


 そんな俺の不安を見透かしたように、ミリィが横目でこちらを見やった。口元に、どこかいたずらっぽい笑みを浮かべながら。


「不安そうな顔をなさってますわね」


「当たり前だろ。だって、あいつらは元から役割を持ってるんだ。俺なんかとは格が違う」


「格の違いを作るのは数字や役割だけではありませんわ」


 ミリィの声は柔らかかったが、その響きには妙な重みがあった。俺は言葉を詰まらせ、彼女を見返す。小さな体なのに、瞳はまっすぐで揺らぎがなかった。


「あなたは自分を卑下していますけれど……実際、スライムから冒険者になったでしょう? それも自分の力で。あの二割の側に踏み出せるかどうかを決めるのは、誰でもなく、あなた自身ですわ」


「……俺自身、か」


 胸のざわめきが少しだけ静まった。期待と不安は消えないが、ミリィの言葉は小さな灯火のように胸の奥に残った。俺は深く息を吸い込み、目の前を通り過ぎていく煌びやかな馬車を、もう一度しっかりと見据えた。


 通りを進みながら、胸の奥でざわめいていた重さが少しずつ別の色に変わっていくのを感じていた。目に入るのは、相変わらず「いらっしゃい」を繰り返すパン屋の女将や、「安いよ新鮮だよ」としか言わない八百屋の親父。井戸端の老婦人たちは延々と天気の話をしていて、そこに生きた感情はない。ただ淡々と、決められた動作をなぞっているだけに見えた。


 俺は眉をひそめながら、ふと足を止める。


「なあ、ミリィ……やっぱり、見ててきついな。人間なのに人間らしさが消えてる。夢を諦めた後の残骸って、こんな風になるのかよ」


 隣でふわりと舞っていたミリィが、小さく首を振る。羽が陽光を受けて七色に輝き、まるで俺の陰った心を照らそうとしているかのようだった。


「そうですわ。七割の人々は夢を追って筆を取ったものの、きっかけを掴めずに断筆した。彼らはモブとして、この世界に留まるしかないのです」


「……なんか、聞けば聞くほど笑えねぇな。俺も何度もエタりかけたし……。感想がゼロで、ブクマもつかなくて、あれで筆を折ってたら……間違いなくあっち側だった」


 俺はパン屋の女将を見やる。彼女は笑顔のまま、同じ台詞をまた繰り返す。声は柔らかいのに、そこに心はない。その姿が、自分の未来の姿として重なり、背筋に冷たいものが走った。


 だが次の瞬間、視界の先に別の光景が飛び込んできた。鎧をぎらぎらと光らせて歩く冒険者。朗々と歌いながら通りを進む吟遊詩人。馬車に揺られる貴族の一団。その全てが舞台に立つ役者のように輝き、視線を集めていた。


「……あいつらは二割、だろ?」


 俺が問いかけると、ミリィが静かにうなずく。


「ええ。まだ物語に生きようとしている者たち。ランキング上位者の影響を受け、役割を与えられた住人ですわ」


 俺はその姿を凝視した。冒険者の鎧の輝き、吟遊詩人の歌声、貴族たちの馬車を護衛する騎士の凛々しい仕草。どれもが生き生きと輝き、まるで「諦めるな」と訴えかけてくるようだった。


「……不思議だな」


 俺は小さく笑っていた。胸の奥で渦巻いていた不安が、少しずつ形を変えていくのを感じる。


「俺、PVなんてゴミみたいだと思ってたけど……ゼロじゃないんだよな。スライムから冒険者になれたのも、それがあったからだし。こうしてヒロインまで隣にいる。だったら──諦めてどうする」


 言葉にした瞬間、自分でも驚くほど胸の奥が熱くなった。声に力が宿り、目の前の光景が鮮やかに見え始める。


「その通りですわ」


 ミリィが微笑み、羽をひらりと揺らす。その笑みはどこまでも強く、優しく、俺の決意を後押ししてくれるようだった。


「この町の七割は諦めた人々。ですが残りの二割は、まだ生きようとしている。あなたがどちらになるかは、あなたの選択次第です」


「……だったら俺は、絶対に諦めない。モブで終わるくらいなら、這いつくばってでも成り上がってやる」


 胸の中で炎が灯る。冷たい風に吹かれていたはずの心臓が、今は熱を帯びて脈打っているのが分かる。


 俺は剣の柄を強く握り、ギルドへ向かう足を速めた。ここで立ち止まれば、あのループに混ざってしまう。だが前に進めば──物語は、俺の手でまだ変えられる。

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