第六話『書籍化作家の描く異世界』
草原の道を歩く。
背中には見習い冒険者用の安っぽい剣、足元には土と草が入り混じる細い獣道。
遠くには城壁らしき影が小さく見え始め、それが街の存在を確かに知らせていた。
風は生ぬるく頬を撫で、鳥の声がときどき重なる。そんな中、俺の隣をふわふわと飛びながら進むミリィの羽音だけが、妙に耳に残った。
俺は黙々と歩きながら、以前のミリィの言葉を思い出していた。
あの口の悪い時に、確かに自分のことを「この世界の生き字引みたいなもんや」と言っていたのだ。補正されて口調は丁寧になったが、中身は変わっていないはずだ。
「なあ、ミリィ」
俺は街の影を見据えながら声をかけた。
胸の奥で、ずっと引っかかっていた疑問が膨らんでいく。
「この世界って、一体どういう仕組みなんだ? お前、なんでも知ってるみたいに言ってただろ」
ミリィは空中で一度くるりと回転し、ふわりと俺の目線の前に降りてきた。羽が光を反射し、七色の残像を描き出す。その美しさとは裏腹に、彼女は小さくため息を漏らした。
「……仕方ありませんわね。歩きながら少しお話しして差し上げます」
「お、おう……なんか説教前の前置きみたいで怖いな」
「ふふ、説教というよりも解説ですわ」
柔らかな口調なのに、なぜか背筋が伸びる。俺は剣の柄を握り直し、草原を進みながら彼女の言葉を待った。街の城壁はまだ遠いが、少しずつ近づいてくる影を見つめると、まるで答えがそこにあるような気がした。
草原を渡る風がざわざわと草を揺らし、遠くに霞む街の城壁が少しずつ大きくなっていく。俺は足を進めながら、隣を飛ぶミリィに問いかけた。 羽音がかすかに響き、彼女の声がそれに重なる。
「この世界は……そうですね。例えるなら選ばれた作家たちの妄想から形作られているのですわ」
「妄想って……どういう意味だ?」
「文字通りの意味です。あなたもご存じの“なろう”“カクヨム”“アルファポリス”といった投稿サイト、そこで上位0.1%に入る書籍化作家たち。彼らの紡いだ物語と積み重ねた設定と妄想。それが世界そのものを構成しているのです」
「ちょ、ちょっと待て。上位0.1%……だと?」
「ええ。数万人どころか数十万人の投稿者の中で、ほんの一握り。彼らは総PV数でいえば一億を超え、日々十万以上のアクセスを稼ぎ出します。ブックマークは万単位、感想は数千件、評価や☆の数も数万にのぼります」
「……一億PV!? 日十万!?」
俺は思わず声を張り上げてしまった。草むらの中から鳥がばさばさと飛び立ち、空に消えていく。俺の叫び声に驚いたのかもしれない。
「そんな化け物みたいなやつらが……この世界を作ってるってことかよ」
「はい。あなたから見れば、まさに雲の上どころか、天上の存在でしょうね」
「……俺の初期値の6969PVなんて、ゴミカスどころか塵じゃねぇか……」
俺はうなだれながらつぶやいた。足取りが重くなり、まるで草原に足を取られるように感じる。数字を思い浮かべるたび、胸の奥が冷たく締めつけられていく。
「そう卑下することはありませんわ」
ミリィが俺の顔をのぞき込むようにして、羽をひらめかせた。
「確かに規模は天と地の差ですが、ゼロではない。積み上げてきた6969という数字は、あなたの歩んできた証でもあります」
「証ねぇ……。でもさ、そいつらの前じゃ何の意味もないだろ。笑われるのがオチじゃねぇか」
「笑われるかどうかは、これから次第ですわ。でも……笑われてもいいじゃないですか!それでPVや評価されるきっかけになるかも知れないでしょ。ここは忘れないでくださいアクセスが全てな世界と言う事を……」
ミリィは小さく微笑んだ。その仕草は補正前の毒舌まみれの妖精とは思えないほど穏やかで、俺は一瞬だけ言葉を失った。
「……でもなあ、俺の数字を見て証なんて言えるやつ、今まで一人もいなかったぜ」
「だからこそ、わたくしが言っているのです。ここはそういう世界なのですから」
草原を抜ける風が強くなり、俺の髪を乱した。街の輪郭は少しずつはっきりし、現実の重みと一緒に視界へ迫ってきていた。
草原を渡る風が次第に強さを増し、足元の草がさわさわと揺れ続けていた。
遠くに見えていた街の城壁が、ようやく輪郭を持ちはじめ、石造りの高い壁が陽光を反射してきらめいている。
俺とミリィは道を進みながら、その景色を横目に会話を続けていた。
「今あなたが立っている国は、ファンタジー系の作家が作り上げたものです」
ミリィは羽をふわりと広げ、陽光を受けて七色に輝かせながら言った。
「典型的なナーロッパ風異世界。騎士、魔法、王城、市場──あなたがよく小説で妄想したような舞台がそのまま広がっているのです」
「……確かに、草原歩いてるだけでゲームか小説の中にいるみたいだな」
俺は苦笑しつつ、街の影を見やった。心のどこかで「そういう舞台なら俺にもワンチャンあるかも」と思ってしまう自分がいる。
「一方で、別の書籍化作家が創造した『異世界ラブコメ王国』という国もあります」
「ラブコメ王国?」
「はい。学園ラブコメや日常系を得意とする作家が築いた国。恋愛イベントや文化祭のような催しが絶えず続き、人々は青春の輝きの中で暮らしています」
「……なんだそれ、同じ世界観に二つの国があるって、ジャンルごとのテーマパークかよ」
「その二国こそが、この世界における二大勢力なのです。でも、それだけじゃないですよ。ご存じかと思いますが、あなたが参加していた小説投稿サイトには様々なジャンルがあったでしょ。そのジャンルの中にも莫大なアクセスから人気が出て書籍化作家、つまりプロになった方は先程言った0.1%の割合でいると言う事です。勿論それらの作家達は隙あれば取って代わってやろうと思っているのです。ある意味、何が受けるかなんか分からない世界。つまり群雄割拠のアクセス争奪戦って一面もあります」
ミリィはこともなげに言った。俺はため息をつきながら頭をかいた。
「ファンタジー王国とラブコメ王国……なんて分かりやすい対立構図だ。それにそれだけじゃなくジャンル毎に俺からしたらレジェンドクラスの化け物がいる」
「とにかく分かりやすさは読者を惹きつける要素ですからね」
にこやかに告げるミリィの声を聞きながら、俺は内心複雑な気持ちになった。自分がどちらの舞台に立つことも許されないのではないか──そんな不安が、草原を渡る風の冷たさとともに胸に広がっていく。
「ただし、ここからが大事なお話です」
ミリィは俺の目の前に回り込み、真剣な眼差しを向けてきた。
「この国に住む住人や魔物の九割はモブか、それ以下の存在です。背景として消費されるだけで、物語に影響を与えることはありません。恐らくですよ」
「……九割……」
その数字を聞いた瞬間、胸の奥が冷たく沈んだ。俺は空を仰ぎ、苦笑いを漏らした。
「つまり俺は、そのモブすら危うい存在ってことか」
言葉にすると余計に情けなく響く。風が頬を撫でたが、それは慰めというより現実を突きつける冷たさだった。
「そう考えるのは早計です」
ミリィは首を振り、真っすぐに俺を見つめた。
「だからこそ、あなたはPVを稼ぎ、仲間を得て“物語に存在できる人物”にならなければなりません。努力を積み重ねれば、背景から抜け出すことは可能です」
「……物語に存在できる人物、か」
その言葉を反芻しながら、俺は剣の柄を握りしめた。重さはないはずなのに、やけに存在感だけが増していく気がする。
「俺にそんなことができるのかは分からねぇけど……やるしかねぇんだよな」
「その通りですわ。選ばれなかった者の苦しさを、わたくしは理解しています。ですが、それを糧に変えられるかどうかは──あなた次第です」
ミリィの声は柔らかくも、確かな強さを帯びていた。補正前の毒舌まみれの彼女からは考えられない響きに、俺は不思議と勇気を得た気がした。
「……そうだな。せめて、モブのまま終わるのだけはごめんだ」
街の城門がついに視界に迫った。高くそびえる石造りの壁の下では、人々が小さな影となって動き回っている。俺とミリィは顔を見合わせ、言葉を交わさずとも互いにうなずき合い、歩を進めた。




