3 山中の薄味シチュー
西の山の中。
父と山へ入り、木の実を見つけては笑い合い、道なき道を走った思い出が、この山には残っている。そんな見慣れた風景のなか、クライはすぐにアイネの姿を見つけていた。
けれど、いざ声をかけようとすると、足が止まる。
(どうやって声をかければいいんだ……?)
別れ際の気まずい空気が胸を締めつけた。弟子入りを頼んで、拒まれたらどうしよう。自分など足手まといだと思われたら──
心の奥底で渦巻く不安に、声は喉の奥で凍りついたまま。結局、彼女の背を追いながら、クライは息を潜めて木々の間を抜けた。
ほどなくして、道が開けた小さな広場にさしかかる。アイネがぴたりと足を止め、静かに剣に手をかけた。
「――誰だ!!」
冷えた声に、クライの肩が跳ねる。
「村からつけてきたのは分かっている。隠れているつもりかもしれんが、私の目は誤魔化せん。出てこい」
クライは観念し、木陰からおずおずと姿を現す。
「……お前か」
意外な相手に、アイネはわずかに目を見開く。だがすぐに警戒を解き、剣から手を離した。
「どうした。こんな場所まで来て」
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。僕……アイネに弟子入りしたくて、追いかけてきたんだ」
その言葉を聞くなり、アイネは首を横に振る。
「駄目だ」
「な、なんで……?」
覚悟していたはずなのに、クライの声が揺れた。
「当然だ。私は魔物を狩る旅の途中。あまりに危険だ。それに、村の者たちも心配しているだろう」
「ちゃんと村の人には話してきたよ。無茶だって分かってる。それでも……どうしても、アイネの剣を学びたい!」
クライは深々と頭を下げ、懇願の意を示した。
「お願いします! 狩りでも料理でも何でもします!
昨日アイネの剣を見て、僕、夢にまで出てくるんだ。どんなに無理でも……それでも、やっぱり目指したいです!」
しばし黙していたアイネが、ふと視線を落とし、息を吐く
「……私は、教えるのに向いていない。それに、私の剣は魔力がなければ扱えない。しかも莫大な魔力が必要なんだ。だが、お前には……残念ながら魔力がない」
唇を噛みしめながらも、クライの意志は揺るがなかった。
「それでもいい。少しでもいいから、あなたの剣技を学びたいんです!」
必死に頭を下げ続けるクライに、揺るがぬ意志が宿っていた。
アイネはふと、遠い昔の誰かの顔を思い出す。無意識に、息を吐いていた。
「……分かった。だが教えるつもりはない。“見て学べ”。それが条件だ」
クライの表情がぱっと輝き、喜びが顔に広がる。
「あと、お前を連れ回す気もない。次の街に孤児院があれば、そこに預ける。それまでの間だけだ」
「本当に!? ありがとう! じゃあ……あの、師匠って呼んでもいい……ですか?」
「……口調はそのままでいい。呼び名も、“アイネ”で構わん」
「うん! わかったよ、アイネ!」
クライの屈託のない笑顔を見て、アイネの目元にわずかな緩みが走る。
「……これは一時的な同行だ。勘違いするな」
「うん、それでも僕、嬉しいよ!」
真っ直ぐな笑顔に、アイネは肩の力を抜くように息を吐いた。
その夜。
二人は山中で焚き火を囲み、野営していた。
旅の途中、アイネの食事はいつも質素だった。干し肉をかじるか、獲物を捕らえて焼くだけ。味は二の次で、腹を満たせればそれでよかった。
だが今夜は、少し違った。
クライは鍋に湯を沸かし、干し肉と乾燥野菜を加えて、ささやかなシチューを作ってみせた。
「はい、どうぞ」
湯気の立つ器を受け取ったアイネは、無言で一口、口へと運ぶ。
アイネは無言のまま、最後の一滴まで平らげた。
こうしてアイネはじわりじわりとだが、着実にクライに胃袋を掴まれていくのであった。
翌朝。
朝靄の中、アイネは剣を振っていた。切れ味そのままに、風を裂くような鋭い軌道を描く。
少し離れた場所で、見よう見まねで木の枝を振り回すクライ。その眼差しには、必死さと真剣さが宿っていた。
鍛錬を終えると、クライが朝食を用意してくれた。パンと焼いた干し肉、ただそれだけ。それでも不思議と、温かさを感じさせる食事だった。
ふたりの足取りが再び山道を辿り始める。
アイネはクライを気遣い、わずかに歩調を落としていた。
(……文句も言わず、よくついてくる)
そんなふうに思った矢先、空気がわずかに変わる。魔物の気配だ。
瞬間、アイネの身体が青白い魔力に包まれた。風を裂いて跳び出す。
「アイネっ!?」
クライも遅れまいと駆け出した。もちろん、魔力で強化された動きに追いつけるはずもない。だが、慣れた足で山道を踏みしめ、必死に追いかけた。
数十秒後。ようやく辿り着いた光景に、クライは言葉を失った。
地面に倒れ伏した三体の魔物。そして、すでに剣を納めていたアイネの姿。
「はぁ、はぁ……うそだ……もう終わったの……?」
「ほう、もう追いついたのか」
アイネは意外そうに振り返ると、足元を指さした。
「……ちょうどいい。見ておけ。これが“核”だ」
霧散した魔物の消えた場所に、黒く光る小さな球体がぽつんと残されていた。ビー玉ほどの大きさで、仄かに脈動するように見えた。
「魔物を倒すと、こうして“核”が残る。大きさは魔物の強さや種類に比例している。だから討伐の証になる。ギルドや依頼主に提示することで、報酬が支払われるんだ」
「へえ……少し触ってみてもいい?」
「あぁ、構わん」
「石ころみたいなんだね……そういえば、村に出た大きな魔物の核は?」
「あれは現場で討伐された。依頼主がその場にいたから、回収は不要だった」
そう言って、アイネは核を拾い上げ、無造作に腰袋へ放り込んだ。
「ちなみに、この核を研究してる物好きもいるが……今のところ、何の成果も上がっていない。ただの証拠品だ」
「へぇー……そうなんだね」
クライは素直に頷いたあと、ふと眉を寄せる。
「でも、それだけ不思議なものが何もないって、逆に怪しい気がするよ。絶対、何か秘密がありそう!」
アイネは小さく苦笑しつつ、その言葉にふと胸の奥が揺れた。