14 鎮魂歌(アイネの唄)
アイネが語ってくれた過去は、想像を絶するほど壮絶で哀しいものだった。
焚き火の前で、クライは涙を流し、言葉を失いながらも、それをしっかりと受け止めた。
そして火が少し落ち着いたころ、アイネは火の番を続け、クライはそのまま、泣き疲れたように静かに眠りについた。
アイネはぼんやりと焚き火の奥を見つめていた。
揺らめく炎の中に、もういないふたりの姿が浮かぶ。
静かに膝を抱え、胸の奥に残る痛みが、わずかに和らいだ気がした。
夜は静かだった。
虫の声、木々のざわめき、そして風の音だけが寄り添ってくる。
やがて、クライの寝息が穏やかに整ったのを確認すると――
アイネは、そっと唇を開いた。
それは、誰に向けるでもない唄だった。
どこか遠い記憶を手繰るような、懐かしさ。
聴いたことがないはずなのに、胸の奥の深い場所が、確かにそれを覚えているような……そんな幻想的な響き。
旋律は淡く、ゆるやかに空気を震わせる。
意味を持たない、ただの鼻唄――それでも、心の奥に響く、どこか遠い国の祈りの唄のようだった。
それは「言葉にならない祈り」。
ただ生きて、誰かを想い、過ぎ去ったものを悼むような唄。
アイネの唄声は、力強くもあり、脆くもあった。
まるで、崩れかけた希望のかけらをひとつずつ拾い集めるような――
失ったものを胸に、それでも前へ進もうとする静かな決意が滲んでいた。
唄の余韻に溶けるように、焚き火がひときわ高く、ぱちりと弾けた。
焚き火の炎が小さく揺れ、その影の中で、唄はそっと夜に溶けていく。
まるで壊れた世界の中にひとときだけ訪れた静寂のように、
儚く、美しく、そしてあたたかかった。
クライは完全には眠っていなかった。
意識の深いところでその唄を聴きながら、頭の上に柔らかな手が触れる夢を見ていた。
その唄は、子守唄のようで、魂を鎮めるような安らぎを孕んでいた。
夜が明ける少し前。
「……クライ、火の番を代わってくれ」
「うん……アイネ、おはよう」
「……ああ。おはよう」
まだ少し夢の余韻が残っているような声で、クライは言った。
「ねえ、アイネ……僕、綺麗な唄の夢を見たんだ。
もしかして、あれ……アイネが唄ってた?」
アイネはほんの一瞬だけ沈黙し、それから焚き火に背を向けて毛布に包まりながら――
「……さあな。私は少し仮眠を取る。何かあれば起こせ」
それだけ言って、目を閉じた。
クライは水を口に含み、濡らした布で顔を拭きながら、まだ夢の余韻を追っていた。
薪をくべて火を維持しながら、ふと小さく呟く。
「やっぱり……アイネだったよね」
唄を思い出そうとしても、夢の中で聴いた旋律はもう曖昧で、口ずさめず、もどかしさだけが残った。
夜明けとともにアイネが起き、火を始末し、ふたりは近くの川へ向かった。
顔を洗い、朝の鍛錬を終えたあとは、交代で身を清め、パンとうさぎの骨で取ったスープを分け合って食べる。
そして、また新たな一日が始まる。
目的地は、小さな村だった。
旅路の途中、ふとクライが口を開く。
「ねえ……やっぱり昨日の唄って、アイネだったんじゃないかと思うんだけど」
「……知らん。周囲の警戒に集中しろ」
つっけんどんに言い放つアイネ。
だが、ほんの少しだけ耳が赤くなっていたのを、クライは見逃さなかった。
「ふふ……うん、わかったよ」
(……いつか、また聞けたらいいな。あの唄……ちゃんと、起きてるときに)
クライは嬉しそうに頷き、目を細めて草むらの動きに目を凝らした。
しばらく歩いた頃、アイネがピタリと足を止めた。
「……来る」
アイネが察知し、遅れてクライも周囲の気配に気づく。
街道の横の林から、二体の魔物が姿を現した。
二~三メートルほどある中型の個体。黒い影を纏ったような外観。
だが人型ではなく、狼型――闇に溶け込むような黒い毛並みに、赤い目が光る。
よく出くわす人型と違い、狼型は防御面こそ劣るが、俊敏な動きで人型以上に厄介だと冒険者には広く知られている。
アイネ一人ならいざ知らず、クライを同行させている旅では、なるべく出会いたくない相手の一つだった。
不幸中の幸いというべきか、狼型は本来、群れを成す魔物だが、今回は二体だけだった。
「クライ、私の側から絶対に離れるな!」
「わかった! 離れない!」
クライは剣を抜き、身構える。緊張を隠しきれなかった。
魔物たちは素早く動き、ジグザグに走り寄ってくる。
その鋭い爪は獰猛で、爪先の一撃は骨を砕き、肉を裂く威力を秘めていた。
アイネは冷静に敵の動きを見極める。
一体目が鋭い爪で襲いかかる瞬間、アイネは剣を振りかざし、刹那の間に斬撃を放った。
黒い影は音もなく斬り裂かれ、魔物は崩れ落ちていく。霧のように消えていった。
しかし、もう一体が素早く回り込み、アイネの二の腕を爪で掠めた。
鋭い痛みが走り、血がじんわりと滲む。
「アイネ!」
「大丈夫だ、かすめただけだ」
そう答えるアイネだが、クライは不安に胸を締めつけられた。
魔物は攻撃を緩めない。
再び鋭く襲いかかろうとする瞬間、アイネは敵の動きを読み、冷静に身を翻して剣を構える。
「これで終わりだ!」
神速の剣が影を切り裂き、魔物は断末魔の咆哮を上げて倒れた。
クライは、黒い霧のように消えていく魔物の残骸を確認し、
すぐさまアイネに駆け寄って、カバンから傷薬と布を取り出す。
傷口は、かすり傷とは到底言えない――肉が深く抉れていた。
「うっ……」
一瞬、目をそらしそうになるも、クライは歯を食いしばり、傷を洗って布を巻きつけていく。
「し、しみると思うけど……我慢して……!」
手当てを終えたあと、クライは震えた声で言った。
「……っ、こんなの、かすり傷じゃないよ……!」
「言っただろう。私は魔力が高い。自己治癒力を高めれば、この程度、明日には治る。かすり傷と変わらん」
淡々と言いながら、地面に残っていた魔物の核――水晶玉ほどの大きさの黒い球を、アイネは二つ回収する。
「だが、私には他人に治癒魔法をかけたりできない。クライ、お前は気をつけろ」
クライは、振り上げかけた拳を下ろすように、困ったようにうつむいた。
「……ごめん、強く言って……でも、ほんとに、心配したんだ」
アイネは振り返り、少しだけ微笑んで言った。
「……平気だ。心配かけてすまな……いや、ありがとう」
アイネは視線を逸らしながら、それだけ言った。
クライは少しだけ驚いたように目を丸くし――そして、そっと微笑んだ。




