12 小さな一歩
※クライが冒険者として正式に登録します。
少し説明多めですが、物語の次の段階への通過点としてお楽しみください。
フローネンの街を離れて数日が経ったころ、クライとアイネは小さな町に辿り着いた。
その名は――トーナの町。
ふたりがまず向かったのは、いつもの冒険者ギルド。
けれど今回は、いつもとは少しだけ目的が違っていた。
騒然としたギルドの中、アイネは周囲の喧騒をまったく気にせず、まっすぐ受付へと歩みを進める。クライも無言でその後ろを追った。
「いらっしゃい。今日はどんな用件だい?」
明るく気さくな声で、受付のおばさんがふたりを迎える。
「ああ、コイツ……クライの冒険者登録を頼みたい」
そう、クライの冒険者登録――それが、ふたりの今日の目的だった。
正式にアイネの弟子となり、これから各地を旅するクライ。
国をまたぐこともあるだろうし、身分証代わりになるものは持っておいたほうがいい。
そう考えたアイネが、冒険者登録を思いついたのだった。
その言葉に、周囲の冒険者たちがざわつきはじめる。
「ははっ、あのチビが冒険者だって?」
「やめとけやめとけ、魔物に一口で食われるぞ!」
あざけり混じりの声が飛び交う中、アイネはひとつため息をついて、懐から一枚の金属札を差し出した。
「私の推薦だ。問題ないだろう?」
受付のおばさんの目が見開かれる。
「……あらま。Bランクの推薦とはねえ。そりゃあ、もちろん大丈夫よ。すぐに手続きするから、ちょっと待っててね」
そのひと言で、空気が一変する。
さっきまでの笑い声は、たちまち畏れと敬意のざわめきへと変わっていった。
「Bランクだって……?」
「あの女、只者じゃねえな……」
クライはそっと小声でたずねた。
「え、試験とかないの?」
「Bランク以上の推薦があれば、必要事項を記入するだけで登録できる。ギルドの規則だ」
(……なんだか、楽をしてるみたいで嫌だな)
クライは、どこか後ろめたい気持ちを抱えていた。
そんな心を見透かしたように、アイネがクライの頭を軽く撫でる。
「剣の腕は日々上達してる。狩人だった父から受け継いだ弓や薬草の知識も、十分お前の力だ。……私が言うんだ、自信を持て」
その言葉に、クライは力強く頷いた。
やがて受付のおばさんが、用紙を手に戻ってくる。
「はい、お待たせ。ここに名前と生年月日、それからいくつかの基本情報を書いてね」
慣れない筆に手を震わせながらも、クライは父に教わった文字を思い出す。
その様子を横目に、アイネがぽつりと呟いた。
「……まだ九歳、か」
「うん! 言ってなかったっけ? あ、そういえば……アイネは何歳なの?」
「……そうだな。たしか、十八だ」
「ええっ!? まだ十八!? もっと年上だと……」
「どういう意味だ、それ」
アイネは呆れたようにクライの頭を小突いた。
クライは「いたた」と笑いながら頭をさすり、「だって、めちゃくちゃ強いんだもん」と小さく反論する。
まだ文字の読み書きが完全ではないクライは、残りの項目をアイネに手伝ってもらいながら書き終えた。
「ありがとね。冒険者の証は既製の札に情報を刻むだけだから、だいたい二時間もあればできると思うわよ。のんびり待っててちょうだい」
待ち時間を潰すため、ふたりはギルド内の修練場を借りた。
最初は軽い運動のつもりだったが、いつの間にか本格的な鍛錬へと発展していた。
「その構えじゃ隙が多い。腰を落とせ」
「う、うん!」
フローネンでの修行以降、アイネは助言の言葉を惜しまなくなっていた。
クライも真剣に応じる。やがて、二時間はとっくに過ぎていた。
「やばい、受付……!」
「……まったくだ」
あわてて受付に戻ると、おばさんが変わらぬ笑顔で札を手渡してくれた。
「お待たせ。はい、これがあなたの冒険者の証よ」
クライは札を受け取り、そっと彫られた自分の名を撫で、目を輝かせる。
「わあ……ありがとう!」
おばさんは微笑んだまま、ゆっくりと説明を始めた。
「はい、お待たせ。じゃあね、ギルドの仕組みをちょっとだけ説明しとくわね。」
受付のおばさんは書類を片づけながら、クライに優しい声をかけた。
「冒険者にはランクってのがあって、下からF・E・D……って上がっていって、いちばん上がSランク。
で、あなたは今日登録したばかりだから、推薦があってもFランクからのスタートよ」
「そうなんだ……」
クライは少し考えてから、ふとアイネに問いかけた。
「その……アイネって、Bランクなんだよね?」
「そうだ。私は旅をしているからな」
「旅をしてると、ランクって上がりにくいの?」
クライの疑問に、受付のおばさんが代わって答えた。
「そうねぇ。実は、A以上を目指すには“旅暮らし”ってあまり向いてないのよ」
「旅は……向かない?」
「そう。Aランクからは、決まった拠点に所属して、その街での貢献度や実績が昇格の条件になるの。
つまり、あちこち転々としてると“誰の役に立ってるのか”が評価されづらくなるってわけ」
「じゃあ、旅を続けながらだと、上には上がれないんだ……」
「もちろん、まったく不可能ってわけじゃないの。
でも、よっぽど名を上げるか、ギルド本部の目に留まるような活躍でもしないと難しいわね。
だから実力があっても、Bで止まってる人は多いのよ。
Sランクなんて、今じゃ十年ぶりにようやく一人現れたって噂が出てるくらいなんだから」
その話を聞いて、クライが小さくアイネを見上げたとき――
「私はその“Sランク”とやらと戦っても負けん」
アイネは鼻を鳴らして、あっさりと言い放った。
「うん! アイネなら絶対に負けないよ!」
クライの無垢な声に、アイネはそっと口元を緩めた。
それを見た受付のおばさんも、やわらかく微笑んで口を開いた。
「ふふ。じゃあ、話の続きをするわね。FとかEのうちは、“なんでも屋”みたいなものよ。掃除、荷運び、薬草採り……そういう雑用が多いの」
「なんでも屋……」
クライはほんの少し眉をひそめた。想像していた冒険者とは、だいぶ違う。だが、横で聞いていたアイネはふっと笑って肩をすくめた。
「魔物討伐はDランクから。Eはそのための下積みってとこだな」
「そっか……登録しただけで、すぐ戦えるわけじゃないんだね」
クライは札を見つめた。銀色のその札には、自分の名前が刻まれている。けれど、それを持ったからといって、すぐに“冒険者らしく”なれるわけじゃない。胸の中に、小さなもどかしさが残った。
「でもね、地道に依頼こなしてけば、昇格の審査が受けられるの。合格すればランクも上がって、魔物退治や護衛の依頼も回ってくるから」
「うん、頑張る!」
おばさんの言葉に、クライは気を取り直したように笑った。
「それと、魔物を倒すとね、“核”っていう黒くて丸い玉が出ることがあるのよ。それをギルドに持ってくれば、報酬がもらえる。“常時依頼”ってやつで、いつでも受け付けてるの」
「知ってる! 前にアイネが黒い玉を渡してた!」
「ふふ、えらいわね。でもね、もし掲示板に“討伐依頼”が出てる魔物だったら、報酬がさらに上乗せされるのよ。依頼主が報奨金を出してるからね」
(……アイネも、そういうのをちゃんと確認してたんだ)
クライは心の中で頷く。自分も気を抜かず、ちゃんとやらなきゃ――そんな気持ちが少しずつ芽生えていた。
「それから、“管理魔道具”ってのがあってね。だから、依頼を受けた町と違う場所でも、“達成証明書”にサインさえあれば、報告も報酬の受け取りもできるようになってるの」
「へえ……」
「ついでに言うと、ギルドには銀行機能もあるの。お金を預けたり引き出したりできるし、ちゃんと魔道具で管理されてるから、勝手に盗まれたりはしないわ。おばさんだって使ってるくらいだから、安心していいわよ。」
「職員のおばさんが使ってるなら大丈夫そうだね!」
クライがそう返すと、おばさんは笑いながら続ける
「最後はおばさんから一言。命を大事にしてね。焦らず、少しずつ経験を積んでいけばいいわ。それじゃあ――良い冒険をしてね」
「うん! ありがとう!」
ギルドを出たところで、アイネがぽつりとつぶやく。
「……革紐でも買っておくか」
「うん! そうだね!」
露店で黒い革紐を買い、アイネはそれを札に通して、クライの首にかけてやった。
「ありがとう! これでアイネとお揃いだね!」と満面の笑みを見せるクライに、アイネも静かに目を細め、そっと頷く。
その夜は宿を取り、翌朝からクライの冒険者としての生活が始まった。
最初の仕事は、掃除や荷物運びといった、冒険者のイメージとはかけ離れた雑用ばかりだったが――
クライは手を抜かず、どんな依頼にも真面目に取り組んだ。
その姿を、アイネはときおり手を貸しながら、黙って見守っていた。
それは、アイネ以外は誰もが見過ごすような、小さな一歩。
けれど、クライにとっては――遠い未来へとつながる、確かな第一歩だった。




