11 フローネンに残るもの
クライとアイネが静かに立ち去った街、フローネン。
あの夜に起きた教会の事件は、単なる内部の腐敗にとどまらず、街全体に波紋を広げていた。
晒された証拠の中には、街の衛兵の名も複数含まれており、取り調べの末に数名が罷免された。上層の一部は監督不行届を理由に減給や降格処分を受けたが、事実上の「見せしめ」にすぎなかった。
「命令だった」と言い訳を並べた者もいたが、街の人々の怒りと失望の前に、その弁明はもはや通用しなかった。
また、帳簿に記されていた貴族たちの名はさらに大きな波紋を呼んだ。名の挙がった地方領主や貴族商人たちは、教会本部や王都からの査問に晒され、次々と使者や調査官が屋敷に姿を現すようになった。
沈黙を守る者、責任をなすりつけて部下を切り捨てる者、裏で手を回して証拠隠滅を試みる者――それぞれの反応が、かえってこの事件の根深さと広がりを浮き彫りにしていった。
「吊るされたのは二人だけだったけどさ……ほんとに裁かれなきゃいけないのは、もっと他にいるのかもしれないねぇ」
とある宿屋の女将の何気ないぼやきは、やがて街のあちこちで、囁かれるようになった。
冒険者ギルドも、無関係ではいられなかった。
事件の翌朝、ギルドは異例の声明を掲示した。
【今後、未成年者に関わる依頼は、内容を問わず本部による精査を通す。
ギルドは金を得るための場所であると同時に、人を守る場所でもある。
見て見ぬふりをした者がいたなら、それは過ちであり、今から改めていく。】
静かではあったが、明確な意志が感じられる文言だった。街の者たちは足を止め、それを読み、そして小さく頷いた。「何かが変わり始めている」と、誰もが思った。
ギルド内部でも、新たな基準が設けられた。子供を対象とする依頼や保護に関する案件については、事前の調査と依頼人の信用確認が義務づけられ、曖昧な案件は却下されるようになった。
それを先導したのは、事件を前に明らかに姿勢を変えたギルド長だった。
彼は多くを語らない。だが、職員の報告にきちんと耳を傾け、ときに自ら現場を訪れて状況を確かめるようになった。受付に立つ職員の表情も変わり、以前なら面倒がられていた子供の相談にも、今では真摯に対応する者が増えていた。
かつてギルドに染みついていた「金にならぬ仕事は後回し」「厄介事は他所へ回せ」という空気は、少しずつではあるが、着実に薄れていた。
やがてこの事件の余波は街の外にも及び、貴族の使者や教会の調査員、地方の役人たちが次々とフローネンを訪れた。
「司祭と修道士があんな末路を迎えたというのに……それを仕組んだ者の正体が、誰も掴めていないのか!?」
「事前に動いた者がいるはずだ。内部からの情報提供がなければ、こんな奇襲は不可能だろう」
探るような言葉が、冒険者ギルドにも向けられた。
だが、誰も“女剣士”や“少年”の名を知っている者はいなかった。ただ、何かが起きたという事実だけが噂となっていた。
それでも、ギルドの長は終始落ち着いた様子で、問いをはぐらかし続けた。
「我々が把握しているのは、被害と依頼に関する記録だけだ」
「忙しいんだ!誰が何を見ていたのかは、その辺の犬にでも聞いてくれ」
そう言って、やんわりと詰問をかわしながら、決して核心には踏み込ませなかった。
“誰が動いたのか”という疑問は、ついに明かされることはなく、
女剣士と少年の存在も、ただ闇の中に紛れていった。
ギルド長は多くを語らなかった。
けれどその沈黙は、明確な意志を持って守られたものだった。
市場の片隅でも、事件の話題は尽きなかった。
「俺、なんとなく知ってたんだ……でも、どうにもできなかった」
「今なら言える。見て見ぬふりをするのは、加担するのと同じだ」
そんな声が聞かれるようになっただけで、街はわずかに――確かに変わっていた。
南通りの職人街に店を構える鍛冶場では、ヴァルツが黙々と剣を打ち続けていた。
火花が散り、熱気が辺りを包む。打音だけが規則正しく響き渡る。
その間、誰もヴァルツの作業を邪魔しようとはしなかった。
孤児院――いや、今では「保護院」と呼ばれるその場所にも、変化の兆しが現れていた。
司祭の失脚後、教会の孤児院は切り離され、冒険者ギルドや街の役人の協力のもとで再編される。
新たに設けられた保護院では、暴力や搾取は一切禁じられ、子供たちの安全と尊厳が最優先とされた。
元修道士・コロラドもまた、街に残った者の一人だった。
教会の衣を脱ぎ捨てた彼は、今や保護院で子供たちの雑事を担っている。
かつて沈黙し加担していた罪を背負いながら、それでも逃げなかった。最初、子供たちの目は冷たかった。だが、彼は黙って応え続けた。
暴力ではなく、祈りでもなく、手を動かし、壊れたものを直し、傷ついた心に温かいスープを差し出した。
そしてある日、一人の少年がコロラドにそっと呟いた。
「……おじさん、前より静かだけど……少し優しくなったね」
その言葉に、彼はただ、静かに頭を垂れた。
町医師――若い女性医師もまた、子供たちに寄り添っていた。
あの夜、怯えていた少女や、名もなき多くの被害者たちに優しく語りかけ、無理に問うことは決してしなかった。
「あなたが話したくなるまで、私は待つ。……その間、痛いところだけ教えて」
身体の傷を癒しながら、心の痛みにもそっと寄り添う診療は、子供たちの小さな変化を導いていった。
笑えるようになった者。眠れるようになった者。
そして、声を上げられるようになった者。
すべてが魔法のように変わるわけではない。
けれど、あの夜に灯された意志は、確かに人々の中に根を張り始めていた。
それは――
誰かの正義ではなく、自分自身の良心によって。
ふたりの旅人が去ったあとの街に、奇跡は起きなかった。
だが、少しだけ「まともになった」現実が、そこにあった。
それは、奇跡よりも確かな変化の兆しだった。
そんな街の喧騒は、どこ吹く風とばかりに。
クライとアイネは、のどかな街道を馬車に揺られていた。
遠くに丘が連なり、草の匂いと風の音が心地よく通り抜けていった。
クライはアイネを見やり、目を細めた。心地よい風が、二人の髪を揺らしていた。
前回ブクマと評価、押していただいて本当にありがとうございました。
小説人生で初めてのことで、すごくうれしかったです。
これからも静かに物語は続いていきます。
よければ、また読みに来てもらえると嬉しいです。




