10 暁の処刑台 後編
※この話には一部、不快に感じるかもしれない描写があります。
苦手な方はご注意ください。
修道士の案内で、三人は慎重に教会の中を進んだ。
夜の静寂を裂かぬよう、アイネはクライの手を引き、気配を殺して歩く。途中、通路を横切ろうとした修道女の姿が見え、アイネは素早く接近して首元に手刀を落とした。ごく静かに、しかし容赦なく。
気絶した修道女の体を、そっと物陰に寄せる。
やがて、司祭の執務室の前へと辿り着いた。
クライと共に壁の影に身を潜め、アイネは修道士に目配せする。
「……ノックして、中にいるか確かめろ」
修道士は小さく頷き、扉を叩く。
――返事はなかった。
アイネはクライの短剣を抜き、刃先を鍵穴に差し込んで内部を探る。カチ、と音がして、錠が外れる。
「入るぞ」
中は静まり返っていた。重厚な机、装飾過多な椅子、棚に並ぶ金の細工――神の名を騙る男にふさわしい、悪趣味な空間だった。
アイネは迷うことなく机の引き出しを蹴破り、中から帳簿や契約書、寄付金の流れを記した書類の束を引き抜く。
「……奴隷売買の記録に、貴族との取引……街の衛兵も関わりあるようだ。……全部あるな。これで充分だ」
書類を懐に収めると、次は“本丸”へと向かった。
教会の奥、居住区画。その一室――司祭の寝所。
男は豪奢なベッドで喧しいいびきを立てていた。
その顔を、アイネは無言で見下ろす。
――次の瞬間。
「起きろ、下衆が」
容赦ない拳が司祭の顔面を打ちぬいた。
派手な音とともに、男の首が反り返る。目を見開いた司祭が状況を理解する間もなく、腹へ二発目の拳が沈んだ。
「ぐっ……がはっ……!」
三発目は頬骨を砕く角度から。四発目は鳩尾に突き刺すような一撃。
「クライに二発くれてやったんだろう。なら、倍返しだ。」
呻きすら上げられず、司祭の体はベッドから転げ落ちる。顔は腫れ上がり、床に吐き出した血の音だけが、静寂を切り裂いた。
アイネは淡々と、ロープで男の手足を縛り上げる。
その目に、怒りの炎は消えていなかった。
次に向かったのは、丸眼鏡の修道士の部屋だった。
静かに扉を開けると、中には信じがたい光景があった。
ベッドの上で、全裸の丸眼鏡の修道士が、少女にのしかかっていた。
少女は虚ろな目をしていた。涙がぽたぽたと頬を伝い、喉からはかすれた小さな悲鳴が漏れかけていたが、アイネの冷たい視線が一瞬の沈黙をもたらす。
――絶望の淵に沈んだ少女の全てを、その瞳は物語っていた。
アイネの薄紅の瞳が冷たく細まり、次の瞬間、容赦のない拳が振るわれた。
一発目は側頭部に。二発目は吹き飛んだ男の溝落ちを蹴り付け。三発、四発、目の前の少女の分も込めて五発と叩き込む。
男が崩れ落ちる間、少女は震えながらも、少しだけ安堵の息を吐いた。
ロープで男の身体を縛り上げると、アイネは少女に乱れた衣服を直すよう促し、そっと声をかけた。
「誰にも言わない。私たちが出て行ったら、自室に戻って休め」
少女は小さくうなずき、涙をぬぐいながらも、わずかな救いを感じているようだった。
アイネが二人の悪党を軽々と担ぎ上げると、修道士が小声で言う。
「クライ君の弓ですが……私の部屋にあります。取りに参りましょう」
「……わかった。案内しろ」
廊下を抜け、修道士の部屋で弓を取り出すと、彼はそっとクライに手渡す。
「……これが、君の」
クライは小さくうなずき、弓を受け取った。
「ありがとう」
少年のかすかな声に、修道士の肩がわずかに揺れる。
それを見届けたアイネが、低く問いかけた。
「他に、まだクズはいるか?」
問いの鋭さに、修道士はうつむいたまま、喉を鳴らした。
「……いえ。……あとは、私くらいです」
少しの間があった。だが、アイネは振り返ることなく言い放つ。
「そうか。ではもう行くぞ」
修道士が、その背にすがるように問いかける。
「あの……私への罰は……?」
アイネは足を止め、ゆっくりと振り返った。
「知らん。そんなもの――お前の信じる神にでも頼め」
その言葉に、修道士は顔を歪めて沈黙する。
「……それでは……」
呟く声には、迷いと悔い、そしてわずかな希望が混ざっていた。
そんな彼を見据えて、アイネはただ一言。
「なら、これからは抗え。修道士らしく――弱者を救え。何があっても、だ」
修道士の目が揺れる。そして、小さくうなずいた。
アイネはクライを背負い、屋根へと登る。
「おじさん、じゃあね」
クライが小さく別れを告げると修道士はただ、深く頭を下げた。
星空の下、アイネとクライは屋根から屋根へと音もなく移動し、やがて広場に面した民家の屋根に辿り着いた。
ロープに吊るされた二人の男が、風に揺れている。その足元、壁には奴らの悪事を記した書類が打ち付けられていた。
「……これで、終わりだ」
ふたりは宿に戻り、騒ぎに巻き込まれないようにと慎重に荷物をまとめて街を後にした。
夜が明け、早朝の広場にはすでに人々が集まり始めていた。
隣接する市場からも足を運んだ者たちが、吊るされた司祭と修道士の姿に息を呑む。
その足元の壁には、奴らの悪事を記した大量の証拠書類が打ち付けられていた。
その異様な光景に、人々は最初、ただ唖然とするばかりだった。
「……まさか、あの司祭が……?」
「本当なのか……あの子たちは……」
沈黙が怒りに変わるのに、時間はかからなかった。
「子供を……!」
「金を騙し取ってたんだぞ、あのクソどもが!」
罵声が飛び交い、石が投げつけられ始める。
その時、吊るされた二人が顔を歪め、声を張り上げた。
「違う! 私は無実だっ……助けてくれ、誰かぁっ!!」
「やめろっ、やめてくれえええええっ!!」
顔面を打たれ、涎と涙を垂らしながら、二人は吊るされたまま喚き散らす。
だが、群衆の怒りは止まらない。
広場は地鳴りのような怒号に包まれた。
騒動は瞬く間に街中へと広がり、いかに後ろ盾を持つ身でも庇いきれる状況ではなかった。
教会本部は責任逃れのため即日で二人を破門。
司祭の生家であるロートシルト家も、「関与なし」と声明を出して男を追放。
丸眼鏡の修道士もまた、教会と司祭の威光にすがっていた男にすぎなかった。
涙と涎を垂らしながら喚き続ける彼らの声は群衆の怒りが渦巻く中、もはや誰も彼らを守ろうとはしなかった。
司祭と修道士はその日のうちに拘束された。
彼らに待つのは、神の裁きか、それとも民衆の報復か。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
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