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9 暁の処刑台 前編

 月が静かに夜空を渡る晩だった。


 雲ひとつない空に浮かぶ白銀の月が、街並みを淡く照らし出している。その冷たい光の下、教会の屋根に、一つの黒影が音もなく降り立った。


 黒いマントを翻し、猫のように低く構えるその姿は、夜そのものに溶け込んだかのように静かだった。


 ――女剣士、アイネ。


 彼女の手には、短剣が握られていた。クライの父から託された、重みある鍛鉄の刃。柄には長年を経た彫刻が刻まれ、月明かりの下でかすかに浮かび上がっている。


 アイネは無言のまま、教会の小窓を見やった。古びた蝶番と堅牢な鍵が、静寂の中で重々しく佇んでいる。


「……少し、借りるぞ」


 囁くように呟き、短剣を逆手に構え直す。柄を蝶番に当て、周囲の気配に耳を澄ませた。


 風が木々を撫で、夜鳥が遠くで鳴いた。だが、人の気配は――ない。


 刹那、アイネの腕が鋭く動く。


 ――バキン。


 乾いた音と共に蝶番が砕け、小窓が軋んだ。アイネはすかさずその隙間から滑り込むようにして、音もなく教会の中へと侵入した。


 蝋燭すら灯されていない廊下は、夜の底のように沈黙していた。慎重に、一歩ずつ足を運ぶ。


 角を曲がったその先に、ローブ姿の修道士の背が見えた。


 判断は一瞬。アイネは音もなく駆け寄り、背後から口を塞ぎ、短剣を首筋にあてた。


「騒いだら、殺す」


 低く鋭い声に、修道士の体がびくりと震える。恐怖に目を見開き、必死に頷いた。


「質問に答えろ。今朝ここに預けた、黒髪で金の目の少年――クライはどこにいるか知っているか?」


 その名に、修道士の目がさらに見開かれた。だが、驚きの奥には、どこか安堵の色が滲んでいた。


 ――この背後の女こそ、クライが語っていた“アイネ”なのだ。


「……案内します。静かに。誰にも気づかれぬよう」


「いい判断だ。命は大切にしろ」


 短剣の切っ先を背に感じながら、修道士は振り返らず廊下を進む。その背には、何かしらの覚悟が宿っていた。


 やがてたどり着いたのは、石造りの階段だった。地下へと続くその階段からは、湿った冷気が立ち上り、肌を刺すようだった。


 階を下りるごとに、空気はどんどん澱んでいく。まるで、外界とは隔絶された異空間のように。


(……こんな場所に、アイツを……?)


 唇を噛みながら最下段へ足を下ろしたとき、アイネの目が暗がりを捉える。


 奥の牢の中。うずくまる、小さな影。


「クライ!」


 叫ぶように名を呼ぶと、少年が顔を上げた。金の瞳が、夜を照らす月のように輝いた。


「……ほんとに、夢じゃないよね……?」


 声を震わせるクライに、アイネは駆け寄った。


「すまなかった、遅くなった。怪我はないか?」


「少し……棒で叩かれたけど、でも平気! もう大丈夫だよ!」


 強がるように笑うクライに、アイネは目を細め、剣を鞘から抜いた。


「……少し下がっていろ」


 その一言とともに青白い魔力を纏い、鋭い斬撃が放たれる。


 ――キンッ。


 乾いた音を残し、重厚な鉄格子が真っ二つに裂けた。


 修道士は思わず後ずさる。その隙に、クライが駆け出し、アイネの胸に飛び込む。


「ありがとう……! 本当に、ありがとう……!」


 アイネはしっかりと抱きとめ、小さく呟いた。


「礼はいい。……本当に、すまなかった」


 その声は、普段の彼女にはない柔らかさを帯びていた。


「もう、二度とこんな思いはさせない。クライ――お前を、絶対にもう手放さない」


 クライは目を見開き、戸惑いながらも問いかける。


「本当に……? 僕、邪魔じゃない……?」


「邪魔なものか。……いないと、困るんだ。いろんな意味でな」


 その言葉に、クライの目が潤む。そして、大きく頷いた。


「うん!……ねえ、また剣、教えてくれる?」


 アイネは微笑み、しっかりとうなずいた。


 ふと、クライがアイネの背後にいる修道士へと目をやる。


「――あっ、さっきのおじさん! おじさんがアイネをここまで連れてきてくれたんだね。ありがとう!」


 修道士は困ったように眉を下げ、小さく呟いた。


「……いや、勘違いしないでくれ。私はただ、脅されて案内しただけだ」


 アイネは目を細めた。

 閉じ込められていたはずのクライが、修道士と気安いやりとりをしている。

 その様子が気になり、アイネは鋭い視線を修道士に向けた。


「……なぜ、クライがお前に感謝する?」


 アイネの声が鋭く響いた。


 その問いに、修道士は口をつぐみ、わずかに顔を伏せる。

 沈黙のあと、重い息と共に言葉が漏れた。


「……彼を牢に押し込んだのは、私です。殴られるのも……見ていた。私は、司祭の命令に怯えて、それを言い訳にして……何もしなかった」


 アイネの目がさらに細くなる。


「司祭に命じられたとしても、お前自身が手を下したのは変わらん。

 その目で見て、黙っていた。その時点で、貴様はもう加担者だ」


「……ええ、わかっています。命令が怖かった。でも、それよりも、自分が楽だったから逃げたんです。

 何もせずに背を向けて、見なかったことにし……彼だけではなく、何人も見殺しにして売った……」


 言葉に詰まり、声は震えていた。

 涙が瞳からあふれ、深い後悔が滲んでいた。


「……私は、最低の人間です。」


 その告白を聞いていたアイネは口を開いた。


「……それで貴様はどうするんだ、ここでただ泣いて終わりか?」


 修道士の肩がびくりと震える。

 そのままの姿勢で、彼は続けた。


「……私に何もできるとは思っていません。だが、目を背けることも、もうできない。これは贖罪でも、償いでもない。ただ――私は、あなたたちを連れて行く。終わりを、必ず自分の目で見届ける責任がある」

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

クライとアイネふたりの旅路を、これからも描いていけたらと思っています。


今後は、毎週 月曜・金曜の朝7時に更新予定です。

よければ、引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。

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