【BLポメガバース】恋するわんこの条件は
いつの頃からかの腐れ縁で、ことあるごとに張り合ってきたあいつ。最初に声をかけてきたのがどちらからだったのかもよく覚えていないけど、あいつに負けないようにあれこれ戦略を巡らせるのも、追い抜かれてはまた追いかけるのも楽しいと思ってた。
気がつけばあいつのほうが頭ひとつほど背が高くなっていたのも、おれが目で追っていたはずのあの子の視線が大体あいつの目の高さに見上げていることも、いつか追いついてやるから今は気にしてなんかない、ないったらないんだからな……!!
だけどおれが今どうしようもなく気になるあの子は、おれがあいつと一緒にいるときも、おれがひとりでいるときだって変わらずいつでも可愛く笑ってくれるんだ。正直あの子とどこで接点があったのかなんて実は思い出せてはいないけど、分け隔てなくあんな笑顔を向けてくれたら気になってしまうに決まってる。
それが気に入らないのか知らないけれど、あの子が視界に入るたび、あいつはなにかを言いたそうにしていることに気づかないほどおれも馬鹿じゃない。だけど、おまえは引く手数多かもしれねえけどさ、たまにはおれにも夢ぐらい見せてくれたっていいじゃんか。
そんなことを考えながらひとりで歩いていたら、まさにあの子がニコニコしながらベンチに座っているのが見えた。モコモコと暖かそうなぬいぐるみのような……いや、犬を抱えているのもまた可愛いな。おれも犬なら、ああやってあの子の腕に……いや、なに考えてるんだ違う違う!
これは話しかけるチャンスだとばかりに近づけば、こちらに気づいた彼女がすごく嬉しそうに笑ってくれたのは勘違いではないと信じたい。
「や、やあ。あの……か、かわいいね」
「でしょ? ほら、かわいいってさ。撫でてもらいな」
「い、いいの?」
「もちろん」とわんこの頭ををこちらに向けてくれたので、恐る恐る手を伸ばしてみたけれど。
「……ねえ、なんかすごく嫌がってない?」
「ふふ、緊張してるのかもね」
そうは言いつつも、このわんこ、ものすごく逃げたそうにジタバタしてるように見えるんだけどな。確かにそれも可愛いんだけど。
「でもまあせっかくだしな……ところで、この子名前は?」
「ああ、名前はね……あっ」
さっきからずっとジタバタしていたわんこがついに彼女の手を振り解いて飛び上がるようにして逃げ出した。
「あっ! ……ねえ、追いかけなきゃ」
可愛いわんこが走って逃げていくのに、妙に彼女は落ち着いている。
「ああ、いいの。私の飼い犬じゃないし、あの子はちゃんと帰れるから」
「そう、なんだ?」
「今日は残念だけど、また遊んでね」
「うん……?」
◆
今日もまたあいつと挨拶代わりの言い合いをしながら歩いていると、少し遠くで歩くあの子と目が合って、笑ってくれた気がしておれもつられて口元が緩んでしまう。
「っ、あ」
「…………」
なんだか嬉しくて気持ちまで緩んだ瞬間に、いつのまにかおれの一歩前に来ていたあいつの身体にぼすんとぶつかった。
「は、びっくしりした」
「……あいつが、好きなのか?」
「へ……?」
突然なにを言い出すのかと思えば『あいつ』ってあの子のことだよな?
「好きっていうか……確かに気になってはいるけど」
別にそれは本当のことだし、隠したところで今のおれの態度を見ればわかることだしな。
「あいつは、やめとけ」
「え?」
「……いや、やっぱいい」
「なんだそれ。お前もしかして」
「それはない」
いやおれはまだなんも言ってねえけどなんだそれ。
「だったら」
「ああ、だから、やっぱいい」
「なんだそれ」
「…………」
絶対なんか隠してるだろ。お前もやっぱり、あの子が好きなんじゃねえのかよ。
◆
あれがきっかけなのかどうかは知らないけれど。最近あいつの付き合いが悪くなってきたのは気のせいだろうか。元々約束なんかしてるわけではないけれど、暗黙の了解みたいにおれと連んでいた放課後もなんとなく避けられてるような。
だけどよく考えてもみればおれたちは別に友達かっていえばそうじゃない、まあそうだよな、大体おれが突っかかってるほうが多いもんな。なんて考えると何故か胸が締め付けられるような気持ちになるのはなんだこれ。
そんなふうにモヤモヤしていたら、噂をすればあいつがいた。あれ、おれ今まであいつになんて声かけてたんだっけ、なんて思わず躊躇しているうちに早足のあいつの背中が遠くなっていく。
声はかけそびれてしまったけれどこれは単なる直感で、どことなくなにか思い詰めているようなあいつの表情が気になって追いかけた。
◆
普段はひと気のない校舎裏に駆け込んで行ったところまでは見えていたはずのあいつの姿は既に見当たらない。反射的に全速力で追いかけるなんて慣れないことをしたせいで息が苦しくて、その場でしゃがみ込んではあはあと呼吸を整えていると、少し先から聞き覚えのある話し声の主がこちらに向かって歩いてくる。
「はあ、これ、最近ひどくない? こっちは役得だから別にいいけどね」
『クッソ、元はと言えばお前が……』
「あーはいはい、可愛い可愛い」
またあのぬいぐるみみたいな犬を抱きかかえているあの子と話しているのは……あいつの、声か? だけどどう見てもあいつの姿は見えなくて、あの子が話している相手はどう見ても犬で。あの犬が……あいつの声で話して……いや、まさかあれがあいつだってのか?
あいつがあんなふうににあの子に抱かれて可愛がられていたなんて。そりゃああのときおれが触れるのも嫌そうだったのも、逃げていったあいつを追いかけなかったあの子の態度も、そしておれがあの子に好意を持つのを嫌がったことも全部繋がった。
だけど、それはそれとして――
『ああもう、マジで余計なことすんじゃねえぞ』
「はーいよしよし、わんわん可愛いね。残念ですけどなに言ってんのかわかりませーん」
そうだよ、普通に考えてあいつの声であろうとなかそうと、そもそも犬の声なんて聞こえるわけがない。なのにどうしておれに犬の言葉が聞こえてるんだよ!?
「あれ? こんなところにわんちゃんがもう一匹? あっ……と、この服は」
『あ? っ、お前、まさか』
なにが起こっているのか全くわかんねえけど、つまりは――そういう、ことだよな
よし、おれはなにも見ていないからな!!
『っ、おい、待ちやがれ』
「あっ……ほんとにもう……」
とにかくはやくここを立ち去りたくて踵を返せば、すごい、この身体……めちゃくちゃ速く走れるぞ!?
気持ちは何故だか泣きそうなのに、軽やかに風を切るのが気持ちいい。だけどいつもと違う視界の中で、どこを目指すわけでもなくただ走っているだけじゃあやっぱりあいつには敵わない。
『おい、待てって』
『…………!!』
同じ犬同士、なんなら犬としてはあいつのほうが先輩なのだから考えてみれば当たり前だけど。やがて追いついてきたあいつに後ろから飛びかかられて、重なるようにしてのしかかられる。
『はぁ……やっと追いついた』
『はぁ……なんで……』
『なんでって……はぁ、そりゃそうだよな』
そりゃあこんなの、言いたいことも聞きたいこともありすぎる。
『そもそも、お前……なんだよな』
『ああ、俺だよ。俺んち、遺伝的に犬化家系らしいんだけど……あいつは遠い親戚で、世話になってた』
『そう、なんだ』
別にそこまでおれに言い訳することなんてないのにな、なんて考えてしまうのはどうしてだろう。
『お前も、お前なんだよな』
『うん、そうみたい』
『そっか……悪いな、もう少しであいつに抱っこしてもらえたのに。俺がいたから勘違いしたろ』
『は!? 違っ』
なんだそれ、そんなこと考えもしなかった。だけど確かに、すごくモヤモヤしてあの場にはいられないと思ったのは間違いないはずなのに。
『……違うのか?』
『違わなっ……いや、違うかも』
『なんだそれ』
『おれ……おれの知らないお前が、あの子に可愛がられてるのを見てられなくて』
うまく言葉にできないけど、きっとそういうことなんだ。
『は……俺にとっちゃあ屈辱だけどな。……って、なんだって?』
『お前はあの子のこと好きなんだから、別にいいのにな』
『は? だから違っ……、なあ、それ俺、自惚れていいやつ?』
『え……?』
なんだって? どうして、お前が、自惚れるって……?
『は……そっか、ははっ』
『えっ、ちょっ、なに言って』
おれ、もしかしてなにかとんでもないこと言ったのか?
「はいはい、そこまで」
微妙に噛み合っていない会話にどこから突っ込めばいいのか頭がぐるぐると回りはじめたところで、ばさりと大きな布のようなものが覆い被さり視界が暗転した。
「ほら、イチャつくなら服着てね」
「チッ……お前マジでこういうとこ。まあ今回は助かったわ」
「でしょ? もうほとんど戻りかけてるんだから、早く早く。ああこっち向くなってば」
「は、悪いな。さすがに今度礼するわ」
はあ、遠い親戚って言ったっけ。やっぱり仲いいんだな。
「ほらほら、あんたの大好きなわんちゃんが寂しそうにしてるじゃない。ちゃんと捕まえときなさいよ」
「あーはいはい、ありがとな」
「じゃ、私は行くから。ちゃんとやんなさいよ」
「おー」
「つーわけで、ほら」
あの子と軽口を叩いているのを眺めているうち、いつのまにか何事もなかったようにすっかり服をきていつも通りのあいつがそこにいた。
ただいつもと違うのは、おれは犬の姿のままで、あいつにひゅっと抱え上げられあいつの部屋に連れて帰られて。何故かそのまま降ろされることなく胸の前でぎゅっと抱きしめられている。
「この感じだと……お前は犬化するの、たぶん初めてなんだよな」
『ああ……』
伝わってんのか伝わってねえのかよくわかんねえけど、おれなりに肯定の意味で頷いた。
「ふは、可愛いな。そっか、そうだよな。」
あ、やっぱ言葉はわかんねえんだな。
「俺もよく知らねえんだけど、こういうさ、すげえストレスがかかったときに犬化する人間がいるわけよ」」
『ああ』
もうおれの返事を待たずに勝手に話すことにしたようだが、気持ちだけでも相槌を返しながら耳を傾ける。
「それでさ、俺が初めて犬化したは……お前のこと好きかもって気づいたとき」
『……は?』
今、なんて?
なんだそれ、どういうことだよって言ってやりたいのにものすごい力で抱きしめられていて、振り返ることすらできやしない。
「あの女……俺は真剣に悩んでるってのに面白がってすげえニヤついて見てくるし、お前のことまでそういう目で見やがって」
『…………』
「それでまあ、んなことお前に言えるわけねえし、余計ストレスでもうヤバかったんだけど。やっと言えてスッキリしたわ」
なんだ、なんだよそれ。
「まあそういうことだから。お前ももう、俺にしとけよ?」
「は……」
いや、意味がわかんねえから。
大体、顔は見えねえのになんかニヤついてるのが気配でわかるのがなんか腹が立つ野郎だな。
「ちなみに、逆に安心したり、嬉しかったりすると元に戻るわけ」
ああもう、無駄にかっこいい低音でわざとらしく囁いてくるんじゃねえ!!
「お前、そういう……!!」
「あー、俺すげえ幸せだわ。もうそういうことで、いいよな?」
気づけばおれはとっくにヒトの姿に戻っていたのに、なのにこいつはおれをぎゅっと腕の中に抱えて離さない。
こいつの身体は雑に羽織ったシャツ一枚だけを隔てておれの背中にぴったりとくっついて、混ざっちまったんじゃねえかってぐらい心臓の鼓動が全身に響いてくるし無駄に温かいしなんなら熱い。
「そ……そういうことで、いいんじゃね」
「はは、嬉しい」
「……責任、取れよ」
「うん、喜んで」
おれを抱きしめて離さないこいつの腕が愛おしくて心地よくて、おれも離れたくないなと思ったから押さえるようにしてそっと自分の手を添えて。
顔が見たくてゆっくりと振り返ってみれば見たことないような優しい視線とぶつかって、めちゃくちゃときめいてしまったのはもうこれはそういうことだろう。堪らず触れたくなってもう片方の手を伸ばしたら、どちらからともなく目を閉じ唇を重ねて幸せに浸っていた。
***
(はあー、すげえ幸せなんだけどやべえなこれ、先に服着せときゃよかったな……)
こてんと俺に預けられてくるこいつの身体は、すっかり気が抜けて安心しきっているのがよくわかる。
だがそれはそれとして、恐らくなにもわかっていないであろうこいつの純粋さは諸刃の剣で、もう犬ではない人肌から伝わってくる体温が拷問すぎてたった一枚のシャツだけが俺の理性をとどめてくれている。
「なあ、おれもお前が好きだよ」
「お前、いま言っっ……」
「うん。やっぱりちゃんと言いたくて」
「っっ、あああーーーー、俺も、好きだ、っ」
んんんんんん、いっそ今すぐ犬にしてくれ、いややっぱり勿体ない。
いや、やっぱり今すぐに……!!