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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

神様のいけにえ

作者: 三月春乃

「――おい、準備はいいな?」


 祭壇の前で祈りを捧げていた少女は顔を上げると、そこには白で統一された祭服に身を包んだ大司教が立っていた。


「これからお前を神の生贄として神前へと捧げる」


 大司教の言葉が合図になったかのように稲光が薄暗い神殿内を照らす。すぐに耳をつんざくような音が轟く。最近では災害が多く、各地で暴風雨や竜巻、土砂崩れなどが起きていると神殿に来た人たちが言っていた。この儀式が終われば久しぶりに晴れ渡る空を見ることが出来るはずだ。


「なにを笑っている。本当に薄気味悪い子どもだな」


 大司教が顔を顰める。


「さっさと終わらせてしまおう。ついてこい」


 祭壇の奥へと歩いていく大司教のあとを追おうと、少女は慌てて立ち上がるが、長い間両膝をついて祈りを捧げていた足はもつれてよろめく。そんな少女に気が付かないのか大司教は奥へと足早に進んでいく。


「早くこい」


 少女は苛立った声のするほうへと向かう。最後の時くらいお互い気持ちよく別れたい。なんとか奥へ行くと普段は閉じられている扉が薄く開いている。そっと中を覗くと、下へと続く階段がある。その先は暗く、どこへ繋がるのか分からない。下からは大司教のものと思われる規則正しい靴音が聞こえてくる。少女は静かに扉の中へ体を滑り込ませると暗い階段を足の感覚を頼りに慎重に一歩ずつ降りていく。

 途中で前方からあかりを灯される気配がし、うっすらと明るくなる。そのあかりを頼りに進むと天井は低いがとても広い部屋へとたどり着く。


「真ん中へ行き、跪きなさい」


 部屋の隅にいる大司教の言葉に従い、少女は部屋の真ん中へと進む。床には黒い大きな円があり、円の中には文字のようなものや三角や星型などの図形がびっしりと書かれている。円の中心まで行くと、その場で跪く。祈るために両手を組むと、そっと目を閉じる。


「それではこれより、神聖な儀式を行う」


 大司教の厳かな声が部屋に響き反響する。部屋が静かになると呪文のような言葉が聞こえてくる。聞き慣れない言葉は淡々と続き、なんだか不思議な心地になる。体の奥がほわほわと暖かく、目を閉じているのに光が網膜を通り抜け眩しい。しかし目を開けることは出来ず、意識は徐々に遠のいていった。

 

 

 

 神殿で吹き荒れていた嵐が、ここでは嘘のように凪いでいる。森の中にも関わらず虫や鳥の声は聞こえずに、ただ静かで風の音もしない。木々が鬱蒼と茂っているが穏やかな木漏れ日が降りそそぎ、あたりはキラキラと輝いて見える。

 少女の目の前では上から下まで黒で統一した服を着ている黒髪の男性と、薄緑色に輝く大木のように大きな何かが話している。大きすぎて人なのかも怪しいが、上から聞こえるのは穏やかそうな低めの声なのできっと男性だろう。



「てなわけで、こいつをやる」


 黒服の男が少女を雑に指し示す。

 

「なぜ、そうなる」

 

「俺はあいつが要らないものを押し付けられるのは嫌なんだよ。それに生贄だけあって結構イイぜ」

 

「そういう問題ではないだろう」


 少女は黒服の言った『いけにえ』という言葉にびくりとする。


「それに、こいつ喋れないみたいだからさ。うるさくならないし静かで良いだろう」

 

「そういう問題でもない」

 

「まあ、とにかく任せたから。煮くなり焼くなり好きにしてくれ」


 そう言うと黒服の男性は闇に呑まれたように消えていなくなる。どうやら少女の運命は薄緑色の何かに託されたらしい。


「まったく、神も魔も、僕に押し付けるのを辞めて欲しい」


 大きなため息はちょっとした突風になり、少女はよろめく。


「ああ、すまない。きみ、名前は?」


 少女は紙とペンを探すが、生贄にされる際に全て置いてきたことを思い出す。伝わるか分からないが、紙に書く仕草をしてみる。


「そうか。話せないと言っていたな」


 少女の頭上に薄緑色の大きな手が降りてきて、ゆっくりと拳の形に閉じられる。手の隙間から微かな光が一瞬だけ漏れると手が開き、少女の前にそっと差し出される。少女はおそるおそる覗き込むと、大きな手のひらには紙とペンが乗っていた。


「これを使いなさい」


 戸惑いつつも頭を下げ、受けとる。紙に名前を書き、男性の顔があると思しき頭上へ掲げて見せる。


「ん?」


 頭上で風が吹き、何かが動く気配がする。


「これでは見えづらいな」


 薄緑色の何かが暖かな光に包まれ、その眩しさに目を閉じる。


「これならいいかな」


 光がおさまり、そっと目を開けると少女の目の前には髪の長い優しげな男性が立っていた。先ほどの大きな何かはどこへいったのかと辺りを見まわす。


「どこを見ている。ここにいるだろう」


 先ほどの薄緑色の何かと同じ声が目の前から聞こえてきて、思わずまじまじと見てしまう。


「それで? 名前はなんという?」


 少女は名前を書いた紙を慌てて差し出すと、紙を見た男性は眉間に皺を寄せる。


「――これは名前ではないだろう」


 男性の一言に、綴りを間違えたのかと紙を見返すが、そこにはきちんと少女の名前が書かれている。

 少女は紙と自分自身を交互に指差し、これが名前であることを精一杯説明する。


「残念だけれど、それはきみの名前ではない」


 少女は紙を見ながら首を傾げる。少女には他の名前で呼ばれた記憶がない。


「まあ、いい。ところできみは今の状況をどのくらい把握出来ている?」


 たしかに急展開すぎて分からないことも多いけれど、自分が生贄だということは分かっている。それと、目の前の男性に少女の命が預けられたことも。しかし正直に言っては怒られると思い、事実のみを紙に書いて相手に見せる。


『神様のいけにえにされました』

 

「そうだな。それじゃあここがどこか分かるか?」


 最初に神様の神殿に送られたのは分かっている。その後は魔界へと連れていかれた。先ほどまでここにいた黒服の男性、『魔王』と呼ばれていた人に手を取られてここにやって来た。しかし何も説明されずに連れてこられたので、ここが森の中ということしか分からない。少女は小さく首を横に振る。


「まったく、あの男は説明もしないで来たのか」


 頭に手をやる男性に、少女はどうして良いか分からずに戸惑う。


「とりあえず説明する。立ち話もなんだ、少し待っていろ」


 少女はこくこくと頷くと、男性は優しく微笑む。あまりに綺麗すぎて、一瞬呼吸するのを忘れそうになる。

 男性が掌を地面へと向けると、かざした手の下から双葉が出て急速に木へと成長し始める。しかし大きくなることはなく丸いテーブルの形へと変化する。その横からさらに二つ芽が出るとそちらは椅子へと成長した。


「これで良い。あとはお茶を用意させよう。妖精達、お客さまだ」


 男性の言葉を合図に風が優しく吹き抜ける。その風に乗って妖精達が集まってくる。彼らは掌におさまるくらいの大きさで人の形をしている。大抵は子どもくらいの男女の姿で、少女にとっては幼い頃からよく見知った存在だ。


「きみには見えるのだな」


 妖精達は彼らの身長よりも大きいカップやポットを軽々と運び、お茶を淹れてくれる。慣れた仕草に見入っていると、果物のような甘い香りのするお茶が用意されていた。


「妖精からの贈り物だ。疲れが癒える」


 カップに口をつけると、果実のような優しい甘さが口の中に広がり、琥珀色の温かな液体が喉を潤す。じんわりと体が暖まっていくのがわかる。


「どうかな?」


 その言葉にハッとすると、妖精たちが心配そうにこちらを見ている。すぐに紙とペンを手に取る。


『おいしいです』


 書いた紙を見せると、周りにいた妖精たちの顔が綻ぶ。


「それは良かった。一息ついたところで、ここがどこか説明しよう」


 和んでいた空気が男性の一言でぴりっと引き締まる。少女は背筋を伸ばしてしっかり聞く体勢を整える。


 男性の話によると、ここは妖精の森と呼ばれているところで沢山の妖精が集まる場所らしい。そして男性は妖精たちを束ねる立場で『精霊王』と呼ばれているという。

 

「それで、きみはこれからどうするつもりだ」


 問われたことの意味が分からずに、少女は首を傾げる。


「場所が分かれば自力で戻ることも可能だろう。きみは神殿に戻るのかと聞いたのだ」


 慌ててかぶりを振る。


「戻らないのか……」


 男性はなぜか残念そうだけれど、少女としては生贄にされたのに、のこのこと神殿に戻ったりしたらお仕置きだけではすまされない。


「なら仕方がない」


 そう言うと優雅に立ち上がり、掌を向けてくる。精霊王が何か呟くが、それは言葉の意味をなしておらず聞き取れない。掌が淡く光り出すと、少女の方へゆっくりと歩いてくる。神殿にいた頃は上手く答えられないと叩かれることもあった。それを思い出し、少女の胃がキュッと引き攣る。少女は腕を前に出し目をつむる。

 しばらくその状態でいたけれど、予想していた衝撃はこない。恐る恐る目を開ける。


「それはなんのポーズだ?」


 眉根を寄せた精霊王と目が合う。精霊王は少女が何をしているのか分からないといった感じだ。少女は自分の身体を点検するが変わったところはない。精霊王を見ると彼は人差し指で森を示す。そちらに視線を向けると何もなかった空間に丸太小屋が出来ていた。


「あそこを使って構わない。あと、森にあるものなら好きにしていい」


 そっけなく言うと、精霊王は森へと歩き出す。少女はひらひらとした長い服に手を伸ばして引きとめる。


「なんだ?」

 

『ありがとうございます』


 急いで書いた紙を見せる。

 

「分からないことがあれば精霊たちに問いなさい。大抵のことは教えるように言っておく」

 

『ありがとうございます』


 また同じ紙を前に突き出すと、精霊王は戸惑ったような顔をし、何かを呼ぶように手を振る。すると強い風が吹き、木の葉が舞い上がる。少女は思わず目を瞑る。風が収まってから辺りを見まわすが精霊王の姿は見えなくなっていた。


 

 数日後。森での暮らしにも慣れてきた少女は、石と木の棒で作った鍬で地面を耕している。精霊王の作った小屋に入った時は、木のテーブルと椅子、ベッド本体のみという状態で驚いた。布類や食器、水など、何もなくて途方に暮れていた時とは違い、今では布団や食器が揃っている。それらは妖精達が植物や木を加工して造ってくれた物だ。さいわい、近くに小川もあったため飲み水にも困らなかった。ただ、食事だけは別で小屋の近くにあるのは果樹のみであまりお腹に溜まらないものが多い。神殿暮らしの頃からお腹いっぱい食べることはなかったけれど、果物ばかりだとパンや穀物などが恋しくなる。そこで少女は畑を作ることにした。

 少女は黙々と鍬で土を耕す。もともと人が通らないためか、地面が柔らかく簡単に耕すことが出来た。そこに非常食用に取っておいた南瓜の種を蒔いて、軽く土をかける。水を汲みに立ち上がったところで、米袋が落ちるような音がしてそちらを振り向く。そこには尻餅をついている男の子がこちらを凝視している。手を貸そうと、少女が男の子に近づこうとすると

 

「うわぁ、化け物‼︎」


 尻餅をついたまま、男の子は後ろへと下がっていく。少女は自分の姿を見下ろすと、白かった服は泥だらけで所々ほつれて糸が垂れている。さらに傍には鍬が転がっており、たしかに少し怖いかもしれないと納得する。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」


 大きな声がして顔を上げると、男の子が走り去って行くところだった。そんなに怯えるほど酷い格好なのかと落ち込む。


「なんだあいつは」


 背後から声がして振り向くと、不機嫌そうな精霊王が立っていた。


『わかりません』


「ところでこれはなんだ?」


 少女は紙に書いて見せるが、精霊王の興味はすでに男の子にはないらしい。まじまじと畑を見ている。


『はたけです』


 紙を見た精霊王が指を鳴らす。すると畑の土がもこもこと動き一斉に芽が出て、すぐに蔓をのばし立派な南瓜を実らせる。


「南瓜しかないのか?」


『たねがありません』


「妖精達に取って来させよう。何が欲しい」


 少女は小麦やジャガイモなどいくつか紙に書き出す。それを見た妖精たちは何処かへ飛んで行き、少しすると種の入った袋を持ち帰って来る。


「これだけで足りるのか」


 精霊王は小さな種を摘んで眺めている。


『じゅうぶんです』


「そうか。ならさっさと畑に蒔こう」


 少女は種を持っていこうとする精霊王の服を掴んで止める。


『はたけがありません』

 

「畑などなくてもその辺に蒔けば良い。わたしの森ならどこでだってよく育つ」

 

 そう言うと、手に持った袋を逆さまにして地面にぶち撒ける。少女は慌てて拾おうと膝を地面につけ種に手を伸ばすと種から芽が出て勢いよく伸びていき、あっという間に金色の穂が垂れる。


「どうだ」


 精霊王は他の種も次々とばら撒いていき、小屋の周りはあっという間に豊かな野菜畑へと変わる。朝から畑仕事をした苦労はなんだったのかと、少女は疲労を覚えるが、誇らしげな精霊王を見ると文句を言う気にはならない。


「他に必要な物はあるか? あれば妖精達にお願いすると良い」


『これだけあればじゅうぶんです』


「そうか」


 一瞬だけ精霊王は残念そうな顔をするが、すぐにいつもの無表情に戻る。


「もし必要な物が見つかったら妖精達に言いなさい」


 精霊王は念を押すと、風が葉っぱを舞い上がらせる。気がつくと精霊王の姿は消えている。もう少しお話をしたかったけれど仕方がない。今度会った時にしよう。まずは畑の収穫を始めないと、せっかく実った野菜が勿体ない。どこから手をつけようかと見渡すと、先ほどの少年が戻って来ていた。少女は手を振るが、少年は何かをじっと見つめていて反応しない。少女の後ろには今しがた実った野菜や稲が風に揺れている。


「なんで⁉︎」


 いきなり発した少年の声に驚く。


「さっきまでなんもなかっただろ? なんでこんな野菜があるんだよ。お前がやったのか?」


 早口で捲し立てる少年の勢いについていけず、少女は首を振るのが精一杯だった。


「じゃあさっきの緑の男か? あいつ、なんだ? いきなり出てきたと思ったら消えちゃったし。なあ、これちょっと貰っていい? こんなにあるし、いいよな?」


 少女が答える間もなく、少年はいくつかの野菜を収穫していく。


「こんだけ、獲れば十分だろ」


 少年と同じくらいの大きなのぼろ袋に収穫した野菜を入れると満足そうにしている。


「じゃあ、これ貰っていくわ。こっちの野菜はお前の分な。収穫しといたからさ。じゃあまたな」


 少年はぼろ袋を担ぐと森へと向かう。細身のわりに力はあるようだ。後には山積みにされた野菜が残されている。少女は少年が収穫した野菜を何回も往復して小屋の中へと運び込んだ。


 それから、少女の畑に毎日のように少年がやってくるようになった。最初の頃、少女は野菜を収穫してもらうかわりに野菜を渡していたが、そのうちに畑仕事や水汲みなども手伝ってもらうようになった。徐々に一緒にいる時間が増えると軽い食事をするくらいになっていった。


「すごいな、これ。自分で作ったのか?」


 ロブが少しかたいパンを頬張りながら、木さじで木苺のジャムをすくっている。ロブというのは少年の名前だ。


「よく砂糖が手に入ったな」


 美味しそうにパンを頬張るロブを少女は向かいの席で微笑ましく見る。ここにくる前は神殿で料理も手伝っていたので、食事はある程度作れる。それに精霊たちが砂糖を見つけて来てくれたので、これからは焼き菓子なども作っていきたい。


「俺の村じゃ作物はあまり育たないんだ。それにこの前なんかダットさんとこの家畜がいなくなったって大騒ぎしてた。柵も壊れてなかったし鍵かけてたのにいなくなったから誰かが盗んだんじゃないかって。それで俺らが疑われてさ。前に卵を勝手に取ったのを根に持ってるんだよ」


 少女はロブが罰せられたのではと心配になる。


「あ、今回は俺たちじゃないからな。流石にあんなに連れて行ったらバレる」


 一体どれほどいなくなったのだろう。


「お前のとこも気を付けたほうがいいぞ。鶏なんか放し飼いにしてるようだし」


 心配してくれる少年に少女は頷く。充分気をつけるという意味合いを込めて胸の前で両手を握りしめてみせる。


「いや、危ないから戦わずに逃げろよ」


 違う意味で捉えられてしまった。


「まあ……なんかあったら呼べよ。一人で対処するよりは二人のほうが良いだろうし。ノアとも友だちだからさ」


 ノア? 誰だろうと首を傾げる。


「あ、ノアって言うのは村長の息子なんだ。村の子どもで一番、いや大人よりも頭が良いんだよ! 俺と違って字も読めるし――」


 何かを閃いたようにロブが椅子から立ち上がる。


「そうだ! ノアに頼めばいいんだよ。なんで気が付かなかったんだろ。この間見せてもらった紙ってまだある?」


 ロブに言われて、少女は常に携帯している紙を取り出す。


「名前の書いてある紙はどれだ?」


 少女は精霊王にも見せた紙をロブに渡す。


「これ借りていくな。ノアにお前の名前聞いてくる」


 少女の渡した紙をロブは大切そうに懐へしまうと、さっさと小屋を出て行ってしまう。少女はテーブルに残されたパンを片付けていると、小屋の片隅に淡い光が集まる。その光は人の形になると輝きは薄れ、そこには精霊王が立っていた。


「あの人間は騒がしいな」


 最初のころは急に現れるので驚いていたが、今ではすっかり慣れてしまった。


『にぎやかでたのしいです』


「お前がそう言うのなら良いが、困ることがあったら精霊に報告しなさい。それとせっかくだから、もっとこき使うと良い」


 今でも精霊には畑の肥料を持って来てもらったり、種を貰ったりしているのに、これ以上お願いするのは申し訳ない。そう思って首を振るが、精霊王は眉間に皺を寄せる。


「さきほどまでいた人間のことだ」


 精霊のことではなかったようだ。けれどすでにロブも畑づくりや収穫、さらには水汲みなど手伝ってくれている。一応お礼に収穫物を渡しているがこれ以上手伝ってもらうのは申し訳ない。


「しょっちゅうやってくるんだ、問題ないだろう」


 少女は腕を上げて大きくバツの形をつくる。それを見た精霊王は小さく息を吐く。


「お前が言うなら仕方ない。あまり無理はしないようにな」


 精霊王の言葉に少女は頷く。


「それと、いつまでも名前がないのは不便だ」


 少女は首を傾げる。精霊王もロブもいつも少女の名前を呼んでいる。


「シャロン」


 綺麗な響きに、少女は精霊王を見つめる。


「今からシャロンと名乗りなさい」


『シャロン』


 声にはならないが、口を動かす。


「そうシャロン」


 神父が信者を導くかのように優しく語りかけられる。


「わかったか」


 少女は大きく何度も頷く。


「ならよい。今度誰かに名前を教える時はシャロンと書くように」


 そう言うと音もなく精霊王の姿は消えてしまう。いつもならお茶を飲んで行くのに、今日はすぐにいなくなってしまった。少し寂しく思いながらも、少女は新しい名前を貰ったことに嬉しくなる。


『シャロン』


 さっそく紙に書いてみる。今度ロブが来たときに渡せるよう紙を折りたたんで服のポケットにしまう。その日は何度も心の中でシャロンと反芻して過ごした。




 夜中、人の騒めきで目が覚める。どうしたのかと窓を見ると外は燃える炎の色で染まっていた。少女は慌てて小屋の外へ出ると大勢の大人が松明を掲げて小屋を囲んでいる。


「本当にいた」

「なぜこんなところに少女が……」

「魔物ではないだろうな」


 異様な光景に少女は息を呑む。


「あそこにいるの俺のとこの牛だ」


 取り囲んでいる一人が大声で叫ぶ。

 

「なに⁉︎ 本当か」

「間違いねぇ。顔の模様が独特だろ!」

「そうだ! ありゃダットの牛だ」

「こいつが盗んでったのか」


 男たちはじりじりと少女を取り囲んでいく。


「お前か。村の物を勝手に取っていったのは!」


 大きな手が少女の腕を乱暴に掴み、引っ張られる。


「やめろっ」


 掴まれた腕を離され、少女はバランスを崩して倒れる。


「盗んだのはこいつじゃない」


 見上げるとロブが男達の前に立ちはだかっている。


「おい、ロブ退け」

「退かないとお前も一緒に役人に突き出すぞ」


「こいつは犯人じゃない」


「なら犯人は誰だっていうんだ」

「この盗人め」


 何かがロブの頭を掠める。


「くっ」


 ロブが頭を抑えしゃがみ込む。どうしたのかと見るとロブの頭から血が流れている。

 パリンという音に後ろを振り向くと、小屋の窓が破れている。


「ドロボウ」

「私たちの物を返しなさいよ」


 人々が小石や木の枝を家に向かって投げつけている。


「違う! こいつじゃない」


 ロブが腕を広げ、少女を庇うように前に出る。

 

「ロブいい加減にしろ」


 ロブは簡単に払い除けられ倒れる。村人たちは少女に向かって手を伸ばす。


「うるさい」


 声とともに突風が吹く。竜巻のような風がやむと辺りに静寂が訪れる。少女は瞑っていた目を開くと、村人たちは化け物でも見たような顔をしている。少女が振り返ると、普段と変わらない精霊王の姿があった。


「こんな夜中に何用だ」


 先ほどの喧騒が嘘のように、誰も一言も喋らない。


「用がないなら帰れ」


 精霊王が片腕を上げて振り下ろそうとした瞬間


「あいつだ! あいつが犯人だ!」


 ロブが大声を上げた。その声を合図に村人たちは、当初の勢いを取り戻し、口々に、がなりたてる。あまりの騒音に少女は耳を塞ぐ。

 気がつくと男達は精霊王を囲み殴ろうとしている。


 (やめて!)


 少女は辞めさせようと男達に縋り付くが、あっけなく振り払われ倒れる。それでも諦めずに立ち上がって止めようとするが、誰かに腕を掴まれ引っ張られる。


「危ないからやめろ」


 血まみれになったロブが少女を引き留める。少女は大きく首を振り、必死に精霊王の元へと戻ろうとする。


「あんなやつのとこへ行くな」


 (でもこのままじゃ精霊王が)


「お前」


 以前の名前を呼ばれ、ロブの顔を見ると泣いていた。少女を庇った時の傷が痛むのかと狼狽える。


「本当に『お前』って名前なのか」


 今は少女の名前などどうでも良いはずなのに、ロブの真剣な顔から目が離せない。少女が頷くと、ロブは辛そうな顔をする。


「じゃあ、生贄っていうのも本当なのか」


 その問いにも少女は頷く。


「なんだよ、じゃあお前はあの魔物の生贄だったのかよ」


 ちがう。魔物ではない。少女は大きくかぶりを振る。彼は精霊王だ。しかしロブは下を向いて見ていない。

 何かが引き裂かれる音がして見ると、小屋の扉が壊されていた。少女は急いで辺りを見まわす。

 いつの間にか、精霊王は少し離れたところで一人静かに佇んでいる。精霊王を囲んでいた男達はいなくなっているが、彼らは力任せに石を投げつけている。しかし投げつけた石は精霊王を避けるようにして飛んでいく。これでは精霊王に近付きたくても近付けない。


「大変だ! 木が燃えてる」


 声のした方を向くと、何本か木が燃えている。


「逃げろっ。燃えちまうぞ」


 家の中を漁っていた人たちや、家畜を抱えた人たちが一斉に走りだす。少女は水を貯めておいた桶を掴むと燃えている木へ向かい水を勢いよくかけるが、炎は消えることなく燃える。もう一度、水を汲むために小屋へと急ぐ。木は勢いよく燃え、次々に隣りの木へと燃え広がっていく。熱さと息苦しさで朦朧としながらも何度か木に水をかけるが状況は悪くなるばかりだ。


「なにやってんだ」


 ふらつく足で水を汲みに戻ろうとしたところでロブに止められる。


「早く逃げないと焼け死ぬぞ」


 ロブの手を振り払おうとするが体に力が入らず、座り込むと激しく咳き込む。


「煙を吸わないようにしてろ」


 朦朧とする意識の中、荷物を担ぐように抱えられる。小屋の方に目を向けると、そこには精霊王が佇んでいる。少女はそちらへ手を伸ばすが届かない。薄れていく意識の中で、精霊王がこちらへ手を伸ばすのを見た気がした。





森は数週間燃え続けた。鎮火してから様子を見に行った村人たちが言うには、森には何も残っていなかったそうだ。意識を失った少女は何日も眠り続けて、目を覚ました時には記憶をなくしていた。


「これがお前の持ち物だ」


 少女はロブという少年が持ってきてくれたボロボロの服を手に取る。彼は少女が目を覚ました時から、何かと世話を焼いてくれている。


「全部焼けちまったから、着ていた服だけなんだけど」

 

「ありがとう」


 少女がお礼を言うと、ロブは微妙な顔つきをする。


「どうしたの?」


「なんかお前が喋るのが不思議でさ」


 以前の少女は喋れなかったらしい。記憶がないので、なぜ喋れなかったかは分からない。何か思い出せることがないかと、以前の持ち物を持ってきてもらったけれどあまり期待できそうにはない。少女は服を手に取って触っているとなにかカサカサと音がすることに気がつく。


「なにかあるのか?」


 少女はポケットに手を入れ、中にある物を取り出す。小さく折りたたんだ紙を丁寧に開いていくと、そこには文字が書かれていた。


「なんて書いてあるんだ?」


「シャロン」

 

少女が小さく呟くと、ふわりと木と土の匂いをかいだ気がした。少女は開け放たれた窓を見るが、外には風ひとつない穏やかな空があるだけだった。



 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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