四
それからの今日は常に騒がしかった。特に何があったわけじゃないけど、休み時間は雄一が俺の席に来て次に何をするか話して、それから色々な方向に話がころがって、人も集まって、ずっと話して気がする。
久々にコミュニケーションで心身共に疲れた。一瞬この先ずっとこれが続くと考えたが、どうせ一過性だろう。俺が飽きるまでにはとっくに終わっている。だから何の心配もしていない。ただ今日吉田に、一言以上の事を話さなければならなくなったことが気に食わない。
「今日は随分と楽しそうだったね」
放課後、早速吉田は俺が思い描いて気分が悪くなった笑顔をそのまま貼り付けていた。
「どこかだよ。無駄に騒がしかっただけ」
「そう? 隣で見てた小山くん、楽しそうに笑ってたけどな」
「もういいって。茶化すのが目的じゃないだろ。はなし!俺の次は吉田だからな」
ごちゃごちゃうるさい吉田を黙らせる為に今日のことを一から説明した。親にいじめを疑われたこと、登校する時の目線が痛かったこと、雄一に目をつけられて名前を聞いたこと。
後半になるにつれて何を話してるんだと恥ずかしくなってくる。そんな俺を見て吉田は楽しそうに笑ってるんだから本当に性格が悪い。
「マジでこんなことさせて何がしたいんだよ。思ったんだけど今回の出来すぎた展開も吉田が魔法で仕組んだんじゃないだろうな」
「ちょっと勘弁してよ。円理術にそんなこと出来ないって。ほんとに偶然。私はただ小山くん自身の話が聞きたかったから話のネタになるような事をしてもらっただけで」
「だったらもっと別のやり方もあっただろ。こんな意味の無いバカみたいなことさせなくてもさ」
俺は今日一日の不満を前面に出して吉田に見せた。さすがの吉田も良心の呵責があったのか「わかったよ、ごめん。今後はあんまり目立たないようにするから」と手を合わせて謝った。
そういうことじゃないのに。と思った矢先、吉田はそういうことの部分にあの、落ち着いた大人の声で諭すように言った。
「でもさ、小山くんにとって今日やった事は本当に意味の無い事だったのかな? ほんの少しは、なにか得るものがあったんじゃない?」
「うっせーよ。増えたものがあったところでそれがなんになるんだよ。特別以外意味が無い。ずっと言ってるだろ。俺が言いたいのはとっとと平行世界のこと話せってことだけ!」
無駄に声に力が入った。誰かさんの個性がうつったんだ。俺だって何も思わなかった訳じゃない。そりゃ吉田の言う通り、得るものはあった。少なくとも、退屈では無かったさ。
そんなこと、隣で見ていた吉田なら聞くまでもないだろ。それをわざわざ俺の反応を楽しむみたいに一言一句聞いてきて、気色悪い。
大人は大抵これだ。自分より年下で人生経験のないやつを上から目線で諭し、導こうとする。それは善意なんかじゃなくて、ただ先導者になっている自分に自惚れているだけ。その証拠にそいつらの顔には必ずにやけ面が張り付いてる。
さらにそれを同級生にやられたらどうだ。本来対等であるべき関係に、平行世界で二十年以上生きてきましたと敵わない武器で殴られたら。理不尽だろ。こいつはそれを理解していない。
俺が少し声を張り上げても「ごめん、余計な事だったね。じゃあ今度は私が質問に答えるよ」というのみ。理解してないんだろうな。そりゃ無理か。吉田と俺じゃ、生きてる世界が違うんだ。
諦めて俺は用意していた質問を投げかけた。
「円理術について教えて欲しい」
「円理術ってまた大枠だね。私の世界じゃそれを小中高大と学ぶのに」
「大体こんなものって分かるぐらいでいいから」
「そう? じゃあまず、この前話した事は覚えてるよね。円理術はあらゆるものの流れを見たり感じたり動かしたりする技術だって」
吉田は話しながらノーズリーフを取り出して、この前説明のために川を書いたベージを開く。
「私の世界ではあらゆるものに流れがあると考えられてる。っていうかあるんだけど、円理術はその流れと自分の流れを合わせてより強い流れを作る、言わば合気道みたいなことをしてる。もちろんそれだけじゃなくて相手の流れに身を任せる事も、流れ自体を断ち切る事もあるけど」
「なら吉田は何でも操作して動かすことが出来んの?」
もしそうだったら可能性が無限どころの話じゃないと思った。
「基本的にはねー。でも動かすという一点だけで言ったら簡単なのと難しいのがある。例えばこれ」
雑な川が書かれた次のページに吉田は石と水の二文字を書いた。
「このふたつを円理したとしてより自在に動かせるのはどっちだと思う?」
えっと、少し考え始めて、これがまたすぐに答えを言わず考えさせようとする大人の手口だと思い出して、適当に答えた。
「水」
「そう!円理術は気体、液体、物体の順番で動かしやすいんだ。流動性が高い方が動かしやすい、簡単な話だよね。それで言うと物体はほぼ動かせないと言っていい。手で石を運ぶより円理術で動かす方が大変だからコスパも悪いしね。だから術師は水か空気を好んで円理するんだけど、ここにも大きな注意点があって、分かる?」
「知らん」
「ちょっと即答!? 知識の問題じゃないよ。さっきの話の応用で、例えば小山くんが流れるプールに入っているとします。その時、流れに逆走して泳ぐことって出来るかな」
「まあ大変だろうね」
「その通り。円理術も同じなの。川の水を円理しようとした時、術師は円理したい水量を好きに選べるわけじゃない。水の流れを円理する訳だから川の流れが続く限り、全部の水の流れを身一つで受けることになる。空気とかはもっと危ないよ。完璧な閉鎖空間でもないかぎり、空気の流れには終わりがない。空気を円理する即ち地球の大気全てを円理することになる。流れは強い方に引っ張られるから円理した術師はもれなく廃人だよ。だからこれは円理術を学ぶ一番初めに習う。本当に簡単に死んでしまうから」
最後の一言を言った時の、吉田の瞳。目の前の景色を忘れて平行世界の記憶だけを見ているそれは、こいつのほとんどに失望した俺でもまだ美しかった。
「だったら、前に吉田がやってたのは結構危なかったのか?」
「いや全然。強い流れに巻き込まれるのを円理過多って言うんだけど、これは知識があればまず起こらない。まあ、大気や海に精神を流すのを神との同化だとかいう宗教があったから数は減らなかったけどね。さて、ここから先は高校の内容になるけど、今のところ大丈夫?」
馬鹿にすんな。とはっきり言えないのを楽しんでいるような上から目線の瞳。でもやっぱりその通りで、結構ギリギリだった。英単語や将軍の名前を覚えるのとは違う、この世界にない常識は口頭でスラスラと頭に入るものではなかった。だからと言って、もっかい言ってと頼んだらこいつにどんな態度を取られるか。天秤にかけたら簡単に俺は頷いていた。
「さすが小山くん頭いいね。じゃあ最後で一番の山場、円理過多になることなく空気や水を円理する方法。遠隔円理の説明をしましょう」
息が切れそうな俺の虚勢を見透かしているかのように新たな単語で追い打ちをかける。吉田はポケットから、いつの日か見た小さなカッターナイフを取り出した。それと同時に思い出したくもない情けない記憶が蘇る。
「人間の体で一番、と言うより殆どの流れを持っているもの。なんだか分かる?」
もったいぶるその態度に不貞腐れようと思う余裕も与えないほど、答えは一瞬で頭に浮かんだ。
「血液」
「大正解。自分の血液に予め円理する内容を詰め込んで外に出すの。例えば空気に触れてから三秒後、周りの粒子を動かして熱膨張させるとか。もちろん私自身がその円理をしたら範囲の指定なんて出来ずに円理過多するけど外に出した血液ならそれができる。簡単に言うとチョロQみたいなもんだね。ネジを巻くのが円理する内容と外に出す流れの強さを決める作業で、手を離した後は私の意思に関係なく走って流れが終われば止まる。手を離すってところがミソだね。術師の体から離れた血液が円理過多を起こしても術師にはなんの影響もないから安全なんだ。ただその代わりに途中で命令を変えられないし外に出した血液分の流れしか使えないからかなり力も弱くなる。この調整がかなり難しい。遠隔円理から円理術が始まると言っていいほどこれは奥が深くて術師の技量が試される技術なんだけど……分かった?」
「……大体は」
「なら初めのご注文通りだね」
一仕事が終わった雰囲気を出して吉田はノーズリーフを片付け始める。確かに細かいあれこれは抜きにして円理術のおおよそは知ることが出来た。けれどこれは俺にとって前座に過ぎない。本当に聞きたいことを聞いたあとでは、返答次第で聞く必要がなくなってしまうから先に聞いた。
「最後に一つだけいい?」
「すぐ答えられるのならいいよ」
「円理術って。俺でも使えるようになる?」
「無理だね」
「……努力とか才能とかじゃなくて?」
「うん。向こうの世界ならまだしも、小山くんの今の年齢でこの世界じゃ確実に無理だね」
正直、この質問が一番聞きたくて、聞けなかった。使えるのなら話は単純だけど、もし使えないと言われたら俺は、昨日持てずに逃げた言葉からいよいよ遠く離れて行ってしまう。
「理由くらい聞かせてよ」
「そもそもさ、円理術って流れを常に意識することが重要なんだけど、小山くん、例えばこの紙に対して流れだとかを意識したことある?」
吉田はついさっき閉じたばかりのノーズリーフを開いて今日使ったページから一枚破って俺の前に出した。
「無いよ、そんなの」
「でしょ。これって幼い頃から固定概念として植え付けないと感じ取ることは難しいんだよね。それに私がいた世界とここじゃ流れがかなり弱い。もともと円理術が使われてないからなんだろうけど、使える私でさえ十分の一くらいしか円理できないから、一から覚える小山くんには厳しい環境だと思うよ」
そう言い終えると吉田が俺の目の前に出した紙はまるで塵が風に飛ばされるかのように、端から小さな紙切れになって地面に舞い落ちていった。
「見せびらかしてんのかよ」
「いやいや、私は分かって欲しいの。小山くんが憧れてる円理術は所詮このぐらいのことしか出来ないって。固体なら今の私は車一台も動かせないし今見せたみたいに流れを断ち切る簡単な円理術でも全力でちょっと大きな落とし穴作れるくらい。これってさ、円理術である必要ある? 紙を破くならハサミでいいし落とし穴はショベルカーで掘ればいい。それこそ戦争でもしないかぎり、円理術は世界に必要ない。世界に必要ないものって特別って言えるのかな。だって」
「もういいよ。分かったから」
しょうもない説教が始まったから俺は席を立った。分かって欲しい? いつまでたっても分かってないのはどっちだよ。そういうことじゃねぇんだって。
「そっか、じゃあ今日はお開きにしようか。どうする? 明日も聞きたいことあるならお題出すけど」
「……聞くだけ聞いとく」
「なら明日は会う人全員に八十点以上の挨拶をすること!相手の目を見て笑顔で。目上の人にはおはようございます。同い年、歳下にはおはよう。これが八十点の基準ね」
人差し指を口角に当てて、お手本ですよと笑顔を見せてくる。こいつが俺に何をさせたいのか、少しわかった気がする。
「馬鹿なこと言ってないで床の紙くず片付けてけよ、俺知らないから」
わざと床の紙くずを踏んで帰ってやった。
「えー小山くんに説明するためにやったんだから少しくらい手伝ってくれてもよくない?」
「円理術で片付ければいいだろ」
「だからそんな便利なもんじゃ……」
教室の後ろから出て少し歩いたら小うるさい声も聞こえなくなった。今はまともに受け止めている余裕が無い。
これから先、俺はどうしよう。吉田の運命に関わる。これは特別になるための必須事項。でも何も持たない人間がどこまでついていけるかは分からない。
魔法が使えるなら無理にでも干渉できただろうけれどその望みも無くなった今、道はかなり険しい。だからってこのまま話を聞いてるだけじゃ部外者だ。どこかで無理にでも。無理にでも、関わったとして、その先にある戦争に、俺はどう立ち向かえばいいのだろう。未だに俺は当事者意識を持てていないのに。
魔法が使えるなら、武器があったなら、向き合えていたんだろうか。それも、どうだろうな。
平行世界のことを知る度に、どんどん平行世界が遠のいていくように感じる。解像度が上がるほどに、白昼夢から覚めていく気がする。
つまり俺は、まんまと吉田の作戦に嵌められたって訳だ。
平行世界のことを話す代わりに吉田が俺に課した課題。これは俺に無理やり外とのコミュニケーションを取らせるようなものだった。そして吉田が平行世界のことを話す時、必ず何かしら否定的な意見を混ぜて話していた。つまりあいつはこう言いたいんだろう。
どうせお前は平行世界のことに関われないんだから、精々身の丈にあった世界で友達作って馬鹿なことしてろよ。
直接はっきりと言っても聞く耳を持たないだろうと考えてこんな遠回りな作戦を取ったんだったら流石だ。俺より長く生きているだけはある。年下には自分の思惑を見透かせないと思っているのも含めて。
魔法が使えないのがなんだ。ここまで舐められたら何がなんでもその首元に噛み付いてやらないと気が済まない。幸いタネは分かった。これからは扇動されている事に気付かないふりをしてチャンスを窺えばいい。まだ何かあるはすだ。本当に俺が何も出来ないなら無理に遠ざける必要はないんだから。俺に知られたら何か吉田の運命に影響が出る何かがきっと、ある。憶測でしかないけれど、最近やけに身近にある現実に身を傾けるよりはまだ、希望が残っている。