一
覚悟はあった。綺麗事だけを見ていたわけじゃない。魔法の裏にある戦争も、平行世界から来たやつの覚悟も、全部ひっくるめて俺は関わらせて欲しかった。背伸びした先が地獄でもよかった。退屈で脳が死んでいくよりそれがいい。今でも考えは変わってない。はずなのに、俺は吉田の前で「関わらせてくれ」と言えなくなった。
閉まる直前の図書室、逃げた質問に意味を持たせるために眺める背表紙。吉田が言った小説は有名なようですぐ見つかった。それを引っこ抜いて気だるそうに仕事をする図書委員の前に出す。美鈴は長い前髪の間から俺の顔を睨んで、心底嫌そうに舌打ちをした。
「今帰るところなんだけど、なに、嫌がらせ?」
「いいだろ一人くらい」
ため息ひとつ、美鈴はそれ以上のやり取りをやめて本を手に取った。幼なじみで昔から嫌でも交流があった俺と美鈴。でも大抵の会話は今のように必要最低限。話せば気が合うやつなのは一時期、世の中の嫌いなものを互いに並べて暴言を吐きあっていた時に知った。その関係値に落ち着かなかったのは互いに同類で、特別になりたかったから。群れるのも、友人も、俺が借りた小説も、在り来たりなものは悪だった。故に。
「あんた、こんなの読むんだ。頭でも打った?」
俺と本の表紙を交互に見て、嘲笑する。当然の事だった。なのに吉田のことで上の空だった俺は突然のそれに、全身嫌な汗をかいた。
「いいだろ。ほっとけよ」
美鈴の手から本をひったくって小走りでその場を後にする。なんでもない事だと思った。ちょっと、らしくない所を見られただけ。大袈裟に鼓動をはねあげる俺がおかしい。さっきからだ。何かがおかしい。
下駄箱から雑に引っ張り出した靴の踵を踏んで校門を抜ける。少し早足に。
大丈夫。
自信に満ちた吉田の声と表情が浮かんだ。拳を握る。借りた文庫本が身体をひねらせる。美鈴の嘲笑が聞こえた。
こんなの読むんだ。
体の中で何かが溢れた。名前の知らない激情が背中を押して、気づくと俺はかかと踏んだ靴が脱げないように、ぎこちなく、みっともなく、走り出していた。
なんでこうなった。吉田に会ってから想像した今頃の俺は、特別とはいかなくても、少し上の澄んだ空気を吸って、退屈を忘れているはずだった。少なくとも、こんな情けない姿で走っている未来は想像していない。
なんでだ。なんで今の俺はこんなに不安定で惨めになった。特別になるための材料は揃ってる。そこまでは順調だった。あとは吉田から話を聞いて、そのどこかに関われたなら、プロットをなぞるみたいに俺の人生は変わっていくはずだった。実際それは間違っていないと思う。俺が吉田に「一緒に戦わせてくれ」と言えていたなら。
素直にその通りにならなくても、関わろうとするスタンスを取り続けることで未来は進んだ。言えたことで自信を持てたはずの俺がいるのだから。
何も言えずに惨めに走る人間に明日がある訳ない。分かってる。分かってるけど、じゃあ全部俺のせいなのかって言ったら、違うだろ。責任転嫁じゃなく、吉田、あいつにも問題がある。
出会った時からあいつは、俺に平行世界の話をするのを嫌っていた。俺の必死さを馬鹿にするみたいに「それでも世界は変わらない」と冷静にあしらって、ついに話すとなった今日でさえ、俺の入る隙を与えない。少しでも弱い一面を見せてくれたなら俺だってなにか言えるのに。大丈夫だの安心してだの、俺の言葉を先に塞ぐように、何も出来ない雑魚のように扱う。その後に何を言えるってんだ。
それに、これは文句ではないけど今日話していて確信した。吉田は人間的な部分において魅力がない。俺の嫌いなタイプの人間だった。初めはこの世界に染まった吉田がつまらないだけで平行世界を生きていた平野はきっとそれに見合った人間なのだろうと思っていたがそれも違った。円理術だとか平行世界の話をしていない時に垣間見える趣味趣向の俗さ、それは世界関係なく、吉田本人の色を濃く反映している。つまり、魔法抜きにしたら吉田はただの人間。それが俺にとって受け入れがたかった。
特別になりたくて求めた平行世界の魔法、それを持つ人間の平凡さ、それを交互に聞いていると理想と現実を行き来しているような気持ち悪さが付きまとって自分も自分が分からなくなる。それがさっきみたいならしくない行動に繋がった。
ああ、こうしてつらつらと並べたら余計に思う。全部吉田のせいじゃないか。
平行世界、魔法のある世界で生きていながら人間的な深みがない。それならもっと俺に頼ってくれたら、文句もないのに。根拠の見えない自信で俺から魔法を遠ざけて一人で抱え込む。かっこいいと自惚れているのなら余計に救えない。ほんとうに魔法さえ持っていなかったら。
家に帰って自室の机に借りた本を適当に置いておく。読む気はとうに失せていた。中身はどうせ吉田が面白いと思うような内容だ。けどすぐに返せばまた美鈴に何か言われるだろう。少し放置してから返すことにしてベットに寝そべった。白い天井にこれからの事を思い浮かべる。
たとえ吉田に失望しても、あいつの持っている魔法と知識だけは本物だ。まだ手放せない。少しづつ情報を盗んでいけば俺も無手じゃなくなる。そうしたら無理やりあいつの運命に干渉することだって出来るはずだ。戦争という言葉にだって向き合える日が来る。それまではまだ。
頑張ろう。前向きに考えようとした時、眼前に待ち構えているミッションを思い出して、早々に深いため息が出た。