二章
翌日の放課後、吉田は期待して寝不足になった俺を嘲笑うかのようにぼやいた。
「なんだか不公平な気がする」
「なにがだよ」
「いや私ばっかり自分のことを話すの不公平だなって思って。もちろん約束したから話すけど、小山くんも同じくらい自分の事を私に教えてほしい。感じたこと、思ったこと、日常の些細なことでいいから」
頬を突いてイタズラに笑う。昨日から一秒一秒に苛立ちにながらの今この時間、冷静に受け流す余裕は無い。
「教えることなんてねぇよ。昨日話しただろ、俺は嫌いなものしかないつまんない奴なんだよ」
「それは困るなぁ。じゃあ、私が小山くんに何かしてくるように頼むから、その話をしてよ」
「なんだそれ。例えば」
興味本位で気軽に聞いた俺が馬鹿だった。話を進めないで約束したんだからとっとと話せと言えば、無かったことにできたのかもしれない。
平行世界から来たという吉田は「そーだねぇ」と薄笑いを浮かべる。それで肩書きに似合った大層な事を言うわけではないと確信した。
「シャツを裏表で着てくるとか」
「……そんなことして、なんになるんだよ」
「それは私にも分からない。だから面白いんじゃん」
「ざけんな。いじめだろそれ」
「いやいや、私は強制してないよ!別に小山くんは私の話を聞かなくたっていつも通りの生活ができるわけで、そこから少し背伸びをする為に対価を支払う。普通の事だよね」
癪に障る。別に俺は対価を支払うことを渋ってるんじゃない。もともとそのつもりだった。ただ!俺の思う対価はそんなくだらない、酔ったオヤジがするようなボケじゃない。吉田の運命の中で、俺に出来る何かをやりたかった。大したことじゃなくていい。どんなにきつくてもいい。吉田の運命に関わることが出来たらそれで満足なんだ。
それをこいつは。吉田はどうしたって俺を凡人に留めておきたいらしい。ただの意地悪か、それとも吉田にも自分だけの特別を失いたくないと思う事があるんだろうか。どちらにせよ、いくら癪に障って凡人の焼き印を押されようが戻る道はない。舌を噛んで頷いた。対価になっているのかすら怪しい道化を無理やり飲み込んで、特別の為に。
吉田は「そんなに嫌がらなくても」と笑ったが、俺は何一つ笑えない。
「まあ、やるのは明日からで。今日は初回特別ということでなんでも一つ質問に答えてあげるよ」
出鼻をくじかれてまたお預けかと教室の隅を睨んだ時だった。あからさまに手の上で転がすのを楽しんでいる。聞くことなんてねぇよと吐き捨てられたらスッキリするんだろうけど、それはそれで吉田の思う壷だろ。まだ頼らなきゃならない。いつまでかは、知らないけど。今考えるのはそれじゃない。
聞きたいこと。明日と今日、布団の中でだいたいリストアップしていた。その中に優劣はつけてないけど、一つだけと言われたら迷わなかった。
「吉田はどうして、この世界に来たの?」
俺の至極真っ当で捻りのない質問、既に答えを用意していてもおかしくないのに、吉田は斜め上に目を泳がせた。
「どうして、かぁ。……簡潔に言うと、魔法の事故かな」
「勝手に簡潔にすんなよ。内容をもっと詳しく」
「えーそうなるともうひとつの質問の域を超えてくるんだけど……まあ、いっか。この話は一度にした方が私も楽だし」
そう言う吉田はさっきから俺の目を見ない。喉に詰まったものを吐き出すみたいなため息をひとつ。机の木目を目でなぞりながら、恐らく、本当に存在する平行世界の話を語り始めた。
「どこから話そうかな。まず私がいた世界、ここの並行世界だって事は前に話したよね。違いは魔法があるかないかで他は殆ど同じ。その魔法も分かりやすいと思ってそう呼んでたけど私の世界では化学に近い。円理術っていうんだ。義務教育にも組み込まれてて、国家資格もある。ついでに言うと私はその準一級をもってて、さらについでに準一級の資格は全国で八百人しか持ってない凄い資格なんだけど、どう?」
「どうって、なに? 凄いねーって言えばいい?」
「うん、マイナス八百点。凄いよ、この点数は。全国で小山くんだけかもね」
「数字だけ言われても分かりづらいんだよ」
白々しい。全国八百人、分かりやすいにも程がある。
偏屈になんともない振りをするより素直に称えた方が遥かに大人なのに、無謀に、俺は対等を求めている。
「もういいからそういうの。本題話してくれよ」
「分かった分かった。とりあえず円理術周りの話は一、二時間じゃ済まないから大雑把に一言で説明すると、円理術はあらゆるものの流れを見たり感じたり動かしたりする技術。それを踏まえて私達の世界を川に例えよう」
そう言うと吉田はおもむろに机からノーズリーフを取り出して、二つの川を描いた。
「私が元いた川と小山くんが今いる川、並んで流れているけど絶対交わらない。それが私の円理術のミスで一方的に繋がっちゃったの。カセットテープみたいに。それで」
「いやごめん。よく分からなかった。その例え」
「え!? カセットテープだよ? 知らないの? こういうやつ、見たことあるでしょ?」
何故か必死に、描きたての川を避けて端の方にそれを描いて見せた。吉田はどこかで見たくだらない大人に重なった。
今の若者は知らない。こんな文句で俺達を笑う大人に。
「いやぁ……やっぱこれがあるから怖いよね、今同い年の子と話すのは。もちろん私が悪いんだけどさ」
「……ちょっとさっきから話ブレすぎじゃない? 途中で遮った俺も悪いけど、どうでもいいよそれ」
交互浴のように浴びせられる、平行世界と平野、吉田の話。知らない単語と仕組みを理解するために脳を酷使している最中に、どうでもいい話で横にいる少女に色が増える。気が散って仕方ない。
突き放した俺の一言にぎこちなく笑う。その姿も、今は邪魔でしかない。
「あーごめん、続きね。どこからだっけ。カセットテープの話からだから、世界が交わったってとこか。そう、それでちょうど交わった場所にいた私はこっちの世界に記憶と意識だけ流されて吉田結菜として生まれ変わった。ここまでが事故の概要。あとはその後の小山くんにも関係することなんだけど、五年くらい前かな、私がいた世界から術師がこっちの世界に来て何かしてるらしいんだ。私が繋げた時は流れ出す勢いに肉体がついていけなかったけど今は落ち着いていて体丸々来られるらしい。なんの目的かはまだ私も分からないんだけど、まぁ、理由はいくらでもあるよね。年中戦争してたし、人、資材、なんでも欲しいんでしょ」
ずっと、どこか遠い国の話だと、そう思っていた。だから今の感覚は突然舞台に上げられてマジックの手伝いをさせられているようだった。
客席と舞台、見える景色の違いに目眩がする。
「それって、結構やばいんじゃ」
「大丈夫」
俺の不安が馬鹿みたいに思える、自信に満ちた声。
「元々私が仕出かしたことだから、責任はとるよ。絶対この世界を二の舞にしない。安心して」
波打ち際、足元にまで来た波が引いていく。当事者という言葉は波に攫われて、また遠い国に。
文字通り、住む場所が違う。技術、用語、常識。何も分からないから、大丈夫を疑えない。対等に疑える人間になりたいと思うけど、その為にはまず戦争の当事者意識を持たなきゃいけない。俺にはその持ち方が、分からない。
「そろそろかな」
廊下に数人、部活終わりの生徒が通り始めて吉田は帰り支度を始めた。猪狩の部活が終わるまで。それがこの時間の決まりだった。
隣で静かに開いたリュックの口に教科書や文庫本をしまう吉田の仕草を目で追う。なにか言わないとと焦る。本来言うはずだった言葉に変わる何かを。今言わなきゃ、俺は当事者どころか部外者だ。
「じゃあ私行くね。明日は先に小山くんがシャツの話をしてからだから」
「吉田」
見切り発車で呼び止めた、案の定言葉が途切れる。さらにその間で向けられた真っ直ぐな視線、無理に作った真面目顔は引き攣り笑いになる。
「今しまった小説、前に面白いって言ってたけど、タイトル教えてよ」