act.9 乙女の日常
星花祭が終わって少ししたあとに、彼女からメッセが届いた。
『今から行きますね』
ぼくは彼女と会う約束をしていたわけでもないのにこの言い方だ。
今日に限っては、ぼくにも用事があったので、すげなく断った。
彼女は食い下がってくるのかと思ったら、あっさりと分かりましたと返信してきたことに少しだけ驚く。
ぼくは学校が終わってすぐに、寮に戻って私服に着替える。
以前に来ていた物はすっかりとタンスの肥やしになってしまっているけど、仕方ない。
彼女に見られたら、どこで見ているかも分からないけど、見ていたら絶対に文句を言ってくるからだ。
しかも、結構理不尽な理由で。
それはそれで面倒なので、彼女に勧められた服を最近は着るようになった。
前の服も良かったんだけどなぁ、とまだ未練は絶えないわけで。
学校に近い駅に行き、電車に乗って、ニ十分ほどでバイト先の最寄り駅に着く。
学校帰りの生徒に混じって、ぼくは出入り口近くのシートに腰掛ける。
窓の外の景色を見ながら、思い出すのは彼女の台本。
彼女の台本の書き込みの量は尋常ではない。
ただの一生徒が書き込む量を遥かに凌駕している。
それもただの学生主体の学校で行う劇なのだ。
中には劇団でやっている生徒や、役者として仕事をしている人もいるみたいなのだが、それでも学校にいる生徒に向けて行われる劇。
そこに著名な人が見に来るというわけでもない。
だから、拙さが出たとしても何も問題ではないし、本気でなくても何も問題はないのではないかとぼくは思ってしまった。
だけど、彼女は違う。
彼女は多分、役者として立つ場所のことには、真摯であり、誰よりも本気だ。
ただ、他人を自分と同等に役者として立つ場に立たせようとして扱き下ろすのはさすがにどうかとは思うが。
それが彼女なりの役者としてのコミュニケーションだとしたら、ものすごく不器用だ。
口で伝えてあげればいいのに。
それをしないで、舞台の上で叩きつけるようにして、あんたにだってこれぐらい出来るでしょって相手も出来るかどうか分からないことをやらせようとしてるのは、スパルタ過ぎる。
もう少し相手に合わせて、指導する方法を学ぶべきだと思う。
彼女の台本を読み込んでいけば、そう言っているのが分かってくる。
そして、彼女が昔、舞台の上に立っていたことも。
なぜ、今は裏方に回っているのか。
いや、そこも結論は出ている。
今の彼女は舞台には立てない。
何故か、彼女は舞台に立てなくなっていた。
この理由を探すことで、ぼくはやっと彼女が理解できるような気がするし、その隣に立てるような気がする。
それに今の関係の解消だって、出来る気がする。
あまり頼りたくはなかったが、ここは頼らざる得ないか。
お姉ちゃんに。
テレビ局で働いているから、辞めて行った子のこととか詳しく分かるかもしれない。
そんなことを考えると、いつの間にか最寄り駅に到着したので、ぼくは電車を降りた。
駅から出て、数分歩いて、本通りから外れたところにある小さなカフェ。
そこの裏に回って扉を開ける。
「こんにちはー」
「今日もよろしくね、みひとちゃん」
身長はぼくよりも高く、百六十台後半と言ったところで、髪は緩いウェーブがかかった茶色の髪。
眉尻の下がった優しそうな目付きは、その性格を表わしている。おっとりとして優しい、お姉ちゃんとは違うとても大人の女性だ。
今は白いシャツに店名の書かれたエプロンを身に着けているが、締まった体で出るところは出ていて、くびれもしっかりとあるとても女性らしい体型の持ち主でもある。
店長をしている、樋上奏さんのその体を何度羨ましいと思ったのか。
カッコイイとは違うけど、やはり自分の体にない者を持っている人は羨ましくなってしまう。
これは人の性だと思うから仕方のない事だ。
「はい、よろしくお願いします」
そう言って、更衣室として使っている小さな部屋に行き、綺麗に洗濯されているエプロンを身に着けて、フロアに出る。
基本的にぼくはバックに行かない。
基本はフロアでお客さんから注文を受けて、それを奏さんに伝えて、奏さんが出したものをお客さんに届けるだけ。
後は客席の掃除をしたり、片付けたりとかぐらいの仕事。
駅には近いには近いのだが、本通りを外れているせいか、あまりお客さんは来ない。
まるっきり来ないというわけでもないが、ぼくがここで働き始めて、このお店の客席が埋まっているところは見たことがない。
見たことがないのだが、お客さんは来ているという不思議。
カフェという性質上、長居するお客さんが多いから、最初に注文を受けて、少し経てば暇な時間がすぐに訪れる。
店内は小綺麗というよりも、少しレトロな雰囲気。
今どきのオシャレなカフェと違って、年季を感じる。
店内も煌々と照明が点いているわけでもなく、お店の雰囲気と合わさって外よりも薄暗く感じる。
ちゃんと照明は付けてるはずなんだけど。
今日もぼくがフロアに立つと、すぐにお客さんが一人入ってきた。
背の高い、腰まである長い髪の女性。
背を丸めて、前髪で顔を隠していて、大変失礼だとは思うが、夜道で突然出会ったとしたら叫んでしまいそうな容姿をしている。
着ている物が紺色のジャケットにワンピースの組み合わせで、そういう人ではないというのが分かるのだが、これが白のワンピースだけとかだったら、疑って見てしまっていたかもしれない。
髪の長い女性を席まで案内して、注文を取るのだが、彼女は一言も発せずにメニューに書いてあるケーキセットを指で示した。
ぼくは注文を繰り返して、確認してといつもの流れで奏さんに注文を持っていく。
髪の長い女性の伝票を持っていくと、入り口についているベルがカランカランと軽快な音を立てた。
珍しいと思い、フロアに戻れば、派手なメイクの女性が入ってきた。
さっき入ってきた女性とは正反対。
バッチリ二重にばさばさのつけまつげ、暗めのアイラインに瞳の色も黒じゃないからカラコンを入れているんだろう。
金髪で毛先は丸めているセミロングの髪。
黒のタンクトップに白いコート、白のミニスカートともう秋も近いと言うのに露出の多い服装でどこか彼女を思い浮かべる。
とそこで、一つ思い浮かんでしまう。
あのあっさりとした彼女の返答。
もしかして、ぼくのことを付けてきた可能性もあるのではないか、と。
ありえないと思うのだけど、彼女のことだからなぁと頭を悩ませる。
やらないかやるかと言ったら、彼女はやるだろう。
どんな目的があるのかは知らないけど、彼女の性格だとやりそうだ。
何が面白いのかと思ってしまうが、ぼくが困惑する顔でも見て楽しんでいるんだろう。
理由なんてきっとそれぐらい下らない。
ただ、彼女は顔を変えられる。
メイクもすれば、ウィッグまで使うし、服装も雰囲気もがらりと変えてくる。
舞台の上であれば、きっと大事な力なのだろうと思うのだが、今のこの場で披露するにはあまりにも無駄な力だ。
けど、彼女はやるとしたらそこまで徹底してやるんだよなと短い付き合いではないぼくは知っている。
今、店内にいるのは二人。
一人はギャルでさっきからスマホを操作している。
もう一人は髪の長い女性で、届けたケーキセットには手を付けないでずっと本に目を落としている。
しばらく観察していたが、どっちもなかなか退店しない。
ぼくも暇だし、空いているテーブルを拭いたりしていたのだが、今日は特別暇な日だ。
することがない。
手持ち無沙汰でも、スマホを構うわけにも行けない。
それにしてもこの調子で、お店大丈夫なのかとバイトの分際で心配になる。
楽に稼げるからぼくとしてはいいのだけど、潰れてしまうのは困る。
だって、これ以上のいいところを探すのに苦労するだろうから。
ぼくのバイト時間ギリギリまで、二人の女性はいた。
先に出て行ったのは黒髪の女性で、その後にギャルが出て行った。
それを見て、あれ違ったのかなと思ってしまう。
なんだか彼女に出会ってから、考えすぎてしまっていたのかもしれない。
彼女と出会ってから、早数ヵ月。
ぼくは彼女に振り回されていた。
いや、現在進行形で振り回されている。
ぼくが行く先々に彼女は絡んで、ぼくと一緒に行動しようとしてくるせいで、そう思い込んでしまっていただけなんだと思うことにした。
バイトの時間も終わって、店長に挨拶をして、また裏口から出ていく。
楽なバイトだった。
気が完全に抜けていたところで、肩を叩かれた。
何だろうと思って振り返ると、顔が髪で隠れた女性がすぐ後ろに立っていた。
「――――!」
叫んだ、と思ったが実際には声にならなかった。
一歩、二歩と後ずさった後、道路だと言うのに尻餅を着いてしまう。
すると、顔の隠れた女性がくすくすと笑って、
「先輩、びっくりしすぎですよ」
髪をかき上げると、いつものメガネににっこりと気色を浮かべた口元。
そして、聞きなれた声は彼女そのものだった。
「先輩、ちっとも声をかけてくれないんですもん」
彼女が口を尖らせているが、ぼくはそれどころじゃない。
そんなぼくの様子に気が付いたのか、彼女が首を傾げた。
「先輩?」
「……起こして」
ぼくが手を差し出すと、彼女に引っ張り上げられた。
情けないと思うと同時に、彼女の前ではこんな事ばかりな気がする。
それもこれも彼女が悪いわけなのだが。
「どうしてここに来たのさ」
「先輩が用事があるって言うから、先輩を構えなくて暇だったんで付いてきちゃいました」
色々と言いたいことが思い浮かんで来たのだが、どれもこれも言う直前で消えてしまった。
やっぱり僕の考えは間違って言わなかったわけだし。
「どうでした? あたしの変装」
「有名な怪盗にでもなるつもり? まぁ、分からなかったけどさ」
分からなかった事実は伝えた。
彼女が得意気な笑みを浮かべる。
「先輩も驚いてくれましたしね」
「もう二度としないで」
彼女の言う驚いたはきっと、雰囲気とかがらりと違った変装ということだろう。
けど、ぼくが驚いたのはそんなことではない。
単純に彼女が幽霊に見えて驚いただけだから。
そんな彼女はぼくの意見なんて関係なしに次はどうしようかと悩み始める。
「そんなことはいいから、帰るよ」
「そんな事って、先輩、大事なことですよ?」
全然大事なことじゃないんだが。
それにあんまりここでダラダラしていたら、帰宅時間が遅くなりすぎてしまう可能性もある。
それは割けないといけない。
学校にバイトの届けを出していない身であるから、余計に気を使う。
ぼくが歩き始めると、彼女が腕を絡ませてくる。
「……歩きにくいんだけど」
彼女が体をくっつけてきて、指を絡ませるようにして繋いできた。
「行きましょう、先輩」
相変わらず、彼女はぼくの意見なんて聞かないで勝手に歩き始める。
学校に着くまで、彼女がぼくの手を離すことはなかった。