act.7 少女の夢
カシャカシャカシャカシャ。
何度もカメラのシャッターが押される音が響いている。
眩しい光。
世界はあたしだけを映し出している。
そう、今、この世界では私が主役だ。
大人たちの声が響く。
責任、責任、責任。
あぁ、うるさい。
あたしが何をしたって言うんだ。
あたしは何もしていない。
全部、あたしのパパとママがやったことじゃないか。
そいつらはここにはいないのに、どうしてあたしが責められなきゃいけないのか。
責任。
違う。
あたしにそんなものはない。
あたしは何もやましいことはしていない。
うるさい。
黙れ。
何も知らないのに。
カシャカシャカシャカシャカシャカシャ。
あたしを映すな。
こんな惨めなあたしの姿をカメラに収めるな。
あたしを輝かせるためのライトのはずなのに。
それが今や、あたしを罪人のように照らし出している。
多くの人があたしを叩くのにご執心。
見るな、映すな、喋らせるな。
カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ。
ライトの光が熱い。
嫌だ。
あたしは悪くない。
頭の中にカメラのシャッター音が響く。
うるさいうるさいうるさい。
いやいやいやいやいや。
もう嫌。
見ないで。
見るな。
見ないで。
照らさないで。
ライトはあたしにとっては祝福だったのに。
罪人のように照らさないで。
助けて。
ママ、パパ。
助けてよ。
あたしを、見て。
あたしを助けて。
ここにいるから、こんなにライトを浴びてるから。
お願い、助けて。
うるさいカメラの音にあたしの声は遮られて通らない。
もう嫌。
カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ。
助けて、誰か。
目が潰れそうなほど、煌々と光るライト。
眩しい。
あたしの好きだったもの。
大きな影が出来る。
あたしの嫌な部分をくっきりと映し出す。
否定したくても、ライトに照らされたら全てを暴かれてしまう。
照らさないで。
醜いあたしを白日の下に晒さないで。
あたしの影、醜悪さ、秘密。
全てをさらけ出してしまう、真実の光。
あたしの恐怖の象徴。
あぁ、カメラの音が大きくなる。
頭が割れそう。
助けて、誰か。
お願い。
この悪夢を終わらせて。
助けて。
助けて。
助けてよ!
φ
目覚めは最悪だった。
意識は急速に回復して、自分がしっかりと息が出来ていることを確認出来た。
なんであたしは寝ているんだろうか。
そんなことも忘れてしまっている。
それにしても、嫌な夢を見た。
昔からずっと繰り返している悪夢。
内容なんて覚えてない。
けど、きっとあたしの記憶に鮮明に焼けついているあの日の光景。
あれに間違いない。
あれしかない。
天井を眺めていると少しずつ落ち着いていき、頭が回り始める。
寮ではない。
それなら保健室だろうか。
手に感触を覚えて、寝返りを打てば、隣で先輩が寝ていた。
なんでこの人、あたしのメガネをかけているんだろう。
それになんで手を握ってるんだ。
いやらしい事でもしようとしてたのか。
もしかして、キスとかしてきたんじゃないのか。
つないでいた手を離して、唇に触れてみるが乾いている。
多分、大丈夫だ。
この人、多分見た目よりも色々幼いだろうから、何もされるわけないだろう。
多分、あたしは運ばれてきたんだろう。
最後に記憶にあるのが舞台の上だし。
この人はそんなあたしがいたと言うのに、こうして横に並んで寝ているとか、どういう神経をしているんだろうか。
普通ありえなくない?
心配そうにベッドの横に座って俯いているなら分かるけど、隣で寝るってどういう神経していたら出来るんだろうか。
それに一番腹立たしいのは、幸せそうな寝顔を浮かべているところだ。
きっとさぞ素敵な夢を見ているんでしょうね。
あたしが見たくもない悪夢に悩まされていると言うのに、今にも涎でもたらしそうな幸せそうな寝顔をしている先輩の姿を見ていると、無性に腹が立ってきた。
だから、先輩の髪を上げて、おでこを露出させる。
持てる力いっぱいを込めて、思いっきりデコピンをした。
「……っう!」
パチンという音とともに先輩が目を覚ましておでこを抑えている。
「何、何で?」
おでこを抑えて声を出しているから、きっとあたしがどんな顔をしているか分かってない。
「何ではこちらのセリフです。何で先輩が隣で寝ているんですか」
「はぁ? 君がぼくの手をつかんで離してくれないから、仕方なく楽な体制を取っていただけだよ」
「あたしが先輩の手を? そんなことあるわけないじゃないですか」
非難めいた眼をこちらに向けてくるが、あたしはそんなこと絶対にするわけない。
勝手な言いがかりは本当に困る。
まるであたしが悪いみたいじゃないか。
「それにそれだけじゃないです。あたしのメガネ、勝手に着けないでください。返してください」
「度が入ってないじゃん」
「当たり前じゃないですか。メガネが必要な視力じゃないんですから」
「だったら、何で」
先輩がかけているメガネをそっと取る。
フレームを曲げたくないから。
お気に入りの一つだし。
「普段から掛けてれば、みんなあたしのこと目が悪い子って思うじゃないですか」
「まぁ……確かに」
「それにこの髪型にメガネがあたしのスタイルだってみんなそう認識してくれますから」
先輩はぽかんと分かってない雰囲気を隠そうとしない。
この人は全部出る。
顔にも雰囲気にも動きにも。
何一つとして隠そうとしない。
幼稚で愚かな可愛い先輩。
それにみんなこの顔があたしの顔だって認識してくれる。
先輩は知らないかもしれないですけど、人間って割と単純なんです。
見たいようにしか見ないんですよ。
だから、あたしが髪型を変えてメガネを取ってしまえば、それだけで認識がズレて分かってもらえなくなるもの。
「意味分からないけど、まぁ……倒れた割にもういつもの調子みたいだし心配なさそうだね」
あたし倒れたのか。
今になってようやく理解した。
自分の情けなさに反吐が出る。
いつでも克服できないことが、こんな醜態をさらしてしまう事が悔しくてならない。
起き上がって、自分の周りを見る。
布団の中も見るが、ない。
あたしが持っていないとおかしい物がない。
「先輩、あたしの台本知りませんか?」
「さぁ? ぼくはきみに手を握られていたから、何も持ってこれなかったから」
嘘くさい。
先輩はあくまであたしが手を握って離してくれないことにしたいみたいだ。
いや、先輩のことはどうでもいい。
あれは手元にないと、少々困る。
「どうしたの? 何か台本にあるの?」
「……自分の仕事について、打ち合わせをしたこととか色々書き込みがありますから、無くなると困るんです」
これは本当。
頭に入っているからいいのだけど、あればあった方がいい。
問題はそこではない。
中に書いてある内容だ。
見られてしまえば、今までのあたしの演技が無駄になる。
一目では誰の台本なのか分からない……なんて希望的観測は思わない。
演者ではない、裏方の仕事のことの書き込みもされているので、裏方の誰かということで犯人探しが始まったら面倒なことこの上ない。
仲良しクラブ活動に亀裂を生みかねない。
その頃には、あたしはきっとそこを去っているだろうけど。
探しに行こう。
あたしはベッドから降りようと思ったところで、先輩が声をかけてきた。
「そう言えば、八神先生が君のこと見たことあるって言ってたけど、知り合いだった?」
保健室の先生。
顔が全く思い出せない。
女性だったのは覚えているのだけど、それ以上となるとちょっと覚えがない。
「いえ、全く知りませんけど」
「そうなんだ。どこかで会ったのかな」
あたしは知らないのに、相手が一方的に知っている。
きっと先生はあたしのことを見たことがあるんだろう。
あたしはそれなりにテレビにも出ていたから。
先生が何歳かは知らないけど、大人であるならば見たことがあるかもしれない。
先輩はあたしが何で顔を隠しているのか、深く考えていないだろう。
人よりも顔が整っている程度だったらここまでのことはしない。
むしろ誇りに思って、あたしだったら積極的に晒していくと思う。
だけど、それをしてしまうのが都合が悪い場合もある。
あたしにとって、それはとても都合が悪い。
面白おかしく取り上げられたら、腸が煮えくり返るかもしれない。
「デジャブ、とかじゃないんですか?」
「そうかな、そうかもしれないね」
先輩があっさりとあたしの言葉に乗っかるのに、違和感を覚える。
先輩は確かに幼稚なところはあるし、単純な思考をしているところもあるのだけど、あたしの言い分に対しては、警戒心を持っているのか素直に受け取ってはくれない。
探りたい気持ちもあるのだけど、先にやることがある。
ベッドから降りて、伸びをした。
「もう少ししたら、八神先生帰ってくると思うから、それまではいた方がいいと思うんだけど」
「寝て元気になりましたから、あたしにはもうここにいる用事はありませんから」
先輩は呆れたように大きなため息を吐いた。
「……分かった。それならぼくの方から八神先生に言っておくから、行きなよ」
先輩の言葉には心底面倒くさいという感情が、隠さずに伝わってくる。
「あたし、そうやって隠さずにあたしに悪態を吐いてきてくれる先輩のこと嫌いじゃないですよ」
「はいはい、分かったから早く行きなよ」
先輩はベッドに腰掛けて、あたしに早く行くように促す。
保健室の扉に手をかけたところで、先輩の方に振り返る。
「あたし、先輩には本当に感謝してるんですからね」
「何に対して、感謝されてるかぼくには分からないけど、君がそんなこと思っているなんてちょっと意外だね」
「酷いですね、先輩は。あたしだって感謝ぐらいしますよ」
先輩からしたらあたしは血も涙もない酷い人間に思われているなら、この上なく心外だ。
あたしは血も通っていれば、涙も流すし、こうして感謝もするごく普通の人間なのに。
「メガネ持ってきてくれてありがとうございます。台本も持ってきてくれていたらもっと感謝していましたけど」
「その一言で全部台無しだよ」
先輩に笑みを向けて、保健室を出た。
舞台に戻り、台本を探したのだが、あたしの台本は結局見つけることができなかった。
φ
彼女が出ていった扉を見つめていたが、一息ついて視線を外す。
彼女はきっと台本を探しに行ったのだろう。
服の上からお腹を触ると紙の感触がした。
彼女は嘘をついている。
嘘と秘密で覆い隠されているから、今更一つぐらい嘘をついていても変わりはしないのだけど、ぼくにも分かる程度の嘘をついた。
彼女は八神先生がどうして顔を見たことあるのか思い至っていた。
彼女の嘘と秘密が何かは知らない。
ただ、知れば今の関係を終わらせることが出来るかもしれない。
姉やお父さんに迷惑はかけられない。
形だけの脅しであっても、それは終わらせないと彼女の前に安心して立てはしない。
だから、これはしばらくぼくが使わせてもらう。
ぼくも今日彼女に嘘をついた。