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act.3 その少女、悪意の底が知れない

「ぼくはきみよりも先輩なんだけど?」


 一応、そう言ってみる。

 けど、彼女、宮城翼と名乗った子は最初にあった印象とは大きく変わった。

 前髪をかき分けて、目を出すだけで全く変わる。

 あんなにおどおどしている子だったのだが、目が出るだけで自信に満ち溢れて高圧的な笑みを浮かべた正反対の印象の女性になった。


「あぁ、そうでしたね。忘れていました、みひと先輩」


 彼女は全く悪びれることもなく言ってのける。

 どの顔が彼女の本当の顔なのか。

 ぼくには見分けることが出来ない。


「どうしたんですか、みひと先輩。そんな鳩がマメ鉄砲食らったような顔をして」


 彼女がくすくすと笑うのだが、上品というよりもどこかこちらを見下したような目をしている。


「あぁ、分かりました。あたしの性格が全然違っているから戸惑っているんですね」

「……そうだね」


 会話の主導権は今、宮城翼が握っている。

 どこかで握れないかと思っているのだが、ギャップに戸惑って彼女の性格が掴めないせいで手が出せない。


「今のあたしが本当のあたしですから安心してください、先輩」

「それじゃあ、聞くけど、どうしてこんな事をしたんだい?」

「どうして? どうしてって聞いたんですか?」


 彼女の口が三日月のような笑みに変わる。


「理由は一つ。シンプルにあたしが楽しいから、これに限りますよ」

「は?」


 思わず聞き返してしまった。

 そんなことで、ここまでするかという気持ちがあるから。

 

「先輩たちってやっぱりピュアですよね、ピュアピュア。みんな温室育ちで人の悪意に晒されたことなくて、綺麗な心で善意たっぷりなピュアな心」


 うっとりと手を胸の前で組んで呟く。

 小鳥がさえずるような弾んだ声。

 楽しそうに明るい音色。


「とっても反吐が出る」


 そのままの声音で毒を吐かれて、動きが止まった。

 ぼくの思考が止まっている間に、彼女の口はどんどん回る。


「あぁ、違いましたね。先輩が理由を理解出来ないわけですよね」


 ぼくは誰と話しているのだろうか。

 彼女はちゃんとぼくに向かって話しかけているのか。

 認識がズレているような気がしてならない。


「先輩が頑張って走り回ったり、色々な人に聞いたりしているのを見て、あたしはとっても楽しくて、そんな頑張っている先輩がとっても滑稽に見えて、胸がとっても満たされるんです。ええ、先輩、全部あたしの自己満足を満たすためですよ」

「……君はぼくをバカにしているのか?」

「はい、バカにしたんですよ?」

 

 ニコリと笑顔を浮かべて、可愛らしく小首を傾げた。

 彼女の言葉には明確な悪意がある。

 ぼくを傷つけようと言葉を選んで、正確に抉ってやろうという気概すら感じた。

 こんな奴のこと、知らないと言って逃げ出してもいい。

 相手にすることはないと、一歩足が下がると、彼女の視線が下を向いた。


「バカにされて、逃げるんですか?」


 なぜ、引き留める。

 ぼくをバカにしたいなら、もっと追い立てる言葉を並べればいい。

 それが彼女には出来るはずなのにそれをしない。

 それが不可解でしかない。


「一歩下がっただけだよ」


 ぼくがそう答えると、彼女が目を細めた。

 

「ええ、そうですよね、そうですよね。先輩の憧れているような人たちだったら、逃げるなんて選択しないはずですからね」


 こうやって正確にぼくの逃げ道を塞いでくる。

 なるほど、彼女の性格の悪さが少しずつ身に染みてきた。

 

「ぼくが憧れている人はきみのような子の言葉には決して屈しない。それも分かっているんだろうね?」


 そうだ。

 ぼくが見てきた女性はもっと凛としていたんだ。

 だから、こんな事で逃げたりとかもしないはず。

 ぼくの言葉を聞いて、彼女は一瞬だけ表情が抜けた顔を晒したのだが、すぐに笑みが戻った。

 どうしてそうなったのか分からない。

 もしかしたら、そこに突破口があるのかもしれないと考えた。


「ええ、ええ、そうですね。だったら、あたしは先輩の悪を演じましょう」

「……いや、きみはずっと悪い方でしょ」

「そんな、先輩酷いです。あたしはこんなにも先輩のことを思っていて、今も思っていながら悪を演じようとしているのに」


 わざとらしい甘ったるい声。

 うるうるとにじませた目を向けられるのは、すごいと思うのだけど。

 そうやって、人に媚びて今まで着たのだろうか。


「あたしは先輩の悪。あぁ、栄えある悪として、先輩を追い詰めないといけませんね。手始めにまずは、先輩のご家族からというのはどうでしょうか?」

「は?」


 この子はぼくの家族をどうすると言ったのか。

 いや、それ以前にぼくが狙われるのが普通ではないのか。

 それが何で家族になるんだ。


「先輩のご家族はどなたがいらっしゃるのでしょうか? あぁ、いえ、言わなくても大丈夫ですよ。これからしっかりと調べてあげますから、ご両親は健在ですか? それならいいですね。兄弟や姉妹は? 羨ましいですね、あたし、ひとりっ子なんですよね。姉は欲しくないですが、可愛い可愛い妹は欲しかったですね」


 そこまで一気に一人で話した後に、笑顔になって胸の前で、パンと音を立てて手を合わせた。


「ご家族との仲が悪いのであれば、お友達でもいいですよ? 親友の方とかいます? この学園の方なら尚いいですね。きっと、それはもう楽しいことになるかと思いますから」


 ぼくのママはいない。

 パパは色々なところを飛び回っているので、ぼくやお姉ちゃんにだって、今どこにいるのか分からないぐらい忙しい。

 だから、お姉ちゃんに手を伸ばすのだろうか。

 だけど、この子はぼくのお姉ちゃんを知らないはず。

 ぼくだって、お姉ちゃんがテレビ局で働いているというぐらいで、どんな仕事を知らないんだ。

 手は出されるはずはないと思うのだが、それでもやってやるぞという気概を感じてならない。

 家族のことは安易かも知れないが大丈夫だと思うのだが、友達のこととなると話は別だ。

 少しでも一緒にいる人物は話を聞けばわかるはず。

 誰とよく一緒にいるかとか、クラスであれば筒抜けだ。


「先輩、出来ないと思っているでしょう? けど、こういうのはとっても簡単なんですよ? 善意の中にちょっとした悪意を混ぜてあげるんです。親切心の中に毒を流し込んで、教えてあげるんです。あなたのことが心配ですって目をしていうとこっちに目を向けてしまう。そうなったら、流し込む毒をちょっとずつ、ちょっとずつ増やしていけばいいんです」


 彼女はにやりと笑みを浮かべた。

 そこには裏打ちされた自信が溢れていた。


「人間、自分が見たいものしか見ません。聞きません。そんなことや事実なかったとしても、思い込んだ人には世界が歪んで見えるものですから。そうなったらもう先輩の言葉は届きません。楽しいですね? みんな変わる、世界が変わる。歪んで、壊れて、みんな傷ついて誰一人幸福にならない。素敵ですよね?」


 どこが素敵なのか。

 そんなのだれも望まない結末だ。

 だから、自然と言葉に出ていた。


「……やめてくれ」

「何か、言いましたか?」


 彼女が顎を引いて、こちらを見下していた。


「お願いだから、そんなことしないで欲しい。やめてほしい」

「先輩、あたし人への頼み方って結構詳しいですよ。背筋を伸ばして、両手を横にくっつけて、腰は九十度に曲げて、大きな声でお願いするんですよ。『お願いします、止めてください』って必死に敬語で」


 やれ、と。

 そうしろと彼女は言っているのだろう。

 ぼくにもっと言い返す力があれば、こんなことにならなかったかもしれない。

 それに彼女が示した狂気を知らなければ、もっと強気でいけたかもしれない。

 どれもあり得ない未来だ。

 もう未来はこうして決まっているのだから。

 だから、ぼくは彼女の言う通りに、背筋を伸ばして、両手を横に置いて、腰を曲げる。

 彼女の言う通りに九十度。

 

「お願いします。誰かに手を出すのをやめてください」

「先輩がそんなに必死になってお願いするなんて……しょうがないですね、先輩にそこまで言われたら何もしないことにしますね」


 彼女の楽しそうに弾んだ声が頭に振ってくる。

 こちらは何一つ面白くないのに。

 だから、もういいのかと顔を上げようとしたところで、彼女の言葉で半端に止まってしまった。

 

「それじゃあ、みんなの代わりに先輩があたしの相手をしてくださいよね?」

「え」

「良いですよね? じゃないとあたし寂しくなって他の誰かのところに行っちゃうかもしれませんけど」


 他の誰か、か。

 相手しなかったら、ぼくの友達や家族のところに行くってことか。

 おじぎの体勢から戻して、精一杯の反抗として、睨んでおいた。

 

「いいよ、好きにしたらいい」

「あは、ありがとうございます、先輩」

「あの、すみません……何かありましたか?」


 遠くから知らない人が声をかけてきた。

 けど、腕に風紀委員を示す腕章をしている。

 制服が違うのは中等部の子かな、けど、何で中等部の子がここまで来ているのかと思ったのだが、ぼくが声を出す前に彼女が口を開いた。


「何もありませんでしたよ? あ、先輩に相談があってそれに乗ってもらっていたんです。そうですよね、先輩?」


 そう言いながら、ぼくの肩を両手でつかんだ。

 そして、小さな声で、「笑顔、怪しまれたらタダじゃ済みませんから」と脅しもかけて。

 

「……そうだね、ぼくはこの子の相談に乗っていたんだ」


 風紀委員の子が訝し気な顔をしているのだが、一応納得したという顔で答えた。

 

「それならまぁ……はい。もう最終下校時間も近いので早く寮に戻った方がいいですよ」

「うん、分かった」

「はーい」


 それぞれで答えると風紀委員の子が去っていった。

 その奥には同級生の川渡さん、だったかな。

 どういう関係なのだろうかと意識が向きそうになったが、今は彼女に向き直る。


「最終下校時間が近いだって。ぼくたちも帰ろう」


 ぼくがそう誘うのだが、彼女は首は横に振った。


「もう少しだけここにいます。先に帰っていてください」

「分かった。それじゃあ、先に失礼するよ」


 彼女がここに残って、悪さを企むのかもしれない。

 それを見張っているのも、咎めるのも無理だ。

 きっと本気で彼女がぼくに危害を加えるつもりで企むのであれば、ぼくにバレないように行動を起こすだろう。

 だったら、彼女を見張っている時間というのは無駄なのだ。

 彼女に背を向けて、寮への帰路に着いた。


 φ


 やはり、先輩は凄い。

 みひと先輩はあたしが思っていたよりも素晴らしい人物だった。

 あたしがどんなに悪意を向けても、それに屈しない。

 いや、それだけならままあることだった。

 だけど、頭を下げてお願いしろと言ったところで、あそこであたしを睨みつけてくる気概が素晴らしい。

 それにその後まだ折れている気配が全くない。

 あぁ、素晴らしいみひと先輩。

 次はどんなことをしようかな。

 みひと先輩は、これから付き合ってくれるとも言ってくれた。

 楽しい事ばかり。

 どんなことをしようかと考えると、楽しみばかりが浮かぶ。

 楽しい事ばかりが思い浮かぶのに、それに対してどんどん胸の中は虚しくなっていく。

 あぁ、先輩。

 あたしの胸の虚しさをどうか埋めてください。

 どうか壊れないでくださいね。

 あたしの愛情で。

 あたしの悪意で。

 楽しい気持ちは溢れているはずなのに、あたしの胸はどんどん空虚になっていく。

 穴の開いた箱のように。

 あたしはこの幸せの気持ちで満たしたいだけなのに。

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