act.2 奔走する乙女
それからぼくは奔走した。
あの日あった彼女を探すために。
あの時、ぼくはただ茫然としていて彼女が行ってしまうのを目で見送ることしか出来なかった。
あとで探す時にきっとすぐに見つかるだろうと、勝手に高をくくっていたのもあるんだけど。
だけど、よくよく考えて、思い出していくと彼女は校章をしていなかった。
だから、どの学年に所属しているのかすぐに分からない。
顔が分からなくても、校章の色で学年が大体見当がつくのに、と悔しい思いでいっぱいになった。
この学園に通っているなら、よくよく分かることだ。
例え、名前が分からなくても、校章の色で特定するのが容易ということを。
彼女が去っていくのを、呆然と見送り、校舎の角を曲がったところで思い出したように駆けたのだが、それでも姿かたちは消えていた。
悔しさと同時に、熱い気持ちが胸の中に広がっていくのを感じた。
彼女が触れた唇に気が付けば、自分で触れていて恥ずかしくなって頭を振る。
だけど、ぼくは知ってしまった。
あの時あった彼女は思わず目を向けてしまうほど綺麗で、その瞳に吸い込まれてしまいそうなぐらいカッコよかった。
きっと、あれがぼくの目指すものかもしれない。
今までのカッコいい人たちとは何かが違う。
けど、そう、その何かが分からないけど、それが大事なのだと思う。
だから、ぼくはもう一度彼女に会わないといけない。
そのために探しているのだが、見つからなかった。
最初はあの顔立ちや身長から安易に最高学年である三年生のクラスの誰かと思って、各クラスを巡ってみたのだが、どこにも該当するせ生徒はいない。
次に二年生のクラスを見て回ったのだが、そこにももちろんいなかった。
ありえないと思いながら、一年生も見て回ったのだが、彼女の姿はどこにもない。
外部の人間、という可能性もあるのだが、わざわざ制服を着て、ぼくにだけ会いに来るというのはあり得るのだろうか。
ない、とは言えないけど限りなく低いだろう。
どこにいるのだろうかと、行く先々で彼女の影を追っているのだが、その姿はどこにも見えない。
彼女に言われたからではないけど、それからぼくはあまり女の子に、カッコいいと思った女性のような行動はしていない。
その分、放課後は彼女を探す事に時間を掛けたいからって言い訳をしておく。
ぼくが彼女を探して幾日経ったか分からない。
その日、たまたまベンチで本を読んでいる女子生徒を見つけた。
牛乳瓶の底のような厚いレンズはサングラスのように加工されていて、瞳まで覗けない。髪はばさばさで長くて手入れとかしていない感じで、ファッションとは縁遠い子みたいに見えた。
「ねえ、きみ」
ぼくが声をかけると、その女の子は顔を上げて、キョロキョロと周りを見回した後にぼくに視線を向けた。
「え、あ……あ、あたしのこと、ですか……?」
人見知りの激しい子なのかもしれない。
見た目からして、友達が少ないとか一人でいるのが好きなのかもしれない。
「きみ、この前、ぼくと歩いていた人を知らないかな?」
「え、っと、あのご、ごめんなさい……分からないです」
顔を伏せた彼女の色は黄緑色。
一年生。
後輩か。
本で口元を隠してしまったのは怯えられたからだろうか。
怖がらせる気はなかったのだけど、ここまで怯えるほどだろうか。
ぼくの顔はあまり怖くない、と思う。
人には可愛いと言われているから。
とても不本意であるけど。
そう、あえてもう一度言うが、不本意だ。
「あ、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだ。それじゃあ、ね」
人見知りの女の子に別れを告げて、ぼくは捜索を再開した。
それから夏休みに入れば、見つけることは出来なかった。
彼女はどこにいるのだろうか。
夏のうだるような暑さに辟易しながら、星花祭という文化祭の準備にみんな精を出している。
演劇部も練習しているのか、声が聞こえてくる。
ここはよく声が通るんだなとベンチに深く背を預けて聞き流していると、耳に残る声があった。
「あら、あなた、それはわたくしの物ではなくて?」
それはきっと星花祭で披露する演目だと思う。
ただのセリフのはずが、違った。
あの時の声音にそっくりだったから。
あまりにも同じ声だから、ぼくはその声をした人を見れば、口角だけ上げた意地悪そうな笑みを浮かべたメガネをかけた生徒。
あのベンチで見かけた子だった。
ぼくはどういうことか分からず、呆然と見ていたらその子と目が合う。
女の子は驚いたように台本で顔を隠して去っていく。
恥ずかしそうにして去っていく。
普通ならそう見えるのだが、今のぼくにはそう彼女が装っているようにしか見えなかった。
ぼくはその次の日、彼女に会った。
いつものベンチで彼女は厚い本を読んでいた。
「きみがあの日の彼女だったんだね」
ぼくがそれだけ言うと、彼女が怯えるようにして、ゆっくりと本を閉じる。
どんな目で僕を見ているのかレンズのせいで見えやしない。
だけど、彼女の片方の口角だけははっきりと吊り上がった。
φ
先輩があたしのことを探しているのは、すぐに分かった。
二年生の先輩がわざわざ一年生の教室に来る理由なんて他にないから。
先輩があたしに気が付くことなどないだろう。
顔も声音も変えていたし、何よりも校章も外していた。
だから、辿り着くまではどれだけかかるのか。
それが楽しみでもあるのだが、あたしから見たらあの先輩は相当抜けているので、もしかしたら辿り着かない可能性だって十分にあり得る。
それにしてもあれから時々部活がないときとかに校庭のベンチで先輩を観察することにした。
だって、先輩、全然だし。
それにしても、あの先輩は少し変わった。
前は確か、数人の女子生徒を侍らせていたというか、囲まれて連行されていたといった方が正しいのかもしれないのだが、それがなかった。
先輩はあたしの言葉に従っているのか、粉かけるのをやめたみたい。
感心感心。
先輩はやっぱりピュアなんだな。
いや、この学園自体がピュアな人が多い。
きっと、みんな世間の悪意に晒されたことないんだろう。
そうやって、可愛く花を愛でるように育てられたんだろう。
温室育ちの純粋な少女たち。
反吐が出る。
先輩は頑張って、探そうとしているけど、どこを探そうと見つかるわけがない。
いつも本を持ってベンチに座っているのだが、本を持ってきてよかったと毎度思う。
笑いを隠すのに最適だから。
先輩が奔走している姿が、馬鹿みたいで、そんなところを見ていると笑いがこみあげてくるのだ。
先輩を選んで大正解だった。
だって、ここまで滑稽な姿をあたしに見せてくれているんだから。
ベンチで過ごしていれば、先輩に話しかけられたこともあった。
「え、あ……あ、あたしのこと、ですか……?」
「きみ、この前、ぼくと歩いていた人を知らないかな?」
「え、っと、あのご、ごめんなさい……分からないです」
人見知りで陰キャな子に見えたみたい。
本で顔を隠しちゃうから、怖がってるように見えたよね。
けど、全然違うの。
先輩の姿がおかしくておかしくて、こんな事で簡単に騙されちゃうピュア過ぎるところが馬鹿みたいで笑いを堪えるのが口元だけじゃ難しいと思ったから、顔を隠したんだから。
先輩が去った後、全身の力を抜いてしまえば、しばらく声を殺して笑い続けていたんだけどね。
それにしても、先輩がなかなか見つけてくれないから夏休みに突入してしまった。
夏休みだと先輩を探すのも面倒だから、寮の自室で大人しくしていた。
同室の子は帰ってしまったから、気兼ねなく過ごせたのだけは幸いだけど。
夏休みが明けると、川渡先輩の雰囲気が変わっていた。
前までは、風瀬先輩を目の敵にするように、空回りしていた演技だったのだが、それがなくなっていた。
彼女の中で何か変化があったのだろう。
良い方向に変化することはいいことだ。
ただ、空回りしていてとても人に見せてお金を取れるものではない演技が、何とか舞台に立っていてもまだマシぐらいの変化に過ぎないが。
けど、あたしがいた世界だったらということ。
小さな場末の劇団だったら、良い位置に立たせてもらえるんじゃないかしら。
そこで満足するようであれば、それまでだけど。
だから、そうだ、この時のあたしの頭にみひと先輩のことがすっぽりと抜け落ちていた。
上り調子だった川渡先輩の出鼻を挫いて、天狗にならないようにしてあげよう。
それにきっととても驚いてくれて、あたしの心の虚しさを少しばかり満たしてくれるのではないかという期待を込めて、少しだけ、引き出しの中身が見えない程度だけど、あたしが磨いてきた力を見せてあげることにした。
「あら、あなた、それはわたくしの物ではなくて?」
そのセリフを聞いた川渡先輩はとても驚いてくれて、セリフが抜けてしまった。
舞台だったら、二度と舞台に上がりたくないぐらい実力差を見せて叩き潰してあげたいぐらいいい顔をしていて、一時的だが胸の中が満たされたと思ったら、窓の向こうの人と目が合った。
みひと先輩。
偶然とはかくも恐ろしい。
だけど、あたしは大人の世界で生きてきた子供。
これぐらい誤魔化すのもたやすい。
サッと台本で顔を隠して、その場を去った。
恥ずかしがり屋の生徒に見えたでしょ、先輩。
ただ、先輩の驚いた表情から誤魔化せれていないことも重々承知していた。
だから、次の日あたしは堂々と待っていた。
逃げも隠れもしないいつものベンチで先輩が来るのを。
「きみがあの日の彼女だったんだね」
先輩がようやく見つけてくれた。
夏休みも含めたら、一月はかかっている。
もうこの人の前では陰キャの振りをしているだけ無駄だろう。
本を閉じて脇に置けば、しっかりと先輩を見て、笑みを浮かべる。
「ようやくたどり着いたみたいね」
先輩はまだまだ楽しめそうだから。
先輩にはまだあたしの手のひらの上で踊ってもらいたいから。
あたしの空っぽの胸を満たしてくれると思ってるから。
「名前を教える約束だったわね」
伊達メガネを取って、ぼさぼさの髪を手櫛で整えて、前髪を分ける。
「宮城翼と言います。以後お見知りおきを、みひとちゃん」
ねぇ、みひと先輩。
これがカーテンコールですよ。
これから歌って、踊って、傷つけて、奪って、笑いましょう。
あしたは元天才子役。
世間を一世風靡した実力があるのだから、しっかりとあなたをリードしてあげる。
あたしについてこれるならどこまでも、力不足だと感じたら叩き潰すけど。
ここは悪意と愛情と狂気の劇場。
観客はいない。
役者二人の舞台。
ずっと、ずっとあたしが幕を下ろす時まで続けましょう。
虚無感でいっぱいのあたしの心が満たされるその日まで。