act.11 乙女は暴く
十二月も終わりを迎えて、二学期は終わりを告げた。
ぼくはお姉ちゃんに誘われて、お姉ちゃんが住んでいるマンションに向かった。
どうしても、というわけでもないのだが、一言分かったから、というのが添えられていたので行くしかなかったのもある。
服装は変じゃない、はず。
最近はずっと彼女の監修が入っている。
それのせいもあって彼女が認められるかどうかを少しだけ考えてしまうようになってしまったのだけは嫌な習慣だと心から思う。
今日も彼女と行ったときに買ったもので固められている。
お姉ちゃんが住んでいるマンション。
セキュリティもしっかりしている。
忙しいからあまり家にいられないのが玉に瑕なのだが。
部屋まで行ったところで改めて、インターホンを押すと、お姉ちゃんが扉を開けた。
ぼくよりも身長は高く、スラッとしているのだが、しっかりと女性的なラインもある。
ぼくとは顔のパーツがほぼ同じなのに、体つきが違うだけでこうまで違うのかと思い知らされる。
髪色は一緒なのだが、ぼくとは違って下ろせば腰まである長い髪。
そのせいもあるのか、姉妹というよりも母娘として間違えられることも、しばしば。
解せない。
お姉ちゃんもお姉ちゃんで、「そんな年取った感じに見えるかな……」とか言っている。
そういうことじゃないと思う。
なんてツッコミを入れても聞いてもらえない。
ぼくの周りはそんな人ばかり。
人の話を聞いているのかどうか分からない人ばかりで、そういうのに振り回される人の気持ちを考えてほしい。
彼女は多分、分かってやっている節はあるんだよね。
彼女はこちらの顔を見て、行動を決めているから。
「その服……みひとちゃんが買ったの?」
そう言うよね。
だって、普段僕だったら絶対しない格好だし、買わない系統の服装だから。
白いコートに同色のニットコート、黒系統のチュールスカートと彼女が満足してくれていた可愛い系のコーデ。
ぼくの趣味とは全く合わないのだけれど、彼女のコーデは確かに似合うものにしてくれるのはちょっと悔しい。
「いや、その友達に……かな」
「そっかぁ……そうなんだぁ……」
ぼくの姿を頭から爪先までしっかりと観察したあとにうんうんと一人でお姉ちゃんが頷いているが、謎。
「お姉ちゃん、そろそろいい? さすがに寒いんだけど……」
「あ、うん、ごめんね。入って、みひとちゃん」
お姉ちゃんの部屋は賃貸マンションの1LDK。
地方アナウンサーとしては慎ましいような暮らしをしている。
自分で使う分をぼくに回してくれたりと自分の生活に使えばいいのにと思うところもあるのだが、やってくれている分には感謝しかない。
お姉ちゃんはぼくと同じ顔立ちなのだが、ぼくよりもはるかに女性らしいスタイルで、スカウトされたとか言う話も聞いたことがある。
自分とお姉ちゃんの違いを感じてしまう。
お姉ちゃんの部屋はとても女性らしいものに溢れていた。
化粧品や小物、食器や家具に至るまでどこか可愛らしいものばかり。
ぼくにはちょっと可愛すぎて似合わない。
コートを脱げば、お姉ちゃんが何も言わないで受け取り、掛けてくれる。
そんなことはしないでもいいのにというのだけど、お姉ちゃんは「したいからしているだけだから、気にしないで」と言われてしまう。
好意的にやってくれているし、表情も楽しそうだから断るに断れない。
本当は子供扱いみたいでやめてほしいのだけど、やめてほしいと言えばお姉ちゃんが申し訳なさそうな顔をして謝ってくるのだから、ぼくが悪いことをしているように感じてしまう。
ぼくが小学二年の時、お母さんはいなくなってしまった。
お母さんがいなくなってしまってもう帰った来ないことをぼんやりと分かっていたつもりだったと思うのだけど、どこかで遠くに出かけただけでいつか帰ってくるのではなんて思っていたところもあると思う。
葬式も火葬場も一緒に行って、もう帰ってこれない姿を見ているはずなのに、幼い私には理解が追いつかなかったんだろう。
だからぼくはお姉ちゃんやお父さんに、「お母さん、いつ帰ってくるんだろうね」のようなことを聞いていた。
お姉ちゃんは泣きそうな顔をしていたけど、ぼくには涙を見せなかった。
お父さんはそれからいっそう仕事にのめり込むようになり、家に帰ってくる時間も遅くなった。
お姉ちゃんと一緒にいる時間も増えたのだが、お母さんはずっと帰ってこない日々。
お父さんがなんとか家事をしてくれていた時もあるのだが、お母さんがいた頃に比べてどんどん家の中は汚くなっていった。
洗い物は積まれ、洗濯籠は溢れ、出し忘れたゴミ袋が目に入るようになる。
お母さんがいた頃はそんなこともなかったのに、とショックを受けてただ見ているだけしか出来なかった。
お姉ちゃんがある日、ご飯を作り始めた。
ずっと買ってきた惣菜で済ませていたから、久しぶりに誰かの手作りを食べた。
ちょっと焦がした野菜炒め。
それが初めての料理。
それからお姉ちゃんが家のことをお父さんに代わってやり始めた。
中学高校と勉強が大変な時期であり、青春真っ只中にもかかわらず、ずっと家のことをやってくれていた。
遊びたかったと思う。
お姉ちゃんは綺麗で優しくて明るいから、きっと友達もいっぱいいたはず。
それにぼくと違って頭もよかったから、もっといい大学だって行けたはずなのに、こうしてずっとぼくを気にして一緒にいてくれていた。
一応部活には所属していたみたいだけど、お姉ちゃんが部活で帰るのが遅くなったということはなかったと思う。
それぐらい青春を捧げてしまった。
お姉ちゃんの青春はぼくの母代わりということで終わってしまった。
だから、ぼくはお姉ちゃんに頭が上がらない。
頼み事するのも憚れるのだが、それでもいつも甘えてしまう。
親離れならぬ、姉離れしなきゃいけないと思うのだが、こうしてまた頼ってしまう。
お姉ちゃんもぼくが来たことや頼られて嬉しがらないで欲しいんだけど、姉の大事な人生の一部を奪ってしまったのだから強く出れないのだった。
お姉ちゃんの部屋はしっかりと暖房が効いているし、床暖房もついている。
コタツまで置いてあるのは何でか分からない。
お姉ちゃんの感性はたまにちょっと分からなくなる。
ぼくがテレビの前に座ると、お姉ちゃんは台所に立って、お湯を沸かし始めた。
早く用事を済ませてしまいたいと思うのだけど、家主であるお姉ちゃんのペースに合わせるしかない。
そうして待っていると、お姉ちゃんがコーヒーカップを持ってきて、ぼくの前に置いた。
中身はミルクがたっぷり入ったコーヒー。
苦いのが苦手だということをよく分かっている。
「もう中に入ってるから再生しちゃっていいから」
再生していいというのは、頼んでいたものだろう。
リモコンに手を伸ばして、再生ボタンを押した。
流れ始めたのドラマだった。
時刻が表示されていて、時間帯は朝。
見たことのない奴だ、なんてぼんやりと思っていた。
場面が変わった時に彼女がいた。
子役時代というのもあるのだろうが、子供そのものだけど、今の面影のある彼女がそこにはいた。
宮城翼は確かにそこにいた。
「綾女夢ちゃん、芸名だね。そのドラマがデビュー作なんだけど、最初から凄い演技力でね、同年代の子役よりも頭一つか二つ抜けたものを持っていたみたい」
コンロの近くにある電気ケトルの前に立っているお姉ちゃんから声がかかる。
テレビの音が聞こえたのだろう。
「そのドラマで賞を取ってからは、テレビでは綾女夢を観ない日が来ないと言われるぐらいには引っ張りだこだったかな、美人ちゃんは覚えてないかもしれないけどあの時期のドラマのどれかには絶対に出てたからね」
そうだったかなと懐疑的に目を向けてしまう。
だけど、ぼくが覚えていないときのことなので問いただせはしない。
「局の先輩に聞いた話だけど、夢ちゃんはお母さんとよく収録に来ていたけど、事務所のマネージャーさんと来て帰ることもあったみたい」
「よく? いつもじゃないの?」
「いつもではなかったみたいだよ? けど、夢ちゃんしっかりしていたし、その人にも懐いている感じだったからお母さんにべったりって感じじゃなかったって印象だったって言ってたかな」
考えてもよくわからない。
気がつけば、ぼくは彼女のことを知らなすぎた。
ドラマから場面は代わり、ミュージカルの出演の記者会見の映像に代わる。
純粋そうに出演できることを興奮したように話す彼女の様子からはとても子供らしく見えるのだが、今の彼女がノイズとなって脳裏にチラつく。
そのせいでどこか演技をしているように見えてしまう。
これは普段彼女の行いが悪いせいだと責任を押し付けておくことにした。
次は彼女の、綾女夢の引退会見になる。
「引退について、夢ちゃんには一切非はないんだけど、両親のせいで、ね」
お姉ちゃんの言葉の切れが悪い。
「父親の方は……不倫だったかな、ううん、お互いに不倫はしていたんだけど、それでも父親の方は夢ちゃんの名前を使ったりで、結構色々と黒い噂が立つようなことをしていたみたい。母親の方は、ホスト、だったかな……お酒にお金つぎ込んでいたみたいで、夢ちゃんが稼げば稼ぐだけ使っていくみたいな。二人とも派手だったらしくて、そういうの嗅ぎつけるのが上手い人が多いからね、業界だと」
お姉ちゃんの言葉はすり抜けて行くように、ぼくは画面を見入っていた。
画面に移る彼女は、演技をしているのかどうか分からない。
ただ、時折俯いて肩を震わせているが、泣いているわけではない。
顔を上げた彼女は涙を流していなかったから。
こういう時、子供らしく泣いたりすればいいのにと思う。
ただ、なんとなく分かったこともある。
彼女の心はどこにあるのか。
過去を知ることでようやくつかめた気がする。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「ううん、いいの、みひとちゃん。あのね、それで……」
「……なに?」
何をそんなモジモジとした態度をとっているんだろう。
ぼくは何もしてない、はず。
してない。
お姉ちゃんが用意したものをみただけだから。
「何でも言ってよ。これ、探してくるのも大変だったでしょ? それにいろいろ聞いてきてくれたみたいだし……お金はないから買ってあげたりはできないんだけど」
どこかの誰かのせいでバイト代が消えていく。
彼女がプレゼントしろと言わないだけ良心的かもしれない。
彼女としても、隣に並ぶのであれば相応しい格好をしろと言うようにコーディネートしてはぼくに買わせている。
ぼくが彼女の隣に立ちたいかどうかはともかくとして。
お姉ちゃんはぼくの言葉で花が咲いたような笑みを浮かべた。
どこにそんな要素があったのか謎だが。
「お姉ちゃんと一緒に買い物行こっ! みひとちゃん、そういう可愛い服着ないと思ってたけど、着るようになったんだね」
ニコニコと買い物のことを思い浮かべているお姉ちゃんには悪いけど、今も昔もぼくの趣味は変わってない。
こういう服を好き好んでいるわけでは決してない。
だけど、自分で稼いだお金で買った服。
買って着ないというのはとても損した気分になる。
「お姉ちゃんと買い物行こっ! 大丈夫、全部お姉ちゃんが買ってあげるから!」
色々調べてもらったんだ。
今日ぐらいお姉ちゃんの着せ替え人形になろう。
ぼくは一つ心に決めた。
φ
あれからお姉ちゃんの部屋で新年を迎えることになった。
それ自体は良い。
だけど、年が明けての初売りにはお姉ちゃんに連れ回された。
約束してしまった手前、断れないのをいいことに、どこにそんなエネルギーがあるのか分からないほどエネルギッシュにお店を回りまくった。
服に下着、果てにはコスメまで。
彼女にやらされるまで微塵も興味もなければ、したこともなかった化粧。
だが、彼女と会うたびに買い物につきあわされるたびに、どうしてやってこないのか、ケアとかサボってますねと逐一言われるとそれにうんざりしてやるようになってしまった。
彼女に屈したわけでは決してない。
ただ、彼女がしつこくてそれの相手をするのが面倒なのでやるようにしただけ。
夜に習慣になってしまったスキンケア。
めんどくさいなと思いながらもいつものルーティンで用意しているところをお姉ちゃんに見られた。
ぼくとしてはルーティンとして消化しているので何でお姉ちゃんが固まっているのか分からなかったが、次の瞬間にはお姉ちゃんが目を輝かせて、
「みひとちゃん、化粧するようになったんだね!?」
嬉しそうな声音と共にぼくの手を両手で握りしめられていた。
だから、三ヶ日を終えて、お姉ちゃんの仕事初めに合わせて寮に帰ったのだが、同室の子にはどうしたのその荷物と驚かれた。
それもそうだ。
寮から出る際に持っていたバッグの他に両手から溢れ出しそうなほどの紙バッグを持ってきていたのだから。
冬休みの間、寮で彼女の姿を見ることはなかった。
すれ違う事ぐらいあるだろうとか思っていたのだが、全くそんなことなかった。
冬休み、帰省している人も多い。
寮の中は普段の賑やかさとは程遠く、人ともあまりすれ違うこともない。
お姉ちゃんが教えてくれたのだが、彼女は母親と離れて暮らしている、と。
だったら、彼女はずっと寮にいたのか。
帰る場所にあったのか、ぼくには分からない。
ただ、彼女に合うことはなくて、冬休みも終わりを迎えにそうになっていたある日のこと、彼女から一つメッセージが届いた。
遊びに行かないか、と。
ぼくはそれを承諾した。
そして、その日を迎える。
天気はどんよりと沈んだような曇り空。
天気予報は曇りのち雪という風に報じられていたが、それにちょっと猜疑的であった。
こうして服を着こんでいても寒さを感じるのだからもしかしたら振るのかもしれないのだが。
そんな事を思いながら、いつものようにぼくが彼女との待ち合わせの場所に向かうと彼女は退屈そうにスマホの画面を眺めていた。
ぼくがそれを見ながら歩いて進んでいたのだが、彼女が顔を上げる。
その顔は一瞬だけぼくの顔を確認して、顔を伏せたのだがすぐに顔を上がった。
その顔はギョッとした目をしていた。
「……何ですか、その恰好」
ぼくの恰好はもこもこの白いコート、白のニットにカーキ色のスカートに、白のニットキャップ、極めつけはふわふわのエコファーのバッグというちょっと可愛いコーデ。
自分でしないようなファッション。
では、なぜこんな格好になったのかというと、全部お姉ちゃんの趣味である。
いつもと違う格好をしていったから、お姉ちゃんはそんな服も着るんだなということで、ぼくに買ってくれた服。
だから、着ないという選択肢はない。
せっかく買ってもらったのもあるし、勿体無い。
「何でもいいじゃない?」
「……自分で買ったんですか?」
「……ぼくの趣味じゃない、とだけ」
それを見た彼女はふーんという興味を無くしたようにして、スマホの画面に目を戻した。
それだけの反応なのか、と思ってしまう。
まぁ、ぼくとしてはジッと見られるよりはいいかもしれない。
彼女といえば、黒のダウンジャケットにグレー系のパンツにパンツよりも濃い色のグレー系のパーカーを着ている彼女は相変わらず、ぼくと違って大人っぽい感じに仕上がっている。
黙っているとカッコいいなと思ってしまう。
単純に顔が良いから、絵になる。
印象だけで語れるぐらいの付き合いなら良かったと思うほどに、ぼくは彼女のことを知り過ぎていた。
知り過ぎているがゆえにことはそうはいかないというのは難儀な話だ。
二人で乗ったバスで彼女は当然のように窓際を選ぶ。
そして、つまらなそうに車窓からの景色を眺めている。
それならば見なければいいのではないかと思うのだが、それは言わない。
ショッピングモールまで行けばいつものように買い物が始まるのだが、いつもの買い物に比べて彼女の顔をは少しだけ真剣だったような気がする。
なぜそこまで真剣な顔で人の服を選ぶのか理解出来なかったのだが、それにしても理由も教えてくれないのはちょっと酷いと思う。
お金出すのも着させられるのもぼくなんだけど、そこらへんちょっと理解を頂きたいと一応彼女には抗議してみたのだが、彼女は得意気な顔をして、
「私が先輩を一番可愛くコーデできますから」
言われたのだが、全くもって嬉しくない。
だって、ぼくが好きなファッションはカッコいい系だ。
可愛い系はあくまでお姉ちゃんが買ってくれたものであって、ぼくの趣味では決してない。
そんなぼくのことなんてお構い無しと言うように彼女の着せ替え人形は昼過ぎまで続いた。
フードコートで食事をする彼女はどこか満足げで、朝に比べて幾分か機嫌が良さそうに見える。
ぼくは今日の目的を達成するために彼女に少し外を歩かないかと提案した。
外はぽつぽつと雪が舞っているのが見えた。
本当に降ってくるとは思ってもなかったのだが、降って来たものはしょうがない。
ショッピングモール内で話すことでもないし、仕方のない事なんだ。
「寒いですし、戻りましょうか」
「もうちょっと待って」
彼女の提案を蹴ると、彼女は明らかにしかめっ面になる。
それもそうだ。
ぼくは一応、彼女の言うことを聞いていないといけないんだから。
「何でですか」
「少し、話をしよう」
「中でいいじゃないですか」
「中で話すことじゃないから、ここまで歩いてきたんじゃないか」
ぼくが何の目的もなく、こんな寒空の下を歩いていくわけがない。
彼女もそう、疑わしい目で僕を見るのはやめてほしいんだが。
本当に彼女のそういうところはずっと変わらない。
ぼくに対しての態度も考え方もずっと。
「それで話って?」
数歩先を歩いた彼女がぼくの方に振り返る。
「君さ、綾女夢でしょ?」
彼女がそのままの体勢で固まる。
その態度がもう答えそのものだ。
「……誰ですか、それ、私は――――」
「君は綾女夢なんだね」
もう分かっている。
だから、ぼくはそう断言した。