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「知りたい?」
エルダーはロムを見上げて聞いた。
その目が仄暗く輝くと、ロムは顔をしかめる。
「別に知りたくない」
「知ってるわ」
エルダーはくすくす笑い、ついでに尋ねる。
「それで? イトセ様はみんなの前でそれを?」
「……いや、兵舎に出入りを許されてるから様子を見に行くって言ったら、こっそり伝言を頼まれただけ」
「では、イトセ様はロムを信頼しているのね?」
「もう、本当っに、嫌だ」
ロムが顔を背ける。
イトセが信頼し、ロムだけに伝えている意味を分からないほど彼は愚鈍ではない。スラーもだ。聞かなかったふりをしているスラーは、この状況には疑問を持つつもりはないらしい。
賢い。
そして、エルダーとともに洗濯をしている三人とカイも、賢い。全く口を挟む気配もなく、淡々と洗濯を続けてくれている。
「それで、殿下のことは紹介できたの?」
「一応ね」
「どうだった? どうせこっそり見ていたんでしょう?」
好奇心を隠さないエルダーに呆れたように、ロムが見下ろしてくる。
「クソ親父驚いてた。相当ね。十五の子供なら簡単に御せると思ってたんでしょ。グレフィリアの第五王子がどういう扱いをされているかは知らなかったらしいけど――無知な末っ子だとは思っていたみたいだね」
「……あらあら」
「ね、笑えるよね」
ロムが思い出したように笑う。
エルダーもその光景を想像すると、笑みを抑えられなかった。
ゼラを見た狸は、硬直した後、ぎこちなく自分から挨拶をしてしまったのだろう。それに気づいて顔を青くした狸を、ゼラはきっとあの親しげな表情で、声で、許しを与えた。立場はその一瞬で決まったはずだ。
「あれじゃあ、世話をしてやるなんて偉そうなことは言えなくなったらしくてさ、ご機嫌伺いと自分の売り込み会話が始まったんだよ。そうしたら、君らがいつもなら絶対にしない鍛錬を始めたから、あのおっさん、さらに追い込まれた顔してた。で、傭兵に言われて撤退」
「根性がないわね」
「本当。それに対して、イトセ様は根性があったよ」
ロムはエルダーをちらりと見た。
「場慣れしてるね、あの方。決して媚びを売らないけど、売らせもしない。相手が不快にならない程度に対等に相手をしてた」
「ご立派ね」
「本当にね。席を立ったところを引き留めていたし。あれは普段の鍛錬なので気にしないで下さい、ってさ。度胸もある」
「イトセ様は素敵な方ね。殿下も、安心なさっていたでしょう」
「……」
黙り込んだロムの反応でわかる。
それはそれはうまくいったらしい。こちらの過失が全くない状態で丁寧に追い返したイトセを、ゼラはさぞ見直したことだろう。
そういう人なのだ。
評価を与えるべき人間には、ゼラは信頼と情でしっかりと返す。
「……エルダー」
隣にしゃがんでいたカイが、意図せず無言になっていた中で口を開いた。
「なあに」
「その……グレフィリアの王子って、怖い?」
「面白いことを聞くわね」
エルダーはくすくすと笑う。
カイは慌てたように泡だらけの手を振った。
「いや、到着したときに見たけどさ……なんか、ガラスみたいに綺麗な人だった気がする。守らないとって、そう思わせるような――あと、なんか凄い人だなって」
「合ってる。私は殿下と話せる事なんて滅多にないけれど……確かに怖い人ではあるわ。自分が側に置いている者を傷つけられたら、簡単に許してくれないくらいには愛情深い人なの。グレフィリアでは苦労なさってきた人だから、ここで……イトセ様のそばで落ち着けるのなら、私は嬉しいわ」
本音だった。
ここで、平穏に暮らせるのなら、そうしてほしい。
今まで手放してきたものをゆっくり集めて、大切にしてほしい。それをゼラにもたらすのがイトセならば、エルダーは彼女に忠誠を誓ったって構わなかった。
心は、痛いけど。
「エルダー……」
カイが、とん、と肩を寄せる。
「いつでもここに来ていいから。な、みんな」
「そうだぞー」
「うんうん」
「向こうに居づらい時には、いつでもどうぞ」
「……ありがとう、みんな」
エルダーは弱々しく笑って、おぞましいものでも見ているようなロムとスラーの視線を受けて微笑んだ。
「彼らが帰るそうだから、送ってくるわね」
さっさと帰れ、の意味は伝わったらしい。
スラーにいたっては早くここを去りたかっただけだろう。すぐに背を向けた。
カイがエルダーの手を丁寧に拭い、ローブを渡してくれる。
袖を通したエルダーは「すぐ戻るわね」と言い残して、二人を連れて行った。
「卑怯だよ」
ロムがそう言ったのは、彼らに完全に背中を向けた後だった。
「あら、何が?」
「エルダーちゃん、君さあ、あの人達の同情を買うようなこと、口にしてるでしょ」
「変なことを言うわね。私は正直にあの子達に話しただけよ。私が、殿下に恋い焦がれているってね」
ロムもスラーも、一瞬黙った。
エルダーは悠然と笑う。
「同じ反応ね。彼らもそうだったわ。凄く気まずそうにしたの。どうしてわかる? 皆疑わないからよ。イトセ様が、殿下に寄り添って心を射止めるに違いないって。だから私をすぐに哀れんでくれる」
「それが卑怯だって」
「どうして? 本当のことを使ってるだけよ。ロム、あなた、私と誰を比べているの?」
エルダーの問いに、ロムは足を止めて憤慨したように睨んできた。
「ちょっと――酷いんじゃない?」
「そうかしら」
「信じてくれないわけだ。味方だって何度言っても」
「いいえ。信じてるわ。ただ」
エルダーはロムから目を離さない。
「事実は変わらない。目の前にあるものは、考えをねじ曲げて理解するフリをしたって、変わらないの」
ゼラがイトセと共にいる事実は変わらない。
彼らが婚約したことも、彼女を守るためにゼラの護衛までもが彼女のために毎夜動いていることも、何もかも変わらない。世界は優しくなんてない。
「ロム、安心して。あなたと約束したように、私が始めたことは私が始末をつける。あの方たちが帰ってくる四日後が、楽しみね?」




