91:反旗
「――エルダーちゃん、いつになったらおとなしくしてくれるわけ?」
兵舎への門をくぐりながらロムが恨みがましく呟く。
「だって、ロムが心配だもの」
そう言うと、ロムから睨まれた。スラーは「何も聞いてないし、参加するつもりもない」と書いた顔でスタスタと隣を歩いている。
「心配って……心配ってさあ」
「バンザ様とまた手合わせでもしてあちこち折られたら、どうするの?」
「いやいや、君の方が酷いし。あの人、あの時手加減してたからね」
「まあ、お優しい」
懐いてしまったのね、という嫌味が伝わったらしく、ロムがため息を吐く。フツリは苦手らしいが、バンザのことは好ましく思っているらしい。めずらしくスラーも同じようだった。
「……さすがね、フツリ様は」
「どういう意味?」
「なんでもないわ。独り言よ」
どこに誰を置き、誰と誰を引き合わせるかを、あの次期女王はよくわかっている。厄介なのは「誰」なのかわかっているのだ。
レカやフェーネが自由に動けるのは、彼女にとっては「優先的に支配下に置かなければならない」わけではないからだろう。
最悪、処分を言い渡せる相手だと思われている。
死んでも構わない駒だ、と。
間違いはないが、間違っている。
「ふふ……ここでは呪与士は医師みたいなものだものね」
「怖いから独り言やめて」
「ああ、ごめんなさい」
門をくぐり、いつものようにロムとスラーは彼らに溶け込んでいった。もうお客様の扱いではない。ロムに至っては、バンザの利き腕を容易く折ったせいか、一種の英雄のようにもてはやされていた。ロムに手合わせを頼む者も多い。彼らを傷つけないように細心の注意を払っているところを見れば、エルダーには好機を与えないというロムの意地が嫌でも伝わってきた。
スラーは気の合う者と淡々と剣を打ち込んでいる。
ふと、エルダーはいつも声をかけてくる男がいないことに気づいた。
バンザがいない。
きょろきょろと見渡していると、兵舎から出てこちらに走ってきたカイが教えてくれた。
どうやらバンザは不在らしい。
それも、一週間ほど帰ってこないと言う。
エルダーが折れた腕の治癒がうまく行かなかったのかと謝罪をすると、カイは「そうじゃない」と力一杯首を横に振って、さらに教えてくれた。
フツリとバンザは、イノンと他の使者と共にグレフィリアに入ることが決まったのだ、と。
「どう思う?」
エルダーはスラーに聞いた。
ロムは依然取っ組み合いのようなものを続けているが、スラー達は休憩に入ったらしく、兵はどこかへ行き、スラーはその場で座り込んでいた。エルダーも隣にしゃがみ込む。
スラーは訝しげにエルダーを見て、ずれたメガネのフレームを押し上げた。無視を決めているらしいので、そのまま話しかける。
「フツリ様とバンザ様は無事に帰ってこられるかしら」
「……小さい声で話せよ」
「誰にも聞かれていないわ」
「……無事だろ。アレがついてる」
「イノンね。確かに彼なら大丈夫でしょうけど――あら、大変。私たちの方が無事で済むかわからないわね」
エルダーがぼんやりと言うと、スラーがぎょっとした。
「もしかして、フツリ様は最初から呼ばれていたんじゃないかしら。和平交渉のいい機会だし……でもそれを断っていたのなら、理由は一つよね?」
「……俺たちを見張れなくなるからだろ」
「私たちを排除したい人たちを見張れなくなるからじゃないの?」
「……」
「フツリ様が不在の時に私たちが暴れたから仕方なく、って寸劇でここに急襲される可能性もあるわよ? ジードは何か言ってなかった?」
「知らねえ」
「なるほど、対策済みね。どうするの?」
エルダーはスラーの顔をのぞき込む。
胡散臭いものを見るような目が、非難がましく細くなる。
「寄るな」
「いやよ。教えてくれないのならこのまま頬を擦り寄せようかしら。唇でも良いけど」
「客人を招く」
早かった。スラーは身じろぐようにしてエルダーから少し距離を取る。どうやら彼も、高いところからここを見ている存在を知っているらしい。
「客人はどなた?」
「わかるだろ」
「――イトセ様を?」
「婚約も成立した」
スラーはそう言うと、立ち上がった。
「明日から王女殿下はこちら預かりになる。俺たちの盾になってくれるらしい」
「……そう」
エルダーもゆっくりと立ち上がった。
「ジードから伝言はあるかしら?」
「いや」
気まずそうに目を逸らしたスラーを見れば、ゼラの周囲ではエルダーの名前さえ出さなくなっているのがわかる。
「そう。わかった。じゃあ、あなたにもお願いがあるの」
「は?」
「怪我をして。怪しまれない程度に」
「……まさか」
いつかのロムの傷のことを察したらしいスラーは、わかりやすいほどにエルダーに軽蔑した眼差しを寄越す。見れば見るほど、彼は「まとも」だ。
「相手に傷を負わせてくれても良いわ。できればそっちの方がいいのだけど。お願い」
エルダーはにこやかに伝える。
「王女殿下ではなく彼らを盾にするから、任せてちょうだい」
○
彼らはエルダーの背負う「No.19」の刺繍を、時折興味深そうに見る。人に番号をつけることが信じられないのだろう。
グレフィリアでは神聖視されていたこの力は、オーディルーではまた少し違う。
「あの」
エルダーは呼ばれ、振り返る。
腕を切った青年がそこにいた。
エルダーは穏やかな笑顔で、その腕をそうっと包んで治癒を施す。
バンザがオーディルーを出て三日。
エルダーは自由に彼らを治癒できるようになっていた。




