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バンザとロムが打ち解けたようにじゃれ合っているのを、周りの兵達はほっとしたように見ていたが、やがてその中に混じりはじめた。
ロムには賞賛を、バンザには慰めを送っている。
エルダーとフェーネは離れ、微笑ましく眺めているふりをしながら、声を潜めた。
「殿下が、私を心配?」
「ええ」
エルダーは「よしてよ」と鼻で笑う。
「いつの話か知らないけど、私の心配などしている暇はないはずよ」
「確かにお忙しいですね。グレフィリアの動向が停戦と終結に向けて確実に動き始めているせいで、フツリ様とよく話をしていらっしゃいますし――第二王子殿下の婚姻については」
「バンザ様から聞いたわ」
「……」
エルダーが頷くと、フェーネは黙ってエルダーを見た。
「あの方を名前で呼んでいるんですか?」
「あら、あなたがそんな言い方をするなんて、もしかして立派な肩書きがおありなの? 知らなかった」
エルダーはにこりと笑って返す。
フェーネが今何を考えているのかわかる。似ても似つかないが「呪われた娘」である初代様の生まれ変わりを疑っているのだ。だからわかる。次の言葉は――
「ここから逃げる気ですか?」
「なんのことかしら」
「そのためにここに?」
「暇だから憂さ晴らしに来ているのよ。殿下は王女様に夢中で毎日二人でいるから」
「見張り台からここが見えるのはご存じですか?」
フェーネはエルダーの顔をのぞき込む。
反応しないようにしていたが、無駄だったらしい。フェーネが慰めるように眉を下げた。
まるで、エルダーを見守るために見張り台にいるのだ、と伝えるように、優しい声で続ける。
「あなたが心配なんですよ」
「おとなしくしていないか、心配なんでしょうね」
「エルダー」
「やめて」
「……先ほどのような心像の使い方はもう二度としないでください。間に合ったからよかったものの、本当に死にますよ」
「大丈夫よ」
「大丈夫に見えません」
「止めたら殺すわ」
無理だとわかっている。
あの状態のロムを一瞬で治癒した相手を、殺せるわけがない。それでも言わずにはいられない。
「あなたが私にやるべきことをくれたのよ。奪わないで」
「やり方を知らぬ子供ではないでしょう。あの人を心配させては止められるだけだと言っているのです」
珍しく語気を強められた。
やるならうまくやれ、と言われているらしい。
エルダーは詰めていた息を吐き出した。
「……悪かったわ」
「聞こえませんね」
「意地が悪いわよ」
「落ち着きましたか?」
柔らかく尋ねられる。
「私、変だった?」
「変というか……」
「何よ」
「いいえ」
フェーネが話さないときは、どんな風に聞いても話さない。エルダーは諦めて腕を組んだ。
――殿下はいつも心配していらっしゃいますよ。
フェーネの言葉がそっとエルダーを揺らす。
見張り台からここが見える。そんなことは知らなかったが、知った瞬間から、背に視線を感じるような気がした。
さっきまでは、何も感じなかったというのに。
「……あの」
背中に集中していて気づかなかったらしい。控えめに声をかけてきた人物に、エルダーはゆっくりと目を合わせた。
最初に声をかけてきた無邪気な青年だ。
フェーネが「では」とだけ言って、気配を消して出て行く。彼はその背中を見送ると、眉を下げた。
「ごめん、邪魔して」
「ああ、気にしないでください。彼はああいう人なの」
「……」
「? 何か?」
エルダーは親しげに尋ねる。
目を丸くした青年は、フェーネの出て行った方向を見て驚いたように呟く。
「え、男?」
その様子に思わずエルダーが吹き出すと、彼は顔を真っ赤にした。慌てたように口を開く。
「だって、凄い綺麗な人だったから」
「……ふ、ふふ。そうね。佇まいが綺麗な人だから……ふふ」
「あ、あのさ……本人には言わないでくれる?」
「ええ。わかりました。お約束します」
エルダーが笑いながら頷くと、彼はどこかほっとしたように緊張を緩ませた。
「――エルダーです。あなたのお名前をお聞きしても?」
カイ、と名乗った青年は、エルダーに感謝を伝えるために来たらしく、軽く頭を下げた。
「さっきのこと、ありがとう。ロムを怪我させたの、俺の友達で、あいつ、ここしか居場所がないんだ。ここはフツリ様の庭みたいなもんで、問題が起きれば責任はフツリ様に向かう。それくらいなら死んだ方がマシって奴の方がここには多いから、本当に助かった」
「……そう」
「だから、本当にありがとう」
カイが今度は深々と頭を下げる。
その「ありがとう」には、バンザを治癒したことも含まれているようだった。
「どこの国も、大変ね」
「……」
カイが驚いたように顔を上げる。
いいえ、どういたしまして、と言わなかったエルダーを観察するような眼差しだ。
なんて素直なのだろう。
エルダーはそっとカイの額に手を伸ばした。
かすり傷を塞ぐ。治癒に驚くカイは、自分の額の傷に触れようと指先で探したが、傷が綺麗になくなっていることに驚いたように目を丸くした。
「ごめんなさい。怪我を見ていられなくて――これは、秘密ね?」
エルダーがこっそりと言うと、カイの顔が徐々に赤くなり、何度も頷くと逃げ出すようにエルダーの前から立ち去って行く。
何故か、無性に懐かしい。
エルダーが心像を使いはじめたのはずっと幼い頃で、いつから使っていたのかは覚えてはいない。
けれど、これだけは覚えている。
小さな怪我だった。
レカの傷ついた小さな足を、エルダーは心像を使って治した。あれがどこだったのか何も覚えてはいないし、自分たちがいくつだったのかも覚えていない。けれど、痛くなくなったその足で、レカは思いっきり走ったのだ。そうして振り返って、笑った。
嬉しかった。
エルダーがただ純粋に心像を使えた、そんな記憶がずいぶん遠いところで光っていた。




