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グレフィリアの治癒士は二十人。
No.1は国王に、No.2が王太子に。
No.3からNo.5までは、順に王子達について常に共に行動し、自分の主を守っている。
第五王子の治癒士については何故か誰も口にしたことがなかった。
ただ、護衛が四人ついているだけだ。
「――私が、殿下付きの治癒士、なんですか?」
エルダーが目を丸くしている様子を見て、アキレアも目を丸くする。
見つめ合う二人の表情が鏡写しのようにシンクロし、その様子にゼラが「ふふっ」と優しい声色で笑った。
「エルダーさん、違うんですか?」
「ゼラ様……」
くすくすとおかしそうに控えめに笑うゼラに、エルダーが困ったように応えると、アキレアは今度は察したらしい。
「違うのか?」
「No.19が、殿下付きの治癒士が私だと言っていたのですか?」
「……いや」
でしょうね、とエルダーが眉を下げると、アキレアは申し訳なさそうに「勘違いだった。すまない」と律儀に頭を下げた。
「気になさらないで下さい。大丈夫ですから」
「待って。気にしようよ」
ロムがテーブルに身を乗り出すして、フォークでピッとアキレアを指す。
「君はなんで噂の治癒士がエルダーちゃんだって思ったの?」
「なんとなく」
「なんとなく?」
「……あのまま全員が黙ったままだったら、全員処分されてもおかしくない雰囲気だった。一番に手を挙げられるのは、一番安全な者しかいないだろう、と思ったのかもしれない」
「へえ」
ロムの細めた目が、ゆっくりと開く。
「もしかして、我々の敬愛する殿下を侮辱してる?」
「……ロム、やめて下さい」
「ごめんね、やめない。殿下は、恐ろしい方だよ。ここに、安全な者など一人もいない」
一人も。
エルダーはその言葉の重みを知る。
敬愛すると言うその口で、自分も殺されてもおかしくないと言うロムは、どこかうっとりとした目で続けた。
「清廉で気高く、そして容赦がない。あの方ならば、近しい者にほど惨い処罰を下される。とても慈悲深い方なんだ。で? 侮辱してるのか、ただの無知なのか、どっち?」
問われたアキレアは、自分を指したままのフォークを見て、それからロムと視線を合わせた。
どこか妙な凄みのあるロムに怯えることなく、ただ見つめ返す。
「侮辱をするつもりはなかった。無知だ。申し訳ない」
「……やっぱり素直だなあ」
ロムはひりつく気配をすっかり綺麗に消した。
エルダーはほっとする。
ロムはゼラの次によく話しかけてくれる護衛ではあるが、なんというか底が知れない。礼儀正しくあらなければいけないような、その忠誠心に不用意に触れてはならないような気にさせられた。
ロムは「うーん」と考える素振りをした後、にこっと笑って、フォークを下げる。
「じゃ、無知な君の質問に答えるよ。殿下付きの治癒士のことは、全く知らない。むしろ知っていたら教えてほしいな。No.19はヒントっぽいこと言ってなかった?」
「いえ、特には」
「そっか。まあ、ジードなら知ってるんだろうけど、絶対教えてくれないよねえ、ゼラくん」
「そうですね……真面目な人ですし」
「だよね、あ。待って、それって知らない方がいいのかな。だって、アキレアくんは、エルダーちゃんが殺されると思ってたんでしょ? 誰に?」
「他の治癒士に」
ロムが思い出したとばかりにアキレアに尋ねると、アキレアはゼラからレモンケーキをもらいながら、さらりと言ってのけた。
あまりにも他意がないので、思わずエルダーはゼラとロムと顔を見合わせてしまう。
「なんで」
「……?」
「いや、なんでそう思ったの。殿下付きの治癒士が、どうして仲間の治癒士に殺されるのさ」
「さあ……?」
言われてみれば、どうしてそう思ったのかわからない、とアキレアがぽつりとこぼす。
ロムは思いっきり脱力して、テーブルに頬杖をついた。
「さっきから、なんとなく、とか、さあ、とか。君はどこかの野生の獣かな? カンで生きてるの?」
「はあ」
「本当にとぼけた男だね」
ロムが諦めたようにため息を吐くと、アキレアが初めて表情を変えた。眉間にしわが寄る。
「ん? 怒っちゃった?」
「いえ。No.19の言葉の端々に含みというか――とにかく、あれはそう言う風によくわからない遠回しな言い方をすることを思い出して。確かなことは言わないが、そう言う思考を意図をもって植え付ける癖に、私は何も明言してないといつも言い張っていた。話すと、思考がぐるぐると溶かされて混ぜられるような気分になる」
「あらまあ、それはうんざりするね」
ロムはうんうんと頷く。
「で、殺しちゃったんだ?」
「自分で判断ができなくなる前に。No.19の言うままに、全て信じてあれの言うとおりに動いてしまう前に断ち切らなくてはと思っていたところで、素顔を見てしまった」
「ふうん。それはなんていうか、神様のいたずらみたいだなあ」
エルダーはそっと手を握る。
もしあのとき、No.19が素顔でいなければ。
この静かな獣のようなどこか不思議な雰囲気の男は、殺すことはなかったのかもしれない。そう思うと、エルダーの脳裏に彼女が部屋を尋ねてきた時の様子が克明に戻ってきた。
明かりを落とした部屋。ノックする音。急いでローブを着て、フードを被る。そっと開けた扉の隙間から、彼女は「話を聞いて」と囁く――
「ん? でも待って」
ロムが「さっきは流しちゃったけど」と思い出したように宙を見た。
「君がエルダーちゃんが他の治癒士に殺されると思ったってことは、対象は残りの二人しかいないよね?」