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「まかり間違って護衛を殺しでもしたら、治癒士は四人全員殺される。ここではもう誰一人として、死ぬわけにはいかない。俺はこれ以上殺さない」
アキレアの表情は変わらない。
ジードは探るように見たかと思うと、そっと目を伏せて立ち上がった。
「なるほど。馬鹿ではないらしいな」
着崩していた服を整える。
「けれど、お前等は大事なことがわかっていない」
「……ジード」
「この恐ろしい怪物達に教えなければならないだろ?」
「ジード。お茶会の最中ですよ」
ゼラが止める。
それでもジードは口を歪めて吐き捨てた。
「命を奪うことの意味が分かっていない。お前等、罪悪感がないな?」
エルダーはその視線が痛かった。
罪悪感。
No.19を殺した後悔。
「ない」
答えたのはアキレアだ。
「あの瞬間、俺は初めて殺意を持って心像を使った。使うときは命懸けだ。あの殿下は怖いが、処罰で死ぬのは怖くない」
「はっ、立派な治癒士様だ」
蔑んだ目が、二人を見る。
「人を殺した罪は正しく背負え。恐れろ」
それだけを言うと、ジードは談話室を出ていった。
「……あの、すみませんでした」
出て行って数秒の沈黙の中で、ゼラが申し訳なさそうにそう言った。
エルダーは首を横に振る。
「いいえ、ゼラ様。私がのんびり歩き回っていたことも、お気を悪くさせてしまっていたでしょうから」
「そんなこと」
「真面目な方なんですね」
エルダーの柔らかな言葉に、ゼラはほっとしたように力を抜いた。目元を隠す重い前髪が少しだけ揺れる。
「とても、真面目な人なんです。悪い人ではないんですよ」
「ふふ、はい」
エルダーがふと顔を上げると、再び土談話室のドアノブがくるりと回るのが見えた。
開けることを知らせるような大きな音で開く。
「――あ、本当にいた」
「ロム? どうしたんですか?」
「今、そこでジードからお茶会してるって聞いたんだけど、いい?」
入ってきたのは、護衛のロムだ。
肩の辺りで外に跳ねた髪がふわりと揺れる。
「どうぞ。レモンケーキありますよ」
「やったあ。エルダーちゃん、こんにちは。おいしかった?」
「はい。とても」
切り分けられたレモンケーキをジードと同じように手で摘んで「うまっ」とこぼしたロムは、アキレアをちらりと見た。
「アキレアくん?」
「? はい」
「君、変わってるね」
どこか上品に目を細めてにこにこと笑いながら、ロムが言う。
「部屋から出てくるなんて、変わってる」
「ロム」
「で、どっちがうちの気難しいジード兄さんを怒らせたの?」
エルダーは「私ですね」と朗らかに言う。
アキレアがすぐに「俺もです」と追従した。
「え、どっち? 両方?」
「私です」
「君ってば、そうやって一番に手を挙げるんだから。で、なんて言われたの」
「罪を正しく背負えと言われました」
「言いそうだね、あれは言いそうだ」
うんうんと頷くロムとは対照的に、アキレアは首を傾げた。
「正しく背負うとはどういうことだろうか。死ぬ思いをしてまで殺したあの瞬間――殺すことしか選択できなかった時に、力を正しく使わない罪は背負った。No.19はもうここにいいない。罪を背負う対象はないし、もう誰も殺さないのに何の罪悪感を背負うんだ」
「わあ」
ロムが口を大きく開けて感心する。
「君ってば、やっぱり変だね。殿下の仕掛けた耐久戦から二日であっさり抜けて、さらにあの堅物の命の重さの正しさを真っ向から否定するなんて。え、大物?」
からかう素振りはない。本気で新種の生き物でも見つけたように、その目が輝いた。そうして、子供を見るようにじっとのぞき込む。
「No.19を殺すときに、君は罰される覚悟を持ってしたんだね」
ロムは微笑む。
「でもね、少し違う。君は殺すことに対する罪悪感の話をしているが、彼はね、命に対して罪悪感を持てと言ったのさ。人を殺めてしまった自分を恐れろ、ってね」
「ああ……」
アキレアが腑に落ちたように「わかった」と言えば、ロムの目は細く弧を描いた。
「素直だなあ。誰に躾られたんだろう」
「?」
「こっちの話。そうやって、No.19の噂話も素直に聞いてたの?」
「聞かされていた」
「興味で聞くけど、どんな噂話?」
「もう、ロム」
ゼラか窘めるように柔らかに言うが、ロムは「だって面白そうなんだもん」とあっけらかんと言い放つ。
「いいから、紅茶でも飲んで口を閉じて下さい。ほら、ほら。すみません、アキレアさん。話したくないことは話さなくて結構ですよ。これはただのお茶会なので」
「いや……俺も気になることがあるんだが、聞いてもいいだろうか」
「はい。僕らに答えられることであれば、大丈夫です」
「結尾のNo.の誰かが、殿下付きの治癒士であるという噂は本当か?」
狙ったわけではない。
アキレアは、無防備な護衛達に狙って尋ねたわけではないらしかった。
一瞬無表情になったロムをエルダーは確かに見たし、ゼラですら身を強ばらせたが、そのことにアキレアは気づいていない。不自然な沈黙が生まれたことを察した様子もなかった。
「君、あのときそうは言っていなかったよね?」
ロムが温度を極力抑えた声で、告白をしたときにアキレアが言っていた言葉を繰り返す。
「――どうやら治癒士もつけてもらっていないのではないか。そう言った。王と王子が持っている専属の治癒士を、殿下だけがつけられずに冷遇されていると噂されている、そうNo.19が聞かせてきたと暗に言った。どうしてそのときに言わなかったの? No.19は、結尾の誰かが殿下付きの治癒士ではないかと言っていた、と」
「殺されるだろう」
アキレアは淀みなく答えた。
「あのとき既に、エルダーは素顔を晒していた。もし俺がエルダーが殿下付きの治癒士であると示すようなことを言えば、エルダーはあの中の誰かに殺される。だから言わなかった」
まるで恐ろしいことを何もしらない子供のような目で、アキレアはそう言ったのだった。