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「偽物、ですか?」
フェーネが優しく聞き返してくる。
背中の「No.16」の刺繍に触れている手が、そっと掴まれた。
「そう、私たちは偽物。覚えてる? 殿下はこう仰った――その昔、グレフィリアがオーディルーにいた呪与士を奪ってきたのが治癒士の始まりだ、と」
フェーネは本棚の向こうを見ながら、掴んだエルダーの手をやわらかく握り、頷く。
「ええ、覚えています。その本に、オーディルーには建国前から呪与士が存在していたと書いてあるのであれば、確かに我々は偽物なのかもしれません。治癒士の歴史は、たかが百年ですから」
「グレフィリアが奪ってきた呪われた娘って、なんなの?」
「……本には?」
「綺麗な話が書いてあったわ。百年前、オーディルーの若い呪与士が恋に落ちた。相手は隣国の王族の王子。二人は駆け落ち同然でオーディルーを出て、幸せに暮らしましたとさ」
「それはそれは……」
「怒った民衆を落ち着かせるために作られた話なんでしょう。初代様は、生涯独身だったらしいじゃないの。どこの王子と恋に落ちたのよ」
強欲なグレフィリアが奪ってきたのだ。
フツリに執着したゼラの父と同じような経緯なのだと容易に想像できる。百年前の王族のどの王子かは知らないが、オーディルーの呪与士を連れてきた。
「――ふふ」
フェーネが笑う。
珍しく感情の乗った声だった。
エルダーは、自分の手を暇つぶしのように撫でている手を見つめる。
何故だろう。
何かを思い出しているような、何かをなぞっているような動きに見えた。
「エルダー」
「なに」
「あなた知っていますか? 治癒士の力を持つ者には、時折特別な者が生まれるんですって」
「……特別?」
「簡単に言うと、強烈な引力を持った者、ですかね」
フェーネはエルダーの手を持ち上げた。
お互いの視線の位置で止める。
「どうしようもなく、その存在に惹かれるんだそうです。そういう存在が、どういうわけか無作為に出てくる。心当たりはありますか?」
エルダーは目を合わせたまま、フェーネの指先をきゅっと握った。
「心当たりならあるわ」
「……誰です?」
「殿下。そういうことでしょう?」
フェーネが細めていた目をゆっくり開く。
「ああ、確かにそうですね。けれど彼は治癒士ではない。他には、どうですか?」
「初代様かしら」
「……」
何を聞き出したいのか、フェーネはエルダーを見つめ続ける。
この話を振ると言うことは、フェーネが気づきつつあるということだろう。
それでも素直に言うわけがない。
少しつつかれたくらいで話すと思われているのなら心外だった。
エルダーはフェーネの目を見つめ返したまま、その指を優しく撫でる。
「呪われた娘とまで呼ばれた初代様の特別な引力とやらを、実際に見てみたかったわ。あなたもそうでしょう?」
「……ええ、本当ですね」
折れてくれたらしい。フェーネは許すようにエルダーの手に口づけを落とし、手を離した。
そうして、どこか遠くを見る。
「彼女は稀有で特別だった。だからこそ、グレフィリアで治癒士が生まれるようになったのでしょうね。呪与士は本来、オーディルーにしか生まれないようですから」
「……初代様がグレフィリアに来たことで、治癒士が生まれてくるようになった」
「そう、引力です」
フェーネが宙を指さす。
埃が日の光に照らされたきらきらと輝いている。
「彼女が好きで、好きで、会いたくて――そばにいたくて、我々は追いかけてきて、グレフィリアで生まれた」
ああ、それで。
エルダーはフェーネと共に煌めく塵を眺めながら納得した。
「それで、オーディルーの近くで出てきた治癒士は正しくない、と言われてきたのね――ただ、それだけで」
「そうです」
フェーネが小さく頷く。
「彼の基準によれば、王城の近くで出てきた治癒士は正しく、オーディルーの近くで出てきた治癒士は正しくない。治癒士の象徴である初代様を求めないのだから、治癒士ではない……そういう理屈です」
エルダーの視線に気づいているだろうに、フェーネは淀みなく続ける。
「偽物であるからこそ、正しいことに拘る。正しければ、欲しいものに手を伸ばせると思ったのでしょう。裏で正しくないことをしていても、表が正しければそれでいい――人を愛する渇望はおぞましいほど純粋と言えますね」
どうしてか、皮肉にしか聞こえない。
エルダーは小さく笑った。
フェーネは地下にいたエルダーに同情しているのではない。ただ単に、彼と呼んだ前王のことをよく思っていないのだろう。そのことについては、尋ねてはならない気がした。
ふと、窓に何かが映る。
短い髪に、白い顔。隙のない、中性的な美しい人形のような姿。二十人の治癒士が真似るあの顔が、窓に切り取られた豊かな緑色の庭の上に影のように重なる。
けれどよく見れば、窓に映っていたのは自分の顔だった。
「彼女はオーディルーでも、求められていたのかしら」
一瞬、フェーネが黙った。
「さあ――どうでしょうね」
「あの物語、意外と本当かもしれないのね」
望んでいないのに求められ続けて、彼女が誰かを頼ってグレフィリアに逃げてきたのなら――それはそれで面白い話だ、とエルダーは諦めたように笑った。




