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従者だ、と言ったエルダーに、イトセは首を傾げてゼラを見た。
ゼラが何かを言う前に、エルダーはフツリに向かう。
「――お母様、イトセ様との顔合わせはこれで失礼してもよろしいかしら。お二人の邪魔をしたくありませんので」
「……ああ」
「ありがとうございます。では、私はこれで。アキレア、あなたどうする?」
「一緒に行く」
アキレアがエルダーの腕を取る。
その動作が、エルダーの押し殺した気持ちを正しく理解しているような気がして、ふと頬がゆるんだ。
幸せに微笑んでいるように見えたのか、イトセは「まあ」と何度目かわからない感激に身を震わせている。
なんて可愛いのかしら。
エルダーは彼女の魂の輝きが羨ましかった。
嫉妬ならば良かった。
エルダーの内側が、冷えて、固まって、重く沈んでいく。
この子は何も悪くない。
ふいに、マリーとモナルダの顔が浮かんだ。死んだNo.6の姿も。
この子はあれらとは違う。
殺す必要もなければ、ゼラがそれを求めているわけでもない。
彼女が――彼女だけがゼラに平穏を与えられる人間なのだ。
エルダーは酷く悲しい気持ちで、アキレアと共にその場を出て行った。
初めて裸足の足が痛んだ。
○
「何あれ。何やってんの」
不満だ、と顔に書いて部屋に入ってきたのは、ロムだった。開口一番に、エルダーに悪態をつく。
「……ノック位したらどうだ」
ソファで書類を見ていたジードが窘めても耳も貸さず、ずんずんと部屋に入ってくると、丸テーブルで手紙をしたためていたエルダーの前の椅子にどかりと座った。机が揺れる。
「いやだわ、字が」
「エルダーちゃん」
「ロム、まずノックをして」
「は? なんでよ。君とジードが見られちゃマズいことでもするわけ?」
「フツリ様がいらっしゃるときだったらどうするの?」
煽るロムをかわしたエルダーが言えば、ロムは「わかったよ」と不満げに腕を組んだ。
エルダーはペンを走らせながら相手をする。
「それで、どうかしたの?」
「どうかしたのって――あれなに、ずっと殿下を無視してたでしょ。なんで?」
そこなのか、とエルダーはおかしくなる。
さすが、ゼラが第一優先のロムだ。
「それよりも、あなたたち、殿下に友人だって紹介されていたたのね。よかったわね、嬉しかったでしょう」
「あの馬鹿な王女を殺してくれると思ったのに」
「ロム」
エルダーが叱るように名前を呼ぶと、ロムは憤慨したように顔を歪ませた。
「エルダーちゃん、知っててそれ? なに? 余裕ぶってんの?」
「ちょっと落ち着いたらどうなの」
「たった二時間前のことでどう落ち着けるって言うのさ」
「ジードはこうしてそっとしておいてくれてるけど?」
「君が怖いだけでしょ」
これは相当腹に据えかねているらしい。
ロムが部屋に来れたのは、鬱陶しくなったスラーにでも追い出されたのだろう。
「殿下はあなたが離れることを許可しているの?」
「王女様とまだ一緒だけど?」
「なるほどね。レカとフェーネは?」
「あっという間に向こうの侍女と意気投合してる」
「そう」
「……スラーはいるから、大丈夫」
仕事を放り出してはいないらしい。手紙から顔をあげたエルダーは、ロムに向かって微笑んだ。
「そう」
「あれで、一番腕が立つから」
「スラーが? 意外ね。やる気がなさそうなのに」
「ないからいいんだって」
ジードがそう言ったのだろう。笑って流して再びペンを走らせはじめると、ロムが「あのさあ」と唸るように呟く。
「なに?」
「話を綺麗に逸らさないでくれる?」
「そんなつもりはないわ」
「あの小娘が、ゼラ殿下になんて言ったか知ってる? ゼラ様とならば、一緒に歩んでいける。そう、思っています――って言ったんだよ?」
ああ、それがロムを怒らせたのだ。
ゼラに婚約者ができたことでもないし、エルダーがゼラを無視したことでもない。
彼女の無邪気で汚れのなさが――それがゼラを深く傷つけることになることに、ロムは怒っている。
彼女の存在がゼラを傷つけることが、許せないのだ。
「優しいのね、ロム」
「はあ?」
「これは……男と女の違い、なのかしら」
「何の話?」
「あなたは殿下が傷つくと思ってるけど、私はそう思っていないっていう話よ」
「嘘でしょ」
絶句するように、それでいて非難がましい声を向けられる。
「ぬるい日常に一緒に沈めって言ってるんだよ?」
「幸せになりましょうって言っているのよ」
「同情してた」
「寄り添ったの」
「殿下を下に見てる」
「いいえ。対等よ。ロム、わかるでしょう。イトセ様だけが殿下と対等であれるの。それがどういうことかわからないほど馬鹿じゃないでしょ?」
「嫌だ」
エルダーはペンを置いた。手紙を伏せる。
「ロム」
「こんなところで枯れさせられていくところなんて見たくない」
「じゃあここから出て行く? あなたがいなくても、腕の立つスラーがいれば大丈夫なんでしょ?」
「……ちょっと、優しくないんだけど。慰めたり同意したり、そういうことしてくれないわけ?」
「そういうこと私にされたいの?」
「自分より怒り狂っている人を見たら落ち着くから」
あっさりと言って、ロムは「はあ、どうしよう」と目論見が外れたように駆け引きから降りた。
「で、なんでアキレアくん?」
切り替えたロムは次の話題を持ってきた。
「君はフェーネくんとできてたんじゃなかったっけ?」
切り替えた先の話題も微妙だわ。
エルダーが苦笑すると、ソファに座っていたジードがロムを睨んだ。仕方ないので助ける。
「あら、その話を聞きたいの?」
「さらっとだけね。詳しくはいらない」
「ふふ。じゃあ、少しだけ。フェーネとは何でもないわ。それからアキレアのことは人質にもらったのよ」
そう言った途端に、ロムの瞳は曇りが晴れるように輝いたのだった。




