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東屋の中から、ゼラが見ている。
エルダーはその視線を受け止めないようにゆっくりと目を伏せた。
あの柔らかな首にしがみつくように抱きついたのは昨日のはずなのに、もうずっと前のような気がする。抱きしめてもらえた覚えがあるが、あれはもしかすると自分の願望で、本当はそんなことはなかったのかもしれない。
夢だったのかもしれない。
それでもいい。
ゼラが生きていてくれればいい。
見張らなければ――ゼラがイトセと幸せに暮らしていく日々を守り、邪魔者を排除しなければ。
エルダーは自分の心を押し殺し、言い聞かせる。
間違ってもイトセを殺さぬように。
東屋に足を踏み入れたエルダーは、この場にふさわしい一言を用意していた。にこりと笑う。
「遅くなりました――お母様」
エルダーの言葉に、その場にいた三人が目を見開いた。イトセは澄んだ目でエルダーを見ている。
なんて可愛い。
「――お母様?」
最初に口を開いたのはゼラだった。
フツリがハッとする。
未婚の王女に嫌味がきちんと届いたらしい。
子供達の母親のような顔をしてオーディルーを握っているフツリへ、自分が手駒になってやると宣言したのだ。フツリがじろりと見上げてくる。
「エルダー、何のつもりだ」
「あらあら、こちらに来たときに言ったのはそちらでしょう? 私のような娘がほしかった、と」
「そんなことを言ったかな」
「ええ。お母様とお呼びしてもかまわない、と言っていただきました」
「それは言った覚えがある」
フツリが口元に笑みを浮かべる。
エルダーも同じように笑って言った。
「もうどこにも、逃げも隠れもしません」
「ほう――私は賢い子が好きだと言ったはずだが」
「嫌だわ、お母様。どう見て賢いじゃありませんか」
出て行けと言われたが、自由にしろ、とも言われたのだ。何を選ぶのかは、それこそこちらの自由だ。
「本気なのか」
「お二人を……そしてお母様を守る為に身を尽くさせてくださいませ。必要であれば膝をついて誓いましょうか?」
「やめなさい」
膝を折ろうとしたエルダーを、フツリが止める。
銀の髪の隙間から鋭く睨めば、エルダーが「全て」を知ったことを悟ったようだった。
「――確かに、賢いね」
フツリが呟く。
「わかった。その忠義に感謝する。誓いは必要ない」
フツリが話を飲んだのを確認し、エルダーは殺気立った眼差しを引っ込めてから顔を上げた。
「ありがとうございます。それからもう一つ、了承していただきたいことがあります」
「……なんだ」
「認めていただきたくて」
エルダーは手を伸ばして、その腕を掴んだ。
「婚約などと恐れ多いことは申しません。けれど、私たちが想い合っていることは、知っておいてくださいませんか?」
アキレアを引き寄せ、ぐっと抱きつくようにその腕に身を寄せれば、再び三人の目が丸く見開かれた。
「――まあ!」
イトセが歓喜の声を上げる。
十五歳の少女らしく表情を明るく染めて、アキレアを見て立ち上がった。
「お兄様、本当なの?」
頬を染めた彼女は、純粋無垢という言葉を全身にまとわせて嬉しそうに両手を握った。
目の眩むような瑞々しい存在を前に、エルダーはそっとアキレアの顔を見上げるように微笑む。
「アキレア、あなたお兄様って呼ばれてるの?」
「……エルダー」
「ふふ、似合わない」
エルダーがくすくすと笑うと、アキレアは浅く息を吐いてイトセに向かって頷いた。一気に少女の笑顔が弾ける。
それと正反対なのが、フツリだ。
イトセがアキレアに「聞いていないわ」やら「こんなに素敵な人がいたのね」とはしゃいでいる中、フツリは冷めた目でエルダーを見ていた。
イトセの相手をしているアキレアから手を離し、フツリの前へ行く。
「お母様、認めていただけますか?」
「おまえ」
「あら、怒ってらっしゃいます? 誰のせいでこうなったのか、わかっていないようね」
エルダーが囁くと、フツリの目が一瞬凍った。
「私を見て」
「見ている」
「いいえ、見ていないわ。私の後ろにいるたくさんの子供が見えていない」
地下で殺し合った子供達のことを暗に示すと、その美しい眉が顰められた。どうやら彼女にも良心があるらしい。
エルダーは笑う。
「あなたに人質を渡すのよ。私にもちょうだい」
「エルダー」
「聞こえないわ」
「――わかった」
「ありがとうございます、お母様」
最後の一言を大きな声で言えば、イトセが気づいたように「ですって、お兄様」と喜んでいる声が聞こえた。
ゆっくり振り返る。
さあ、笑って。
エルダーが微笑むと、アキレアは目元を和らげて笑んで見せた。
初めて見たその笑みは、獣を服従させたような奇妙な快感を連れて来る。
エルダーが更に笑うと、イトセが顔を真っ赤にして「素敵なお二人ね」と無邪気に喜んだ。
エルダーはアキレアのそばに戻ると、イトセに深々と頭を下げる。
「ご挨拶が遅くなり、失礼しました――グレフィリアの治癒士で、今回こちらに殿下と共に参りました、エルダーと申します」
「あ、ありがとうございます! イトセと申します!」
緊張したように身を正して、イトセは慌てたようにぺこりと頭を下げる。
「イトセ王女殿下、私などに頭を下げないでください」
「そんなわけには……ゼラ様の、ご友人でもいらっしゃるのでしょう?」
「いいえ」
エルダーは柔らかい笑顔のまま否定した。
「私は従者です。他の何でもありません」




