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わかる。
そんな目で見なくとも、わかっている。
エルダーは、何とも言えない目でこちらを見ていたアキレアに、心の中でそう返事をする。
ゼラを疑ってなどいない。
ただ、わかるのだ。
二人を同じ場所に置けば、そう時間も必要とせずに惹かれ合うということが。
イトセという少女がどれだけ無垢で清らかなのか、見ていないのに確信が持てる。アキレアが心を寄せ、フツリが慈しむ。そんな人間が、自分寄りの人間だとはどう考えてもありえない。
生まれまでゼラに近いのならば、彼女はきっとゼラに添うことができる。それも、健全に。
エルダーとは違う。
互いの境遇を、悲しみ、恨み、立ち上がるために必死にすがりつく必要のない、対等な関係を築ける。
それがゼラにとってどれだけ尊いことなのか、エルダーはわかっているのだ。
今までゼラと対等に立てるものなどいなかった。
彼は王子で、護衛や、治癒士達――レカやエルダー、ジードにとっても主だった。
父親からは抑えつけられ、兄からは蔑まれ、無害であることを示すために息を潜めてきた。
誰が、ゼラそのものを肯定することができただろう。
イトセなのだ。
彼女にしかできない。
いつかのロムの言葉が戻ってくる。
――君は殿下にとってペットなんだよ。とっても便利で自分に忠実なペット。人としてではないし、愛されてなんてない。自覚した方がいいよ。
わかっている。そんなことは、ずっと前から知っている。
それに対する自分の答えを、エルダーは辛抱強く唱えた。
――愛しているからいい。都合がいいなんて、最高の立場だ。
逃げられない。
エルダーの頭の中が冷えていく。
このまま隠れて、逃げて、追いかけてもらえたらどれだけ幸せだろうか。
けれどゼラはもう探しには来ない。そんな気がした。
このオーディルーで、ゼラの出自が誰かに知られたときには、絶対にここから連れ出さなくてはいけない。もしくは、知った人間を葬っていかなければならない。
まだできることがある。
ゼラのためにできることがあるのなら――都合のいい自分が存在するのなら、愛し合う二人を見守っていかなければならない。
君を一人にはしない、と言ったゼラの言葉が、霞んでいく。
たしかにそうだわ。
一人になれそうもない。
「エルダー」
「誰のためなの?」
エルダーは顔を伏せたままアキレアに聞く。
「あなたは誰のために、私を使おうとしているのかしら?」
答えによっては許さない。
今すぐ殺してやる。
「言っただろう。殿下のそばにいて欲しい。あの方を、守って欲しい」
「ゼラ様を守るために、私にここにいろと言うのね――そう。わかった」
エルダーは顔を上げる。
アキレアを見れば、表情を崩さないはずのアキレアがわずかに顔を青くした。
どうでもいい。
エルダーはアキレアに向かって笑って見せた。
「いいわ。ここにいる。二人のそばにいて、役に立ってみせる。約束よ、アキレア。もしものことがあれば、ゼラ様を連れてここを出る――その時は協力して。あなたは誰も殺さなくていい。けれど、私は手段は選ばないわ。それでいいのね?」
念を押すように、じっとその獣のような目を見る。
なぜか怯えているが、迷いはないらしい。アキレアは頷いた。
「ああ、約束する」
「ふふ。これは私たちだけの秘密ね」
エルダーはアキレアの胸に手を置いた。
「じゃあ、もう一つ。子供を捨てた呪与士の話を聞かせてちょうだい」
胸に置いた手に力を込める。
ぐっと押したその先の心臓は、静かに脈打っていた。
○
三十一年前、十七歳のある青年が恋に落ちたそうだ。
相手は決して簡単に手を伸ばせる相手ではなく、彼には既に婚約者もいた。
かなわぬ恋は、思いの外苛烈なもので、彼はその想いに身を焦がしたらしい。
比喩ではなく、本当に、彼の存在が燃えて焦げてしまった。
清く美しかった佇まいは爛れ、執着心はこびり付いて剥がれなくなり、自分の感情を正当化するために色々なものを歪ませるようになった。
グレフィリアの王太子が、オーディルーの少女に恋をした――それだけのことが、双方の国の全てを変えた。
彼女は彼の思いを無碍にできず、上手にあしらっていたつもりだったが、彼女の予想を遙かに超えた温度で彼から愛されていたことなど、まだ十代の彼女にはわからなかった。
王太子は婚約者と結婚し、彼が納得したものだと思っていた。
まさか、彼女を手に入れるために、自国を強化し、オーディルーを弱体化させて人質のように彼女をグレフィリアに連れてこようとしているなどゆめゆめ思わなかったのだ。
恐ろしいスピードで両国が険悪になっていく中、彼の妻が死に、続くように王が死んだ。王太子はついに王の座へついたが、事態は好転しなかった。戦地ができ、兵が送り込まれるようになり、それを助ける互いの治癒士と呪与士が待機するようになる。
二人目の妻に子が生まれている話だけが、彼女を安堵させた。
忘れているはずだ。
自分のことなどとうに忘れて、始まってしまった争いが勝手に動いて止められないだけで、あの優しい青年もきっと困っているのだ、と。
ある時、彼女と彼が再会する機会が訪れた。
もっともらしい理由があったはずだが、どうしてのこのこと彼の国へ足を踏み入れたのか覚えていないという。
ただ、彼女は呪与士を連れていた。
彼は、姿を変えた呪与士をフツリだと思って凶行に及んだのだ。
○
全ての元凶は、フツリだ。
エルダーは東屋の中をじっと見る。
イトセを殺してはいけない。
フツリを殺してはいけない。
もうゼラに、触れてはいけない。




