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エルダーは知っている。
アキレアは忍耐があるように見えて、それとは少し違う。
自分が立っている場所が安全であることが、彼の中では最優先だ。無意識なのだろう。
エルダーがどれだけ噂を囁こうとも、どれだけ揺さぶろうとしても、アキレアは簡単には動かなかった。
アキレアの本質はシンプルだ。
特に誰かを恨むことはせず、感謝もしない。本来は獣のような男が大人しくしているのは、フツリに牙を抜かれ「狩り」をせぬように仕込まれたからだろう。結果、相手に迎合しないが、逆らいもしない「生きるための選択」を無意識にするアキレアは、敵国で上手に身を潜ませることができた。
それも弾けて心像を使ってNo.19を殺そうとしたが。
そんなに酷いことをしたかしら。
エルダーは内心笑う。
アキレアを脅して聞いた話は、すべてに納得できる内容だった。
○
「――フツリ様だ」
小さな庭には二人以外誰もいないというのに、アキレアは小さな声で言う。
「フツリ様が、イトセ様を厄介に思っているんじゃない。フツリ様を担いでいる大臣等が、イトセ様を早くここから追い出したがっている」
どちらが響いたのだろうか。
国の内情を教えてくれないのなら、ここから出て行く、と言ったことか、出て行く手段を言及しなかったことか。
どちらにしても、アキレアが「ここから出て行っては困る」と思っているのは確かなようだ。
エルダーは相づちを打つように軽く頷いた。
「フツリ様は全く関係していないってことね?」
「ああ」
アキレアがわずかに安堵したのがわかる。
それほどに、フツリという人間を敬愛しているのだろう。
「オーディルーは代々女王が国を納めている。次は長子であられるフツリ様になるだろう。他の王女様方は降嫁されている上に、お子様方はみな男性だ。継承権はない」
「でも、イトセ様が残ってる」
「そうだ」
「普通であれば、愛人の子を担ぐだなんてことはないけどね」
その物言いが気に入らなかったのか、アキレアの眉が顰められた。
「失礼。イトセ様をどうして担ぎたがるのかしら?」
「女王というものが気に入らないらしい」
短い言葉から、嫌悪感が浮かんでいる。
「イトセ様が王座に座ることになれば、王配の系譜がこれからオーディルーに立つことになる。王配は今の王家から離れた血筋ではあるが、元をたどれば王族に繋がる上に、イトセ様は国民からも親しまれていて、表だって反対する人間はいない。フツリ様も例外ではなく」
「フツリ様の立場が盤石でいらっしゃらないのは、お一人だからね」
未婚の王女。四十四という年齢を考えれば、彼女がこれから結婚することはできても、後継者をもうけることはできないことは明らかだ。
つまり、フツリの後はどちらにしてもいない。
「女王陛下のご弟妹は?」
「……王弟であった俺の父は死んだ。俺の兄達がどう動くつもりなのかは知らない。イトセ様派ではなかったはずだ」
「あらあら、帰って来たのだからちゃんと動いたらどうなの? 情報は命と同じくらい大事よ」
呆れたように見上げると、そんなつもりはないとばかりに視線が遠くへ行く。どうやら「イトセ派」ではない兄たちとは違い、アキレアが「イトセ派」の役割だったらしい。
エルダーは向こうにあるバラのアーチを眺める。
それにしてもきな臭い。
アキレアの父が死んだのは、アキレアを勝手にグレフィリアに送ったからだろう。フツリが昔から結婚を避けていたのなら、最悪王弟の系譜が椅子に座ることになっていただろうに、呪与士を国から出したことで粛正された。アキレアがここに戻って扱いが悪くないのなら、その兄弟も守られているはずだ。間違いなく、フツリの庇護下に入っているだろう。
余計な後継者候補はもっともらしく削がれ、目障りな庶子はちょうどよくやってきた厄介な王子と結婚させて平和の象徴にする事ができる。二人の間に子が生まれたとしても、敵国の王子の子などオーディルーの王座に座ることは決してない。
やはり、子供のいないフツリしかいないのだ。
「ああ――それで」
エルダーが風に煽られる髪を押さえる。
アキレアは言った。
いつか、もし、誰かにそれを知られたときには、エルダーにゼラを連れ出してもらいたい、と。
必死にエルダーの腕を掴んで言ったのだ。
「だから困るのね? ゼラ様の母親が、オーディルーの呪与士だということが知られたら――一気にイトセ様は王座へ向かう。ゼラ様との間に子でもできれば、確実だわ」
女の血を特別視する女系の国に降伏した、不遇の扱いをされてきた平和の鍵となる敵国の王子。その母親が実はオーディルーの呪与士だっただなど――できすぎた物語のようだ。
「ふ」
思わず笑いがこみ上げる。
「ふふ……ああ、おかしい!」
エルダーは顔を覆った。
「なんてこと――なんなの、これは。私が知らない間に御伽話でも始まったのかしら?」
部外者だ。
私は部外者だわ、とエルダーは呟く。
「本当におかしい。可愛らしい健気な王女様と、美しい不遇の王子が出会う物語のための今までだったのなら、なんておかしいの――素敵な運命みたい」
「エルダー」
「ハッピーエンドだわ。この話はここで終わるのね」
なるほど、二人はここで幸せに、慎ましやかに暮らしていくのだ。そうしていつか、心を通わせていく。
二人を慈しみ守ってくれる人間のそばで、穏やかな毎日を送っていく。誰も殺さずに済む毎日を。
今までのゼラとの時間は、できすぎた御伽話の最初の一ページだったらしい。ただの導入部分。自分が出てくるのはここまでだ。
奇跡のような運命など、自分にはなかった。
あの血なまぐさい地下から出てなどいなかったのだ。
エルダーはこみ上げる笑いを止めることができなかった。




