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その言葉が、ゼラを揺さぶるものであることはロムにもわかった。
正しくない、庶子である王族。
それが、イトセであるという。
「私の出生のことは、城の者どころか、国の民も周知の事実。ですが、今回のグレフィリアの王子との婚約では、結婚するまでは黙っているようにと大臣等が言っておりました。私はまだ子供で、知らぬことも知らされぬことも多いでしょう。ましてや不義の子。駒になれているだけでありがたいと思わなくてはなりません」
イトセの声は自らを卑下している気配はない。むしろ、凛としていた。伸びた背筋も、目線も、自らを恥じているような、ロムを不快にさせる鬱陶しい臆病さは微塵もない。
「けれど、お兄様が慕う方を騙すように黙って事を運ぶことは、私はどうしてもしたくない。それをフツリ様にわかっていただいて、こうして会う機会を早めていただきました」
そうしてイトセは、誤魔化すことなく国の内情をゼラに伝えた。
グレフィリアの王太子との婚約も「イトセならば」と差し出されたことも、それが多くの人間を騙していると理解した上で受け入れてきたことも、今回の婚約が二人を厄介払いするためのちょうどいい機会だと言われていることも、結婚後は城から離れた自然豊かな場所にある屋敷を与えられ、人から隠れるようにして生きていかなければならないことも、素直に。
少女は針の筵のような城の中で、国の中で、静かに自分に与えられた役割を全うするように生きてきたらしい。
その印象が「誰か」に重なった。
佇まいはまるで正反対だというのに、どうして重なるのだろう。
ロムは少女を睨まぬように足下に視線を落とす。
「私は、幸運でした」
ロムの何かを、イトセが引っ掻いて行った。
ヒリヒリする。痛む。いいや、これは頭が沸騰するような苛立ちだ。ロムは俯いたまま誤魔化すように笑む。
「不義の子である私を、女王陛下は守ってくださった。こうして城に置いてくださり、正しいお姉様たちと遜色のない教育まで施していただきました。私が両親を恨まぬよう、いつもお心を尽くしてくださった」
そうだろうね、とロムは毒づく。
どう見ても健全な、心身ともに健やかなお姫様だ。
ゼラと立場は変わらなかっただろうに、扱いは天と地ほどの違いがある。
生まれが正しくない王子と蔑まれ、城内の離れのような小さな塔にほとんど閉じこめられ、使用人はおらず、冷えた食事だけを運ばれていた。護衛として何度毒味で身体が痺れて動かなくなったことか。
本気で殺しに来てくれたのならやり返せたものを、父親も兄も、精神的なダメージを与えるためだけに中途半端な暗殺未遂を仕掛けてきた。
蠅のように不快にゼラの周りを飛び回り、ロム達はそれを潰さぬように手で追い払う日々だった。スラーと共にゼラの護衛になったのはたった二年前。それまでどうしていたのかなど考えたくもない。
最後は十四歳になってすぐで戦地の近くに送られて、治癒士を動かす全責任も負わされた。
同じ十五歳で、同じような境遇で、なぜ、ゼラだけが。
もし。
もし、ゼラがこの国で育っていたら。
彼は彼女のように、誰も恨まず幸せに暮らしていたのかもしれない。
――ああ。
殴り殺したい。この少女を、今すぐに。
ロムの凶暴な心に気づいたように、とん、と肘でつつかれる。
イノンだ。
ちらりと見上げると、珍しく何も言わずにじいっと見つめられる。空っぽのような、それでいて愛情深い目。
フツリの「母親」のような眼差しとは違う、まるで死にゆく様もただ見守ってくれるような、奇妙な安心感を覚える目だ。
わかったふりで宥められるよりも、何倍もマシだった。ゼラを侮辱する少女への怒りがゆっくりと鎮められていく。
褒めるように目を細められたので、思わず、悪態をつくように顔を歪めて返しておいた。
「お聞きになりたいことがあれば、全て、正直にお話しします」
「――まだ聞かねばならぬことがありますか?」
今まで黙っていたゼラが、穏やかに尋ねる。
イトセは首を横に振った。
「ならば、こちらから婚約を破談にすることはありません。イトセ様が、私のことを少しでも恐ろしいと思うのなら、そう仰ってください。私から断りを入れてきた、と報告してくださって結構ですので」
最後はちらりとフツリを見たゼラの視線を、ロムも追いかける。フツリは無感情な目でゼラを見ていた。
「お、恐ろしいなんてそんな……!」
イトセが慌てて両手を振る。
「私は、こんなに美しい方を見たことがありません。お兄様から聞いていた以上に素敵な方です!」
少女らしく顔を赤らめて、イトセは真剣に言った。
「それに、ゼラ様とならば、一緒に歩んでいける。そう、思っています」
はにかむように言う彼女は、それがどれほど残酷な言葉であるのかわかっていない。
正しくない不遇の者同士ならば、それ相応の日常が平穏におくれるはずだ、と言っているのだ。ぬるい幸せに浸って一緒に沈め、と。
愚かだ。あまりにも愚かすぎる。
ロムは怒りを哀れみに変える。そうでなければ、本当にこの場で撲殺してしまいそうだった。
ふいに、視線を感じた。
フツリかと思えばそうではないし、イトセはゼラに夢中になっていて、ゼラはその相手をしている。視線を辿るように軽く頭を動かすと、隣に立つジードが緊張したように手を握ったのが見えた。
ジードの視線の向こうで、何かが揺れている。
白い蝶だ、とロムが思った瞬間、ジードの緊張の意味を理解した。
いつもはきっちりと前を合わせていたローブを、袖を通しただけのようにゆるく着たそれは、まるで幽霊のようにふわふわと揺れながらこちらへ来る。
視線は足下にあり、白い顔は仮面のように生気がない。
知っている。
ロムはジードと同じように、手を握る。
後ろにはアキレアがついてきていた。
知っている。聞かされている。
そんな言葉がロムの頭の中を駆けめぐる。
ロムの緊張が、イノンに、フェーネに、レカ、スラーにまでも伝わっていく。
そうして、その場の全員がいつの間にかエルダーを見ていた。
銀色の髪が風に煽られる。
顔を上げたエルダーは、凄絶なほどに美しい微笑みを湛えて、全員を黙らせたのだった。




