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「――失礼。いいかな?」
ノックに続いて、女にしては凛々しい声がかけられる。
「どうぞ、フツリ殿」
ゼラが返事をするとすぐに扉が開き、フツリはにぎやかな室内を見渡して目を丸くした。
年増の女ではあるが、ふとした表情が純粋に見えるのは、彼女が誰にも縛られていないからかもしれない。
彼女は若い頃から呪与士を率いる役目を負い、オーディルーでは守りの女神と呼ばれていると聞く。早い話が、彼女は忙しく、政局に巻き込まれたくない本人と、彼女を巻き込める人間がいないことで、彼女の代名詞である「未婚の王女」を四十四年も貫いているらしい。
ロムはぼんやりというように彼女の赤いローブを見る。
すべてを黙らせることのできる権力をこの女が持っている、ということもあるが。
「皆揃って何をしていたんだい?」
まるで母親のような眼差しで全員を見たフツリは、ゼラで視線をぴたりと止めた。
「よく似合うね」
朗らかな笑みでそう言うと、ようやく部屋に入ってくる。ゼラは自分に向かって歩いてくるフツリに軽く頭を下げた。
「このような美しい服を用意していただき、ありがとうございます、フツリ殿」
「いや。サイズは?」
「大丈夫です」
「それはよかった――ん? 全員いるかと思えば二人ほど足りないね。エルダーとジードは?」
聞かれたゼラは、何も言わずにただにっこりと笑った。 二人の間にある生ぬるい微妙な空気から逃れようと、ロムはそっと視線を窓の外に向ける。スラーと同時だったらしく、視線がしっかりと合った。
一瞬、スラーは態度の悪さを滲ませる。
が、逃げ上手の彼はあっさりとそれを引っ込めて、巻き込まれぬように気配を消した。
フツリが笑う。
「ふうん、そうか……まあ、エルダーなら大丈夫。そのうち姿を見せてくれるよ」
確信めいた言い方に、それぞれの視線が自然とフツリに向かう。彼女がその空気を敏感に察知する前にゼラが口を開いた。
「なぜです?」
静かな問いかけに、フツリが目元の皺を深くする。
ロムはぞわりとした。
この女、本当は何を言いたいのだろう。何をしたいのだろう。
「ふふ。それはね、私が頼んだからだ。見合いのためにあの子がこちらに来るから、エルダーも顔を出して挨拶をしてほしい、とね」
「何故」
「何故? ゼラ殿が連れてきた治癒士を、あの子に会わせておきたいからだよ。君の従者はあの子の従者になる。エルダーもそうだろう」
「なりませんよ」
ドキリとした。
ロムは冷えた手を握り込む。
ゼラは冗談を返すようにさらりと否定して笑って話を終わらせたが、わかる。あれは触れてはならない部分だ。
わざとだろうか。
ロムはそっとフツリを見たが、聞いていた全員がフツリのことを「何言ってんだこいつ」という目で見ていることに気づいて、思わず口を挟んだ。
「失礼を承知で申しますが」
フツリが振り返る。赤いローブが揺れ、意味深な目がロムを捕まえた。
揺さぶる気だったのだ。ここにいる全員を。ならば――
ロムはじっとりとフツリの目を睨んだ。
口元の笑みだけは忘れない。
「フツリ王女殿下、何を勘違いなさっているのかわかりませんが、我々はゼラ殿下のためだけの存在です。あなたの妹君に尽くすつもりは毛頭ありませんので、それでも仕えろと言うのなら、どうぞ、処刑してくださって結構です」
頭を下げる。すると、フェーネやレカ、スラー、イノンも同意する静かに頭を下げたのが視界の端で見えた。
そして、ゼラまでもがゆっくりとそれに続く。
「――フツリ殿、私の護衛が過ぎたことを申しました。謝罪いたします」
「……ゼラ殿」
「ですが」
ゼラが頭を上げる。
「ですが、彼らは従者ではありませんよ。私を支えてくれる友人です。ロムの言うように、あなたは勘違いをなさっている。オーディルーの王女であらせられるフツリ様とあろうものが、王族のそばにいる者はすべてを従者と思っておられるなど――ああ、残念だ。私はとても残念です」
微笑む声は、どこまでも透き通っている。
「それとも、イトセ王女の従者たちが無能であるから、私の友人の力添えが欲しいのであればそう言ってくださればいい。あなたが頭を下げるのであれば、彼らとて考えてはくれるだろう。ね?」
ゼラの言葉で、一斉に頭を上げる。
美しかった。
祝福された光が窓の外から降り注ぎ、ゼラの輪郭を縁取っていた。夜空の髪がキラキラと輝き、にこやかな表情が厳かな絵画のように目に焼き付く。
ロムの頭に、唐突にエルダーの顔が浮かぶ。
ああ、そうなのだ。
ゼラと彼女は「同じ」なのだ。
「なるほど」
フツリが、澄んだ沈黙を破った。
「なるほど――君はそうなのか」
気を悪くした様子はない。
それどころか、感心しているように、もしくは感動しているように、フツリは目を見開いていた。唇が徐々に弧を描く。そして一言、抵抗もなく言ってのけた。
「私が悪かった」
あっさりと、けれども上っ面ではなく。
「失礼なことを言った。申し訳なかった」
「ありがとうございます――けれど、私ではなく、あなたが侮辱した私の友人に」
ゼラが微笑む。
フツリは同じように笑んで、ロムを見た。
「謝罪するよ、ロム」
返事を言わない代わりに頭を下げる。すると、フツリはフェーネにも、レカにも、イノンにも、スラーにも順に声をかけた。
――この女。
ロムは心の中で悪態をつく。
試したのだ。ゼラの従者が、この婚約で大きな顔をせぬように躾てあるのか、ゼラを試した。
ロムは腹の内で煮えたぎりそうな怒りを、慣れたように撫でてやる。
彼女の中で、今、ゼラと自分たちの処遇が決まった。
どう決まったのかは知らないが、思う。
ここにエルダーがいなくてよかった、と。




