52:平穏の狭間
「久しぶりね」
エルダーの言葉に、ジードとイノンは同時に表情を変えた。ジードは目を逸らして浅く息を吐き、イノンはにこにこと嬉しそうに笑う。
オーディルーに着て早三週間ほど。ゼラとは到着した日以来会ってすらいない。
しかし、この二人は常に行動を共にしているのだ。嫌味の一つくらい言わせてもらわなくては気が済まない。
ジードが渋い顔で腕を組む。
「生活に不自由はないか」
「全くないわ。この部屋、フツリ様の目の前ですもの。いたずらもできないわよ」
「いたずらかあ」
ころころと笑うイノンを、ジードが横目で睨む。
常に一緒に行動をすることになって、ジードもジードでやりにくさを感じているらしい。
エルダーの対面のソファに座っているロムが、本から顔を上げた。
「やあ、ジード兄さん。久しぶり」
「お前の兄ではない」
「真面目~」
「ジード、あれはきっとロムの比喩だよ?」
イノンの言葉に、ロムが「煽るタイプ、こわっ」と呟く。エルダーは目を伏せて笑った。
「二人して何? どうしたの?」
「様子を見に来た」
「それはどうも。でも、心配しなくても平気よ。今までだって中央に帰されているときには離れていたでしょ」
「だから見に来たんだよ」
ジードの意味深な視線を受ける。
「あれがギリギリだっただろう」
「……言われてみればそうね」
エルダーが認めると、正面のロムが笑った。
「ふうん。じゃあ治癒士の交代って、エルダーちゃんのご機嫌を見越してやってたわけだ」
「突然爆発されても困るだろうが」
「確かに」
ロムが頷くので、エルダーは思わず苦笑する。
「ええ、確かに、この慣れない土地で二人も爆発したら大変だものね」
「……エルダーちゃん?」
「ジード、ロムの方が私より重症よ。私と同室で疲れてるみたいだし、そろそろ交代してあげて。常に見張ってくれるんだもの、息苦しくて仕方ない」
「あ、ちょっとひどくない? 話し相手してあげてるじゃん」
「見張りならフツリ様がよくしてくださってるわ。ジード、ロムと変わって」
ロムの目が隠せないくらいに輝く。その無邪気な目を受けて、ジードは渋々と言ったように頷いた。
「わかった」
「えっ、本当に?」
「ああ……俺と交代だ。殿下はフツリ様の隣の部屋にスラーといる。挨拶でもしてこい」
「そうする」
すかさず立ち上がるロムは、読んでいた本を適当にその場に投げた。イノンがしゃがんで拾う。
「じゃあ、ぼくともこれからよろしくね」
あ、と声を漏らしたロムを、イノンはしゃがんだまま見上げて微笑んだ。ついでに「楽しみだな、きみは興味深い」と口にする。
「……あー……」
「我慢しろ、ロム」
「これさあ、もしかして、ジードが限界だっただけじゃないの」
「さあな」
「いいけど。別にいいよ。じゃ、お先」
ロムはそう言うと、さっさと部屋を出ていった。
エルダーは背中を見送っていたイノンの頭をつつく。
「ロムをいじめないで」
しゃがんでいたイノンがエルダーをじっと見つめる。
「エルダーはぼくを信じていないのかな?」
「そんなわけないでしょ。知らないふりをしてやってくれるでしょうけど、ロムは私より少し繊細なの。怯えさせないで」
「エルダーより?」
「そう」
イノンが本を撫でた。表紙を見て口元を和らげる。
「ふうん。やっぱりおもしろいね……わかった。優しくするよ。でもね、エルダー」
イノンがゆっくりと立ち上がる。
「きみが会うべきだと思うけど」
「私からは会いには行かない。言っとくけど、意地を張っているわけじゃないから」
「じゃ、なんで?」
「なんでって……私がどうしたいかなど関係ない。意思に従う。それだけよ?」
もうゼラの治癒士ではなくなったのだ。ただの治癒士が、自ら会いに行っていい理由などない。
「意外だなあ。きみは自分の意思で動くものだと思ってた」
「それが必要だと判断をしたときはね」
「ああ……そういうこと」
人を殺す判断だけは、自分でする。そうでないことに関しては、ゼラの指示に従う。それがゼラを守ることになるということを、エルダーは知っている。
「だから、私のことは心配はいらないわ。イノン、あなたも戻って」
「ん。わかった。でも、また会いに来ていい?」
「どうしてよ」
「ぼくの娘に会いたいからだよ、エルダー」
慈しむような響きだった。
「……そうね。親子の対面なら不自然じゃないものね」
「そうだよ。はい。これはぼくから」
そう言って、イノンはローブの中からエルダーに封筒を渡した。エルダーがその意味ごと受け取ると、イノンはにこっと笑ってロムの本も片手に持ったまま部屋を出ていった。扉をしっかり閉めてくれる。
しばらく外の気配を聞いていたジードは、警戒を解いたようにロムが座っていたところに腰を下ろす。
「……で、なんだあれは」
「あれって?」
「いつからイノンはお前の父親になったんだ」
「あら、嫉妬? 私のお兄様はジードよ。安心して」
エルダーが言うと、ジードはあからさまに顔を歪めた。冗談の通じない相手なので、仕方なく説明する。
「私とイノンは師弟関係で、さらに親子のような関係ねって話なだけ」
ジードと何が違うのかと聞かれれば、なんとなく、とエルダーは答えるだろう。
ジードは常に守ってくれた。心配してくれるし、間違わぬように注意してくれているのがわかる。エルダーが手汚すことを、本当は賛成していないことも知っている。けれどエルダーしかいないのだ。
レカを使うのは最終手段。
それが来ぬように、ジードもエルダーも、そしてゼラも動いている。
「私が死んだら、きっとイノンは微笑みながら骨を拾ってくれるわ。桁外れの包容力っていうのかしら……変だけど、安心する」
ジードはエルダーが死なぬように手を尽くす。
けれどイノンは、エルダーが死の淵に立っていても何もしないだろう。
ずっと隣にいて、あの優しい目で見守ってくれるのだ。




