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必要のない登場人物は殺される。
エルダーが言葉に不吉さを滲ませて示したその時、カンッと甲高い音と共に馬車の扉が開いた。全員が扉を注視する。
「待たせてすまないね」
フツリだった。
馬車の中を見渡して、ロムで視線を止める。
「……そちらの護衛殿。申し訳ないが、馬車を出てから私にその剣を渡してもらえるだろうか」
目元の皺が優しく深くなる。
取り上げるのではなく、自ら差し出すことで回りを黙らせたいとの思惑も素直に伝えてくる辺り、彼女は信頼できる人間なのだろう。ロムは素直に頷いた。
「わかりました。フツリ王女殿下」
「ありがとう。それから、そちらの――エルダー殿」
呼ばれ、エルダーは「はい」と微笑む。
レカがくすりと笑い、フェーネがそれを窘めるように穏やかに目を伏せて、ロムはエルダーを肘でつついた。
「? どうかしたか?」
フツリが不思議そうに馬車の中を見る。
エルダーは首を横に振って「なんでもありません」とだけ穏やかに答えたが、ロムがそれを許さなかった。
「彼女、人をからかうのが好きなんです」
「失礼ね」
「本当のことでしょ。ね?」
レカとフェーネに同意を求めた。すぐさま頷く二人にエルダーが苦笑すると、フツリが目元を和らげた。
「なるほど、仲の良い四人なんだな」
「ええ。みな生涯の親友です」
エルダーの言葉に、フツリは更に笑う。
油断ならない人だ。
しなやかでいて強い。清濁併せ呑む柔軟さの中に、何にも揺らされない芯がある。生来の資質もあっただろうが、相当周囲に恵まれて育ったのだろう。彼女の年齢の重ね方というのは、王族として理想だった。
その場に立つだけで敬愛される佇まいは、成熟しているなどという生易しいものではない。刻み込まれた信念のようなものを感じた。
こういう相手は面倒だ。
「それで、私になにか?」
「ああ……君は美しくて目立つから、先に降りてもらってもいいかな?」
「わかりました。ふふ――一番に降りて殺されはしないかしら」
エルダーが軽口を叩くと、ロムが「エルダーちゃん」と恨みがましいような声で止め、フツリが納得したように笑った。
「なるほど。美しいだけでなくて、可愛い子だね」
「フツリ様ほどでは」
「エルダーちゃん?」
「失礼しました、フツリ王女殿下」
「いいよ、おもしろい子も好きだから。私は子がいないのでね、君みたいな娘ならば子育てはさぞ楽しいことだろうと思うよ」
「では、お母様、とお呼びした方がいいかしら」
「かまわないよ。さあ、手を」
騎士のように手を差し出してくるフツリの手を、エルダーはそっと取る。王女の手ではない。剣を握り、自ら身の回りのことを進んでする、働く者の手だった。慈しむような眼差しを受けて、エルダーはオーディルー城に降り立った。
灰色の石畳に、堅牢な城。
荘厳さを感じるその重々しい空気が夜明け近い空に満ちる。
兵もグレフィリアとは違う。
誠実、実直。
そんな言葉が頭に浮かぶ。華美ではない格好をした彼らは、フツリに手を引かれて降りてきたエルダーを見て一瞬押し黙った。それを見てにっこり笑ってみれば、一気に警戒されるような眼差しになる。
やりにくいところだわ。
エルダーは表情筋を総動員して悲しげな顔にして、ジードの後ろへと立った。ジードの視線を素知らぬふりで無視する。
続いてレカが、そしてフェーネが続き、最後にロムが両手に剣を持って馬車を降りると、フツリに向かって恭しく頭を下げて剣を「預かっていただけますか」と手渡した。
降伏の儀式は終わった。
ゼラとは一切話せないまま、エルダー達はフツリの案内でオーデイルー城に足を踏み入れる。
この日から、オーディルーでの滞在が一年半に及び、出るために自分が誰を手に掛けるのか、エルダーは知る由もない。
兵の間を歩く。
揺れるローブは、まだ赤く染まってはいなかった。
○
薄暗い室内に、明かりが灯る。
フツリが赤いローブを脱いで、ソファにそっと掛けた。
「言っただろう。叱ったりなどしない。座れ、アキレア」
「――はい」
「お茶を、と言いたいところだが、夜通し起きていて私もつらい。話だけでもいいだろうか」
「もちろんです」
アキレアはフツリが座るのを待って、静かな動きで対面の一人掛けに座った。フツリが肘掛けに頬杖をついてその様子を見ている。
「君の父は死んだよ」
死んだ。亡くなった、という言葉を使わないのなら、言葉通り「死んだ」のだろう。 アキレアは頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました」
「うん。君にもね。申し訳なかった。まさか叔父上が、息子を物のように運んでグレフィリアに投げ入れるとは思わず……報いは本人に受けてもらった。君は、向こうで辛い思いしたか?」
何があったのかを話せ。
彼女はそう言っているのだろう。
アキレアはゼラの顔を思い出す。あの、孤独を飼い慣らしたような寂しい少年。フツリとは正反対の少年を。
――私はお前のためにどう振る舞えばいい?
ゼラはそう言った。
まだ私が怖いか、とも。
アキレアは思う。
今は怖くはない。ただただ、可哀想に思う。
「フツリ様」
「なんだ」
「殿下は、あなたを親しい友と呼んでいました。いつからです?」
「ずっと昔から」
フツリは懐かしむように目を伏せた。その目に、一瞬だけ複雑な色が浮かぶ。
「ああ、そうか……私から話さなければね。ゼラ殿と密かに文のやり取りを始めたのは、ジードが側に仕え始めてからだ。いくつもの手を借り、時間もかけた。誰にも気づかれていないだろう」
「あなたが……殿下に今回のことを仕掛けるように仕向けたのですか?」
「いいや」
フツリは首を横に振る。
「そうじゃない――むしろ危険なことはするなと説得してきたつもりだった。どうしてこんなことになっているのか、私もよくわからないんだよ。アキレア、君には話しておきたい。ゼラ殿は――」
フツリの言葉が、薄暗い部屋の床に沈む。
アキレアは、真実の重さに耐えられる気がしなかった。




