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広く寂しい場所の中心に、あらゆるものをかき集めて出来た壁がある。その向こうにオーディルーの陣があるが、誰も見たことはない。
知らない場所に向かって、彼らは矢を放ち、投石し、火を投げ入れる。誰も死なないとわかっていても、無駄な争いに関わらなくてはならない。その場で争っている事実のために、身を削らなければならない。
オーディルーから仕掛けられてきたことは一度たりともないというのに。
まるで子供の相手だわ。
エルダーは思う。
グレフィリアのわがままを、あの国はいなし続けているのだ。
簡素な野営が点在している。
張られた布の向こうから明かりが漏れ、人影が揺れているのが見えた。
「呼んできますね」
イノンが馬上を見上げ、一番奥にある大きな六角形のそれを指さす。
「いや」
ゼラは馬からひらりと降りた。
馬を優しく撫でる。と、突然馬が走り出した。野営の周りを駆けて行くように蹄の音を響かせる。当然、何事かと人がわらわらと出てきた。
「殿下は調教師かなにかですか?」
イノンがこぼすと、ジードは睨み、ゼラは笑った。
「似たようなものかな」
「はあ、なるほど」
「何があっても手を出しては駄目だよ」
ゼラが穏やかに指示を出す。
隣に立つロムが一番に頭を下げたのを見て、エルダーは「イノンの言うとおりだわ」と感心した。ゼラの背後にレカと共に控える。その後ろにフェーネとアキレアが立った。
エルダーがフェーネを振り返ると、ふわりとフードが傾く。
「――どうしました?」
声、顔、全て自分と同じはずなのに、異質に感じる。
そういえば、彼の治癒は早かった。
灰色の庭で、後ろから窓ガラスを割ってきたフェーネの顔が脳裏に過ぎる。腕の中で、少女が震えていたことも。フェーネはあのとき、簡単に傷を塞いで見せた。その早さに、アキレアも驚いたほどだった。
No.16が戦地では時間をかけて兵を治癒するところを何度も見ていたし、ただ苦手なだけかと思っていたが、今思えば、ゼラがエルダーの護衛に寄越したのだからそうではないはずだ。それに思い至れなかったほどにフェーネは能力を上手に包み隠していた。
この感じは、どこかカーラにも似ている。
「いいえ、別に」
エルダーは声に微笑みを乗せる。
ふと、枯れ果ててNo.2のローブを着せられた少女を思い出す――その微かなカンを掴む前に、目の前が騒がしくなった。
全員が出てきたところで、ゼラが一歩前へ出る。
集まった兵達が黒いローブに目を見張り、次には一様に黙ってその場で跪いた。その最後尾から、白いローブが四つ、ゆらゆらと揺れながらやってくる。兵が割れ、道になる。
まっすぐこちらへ歩いてくる先頭が、No.6らしい。
優雅に歩き、ゼラの前まで来るとすぐに膝を折った。後ろの三人も続く。
「こんばんは、No.6」
ゼラが親しげに話しかける。さらに深く俯く彼らからは、ゼラへの敬意を感じた。
「――国王陛下がこの地を旅立たれた」
全員。兵までもが、弾かれたように顔を上げていた。膝を折っていたNo.6が、そのまま呟く。
「……崩御された、ということですか?」
「ああ。それを知らせに来た」
「……では、殿下が治癒士を連れていらっしゃるのは」
「新国王に即位された王太子殿下が、私の任を解いたからだ」
ざわりと空気が揺れる中、ゼラの声が空気を打った。
「皆、中央へ帰還し、家族とともに新国王の即位を祝ってもらいたい。この地は不要となった」
決して大きな声ではない。しかし、全員にそれは届いたらしい。一瞬にして、歓声がわっと上がった。
エルダーは空っぽになった戦地の壁に向かって立っていた。まだ野営はそのままだが、明かりは全て兵達が持って行ったので、辺りは暗い。月明かりが無人となった戦地をぼんやりと照らしていた。
「……、おい」
躊躇ったように話しかけられ、エルダーは振り返る。
「まあ、スラー様。なにかご用ですか?」
「……やめろ、気味悪い話し方すんな」
「我が儘ね。あなたが私を呼ばないから、一応気を使ってあげたのに」
眼鏡を押し上げて、大きなため息を吐いたスラーは腕を組んだ。
「え、えるだー」
「……可愛らしい人ね」
「19」
ムッとするスラーに、エルダーは「好きに呼んで」とにっこりと笑う。スラーは視線を逸らして、心底不快そうに二度目のため息を吐いた。
「それで、なに?」
「チェックが終わった。向こうへ来い」
「ありがとう。呼びに来てくれたのね」
「……あとジードから一つ、伝えるように言われた」
「お小言?」
「不要なことはするな、だそうだ」
「あら、違った」
エルダーが目を瞬かせると、スラーはしかめっ面になったが、突っ込んで聞くと面倒なことになると悟るやいなや、くるりと背を見せた。
兵達は帰還した。突然の帰還命令に、まるで子供のようにはしゃぎながら荷物をまとめ、馬とともに戦地を後にした。興奮に包まれた空気が塊となって移動しているのを感じる。確かに平和は訪れた。今、彼らの頭上に。
エルダーは野営を点検していた全員が集まっている場所を見る。
これからだ。
未だ残る治癒士を言いくるめて一人こちらへ。三人を向こうへ返すという手筈らしい。
ゼラが手紙を持たせた隊長は、少年に深く、長く、頭を下げた後に「ご武運を」と言い残して隊を引き連れていった。彼もまた、協力者だったらしい。
けれど、あの中にはいない。
イノンが言う「わからない」は、相当警戒しなければならない。けれど――
「不要なことはするな、ね……」
エルダーは笑う。
月を背負って、蝶が羽ばたくように、歩いていく。




