4
「今度はNo.17か」
黒いフードの向こうから、呆れたような声が投げかけられる。
No.17は椅子から立ち上がると、躊躇うことなくローブのフード後ろへと流すように取った。
短い髪に、白い顔。精気のない人形のような、先ほどエルダーが見せた顔と同じ仮面のような顔が俯いた。
その身体が、ぐぐぐ、と一回り膨らむ。
瞬間、爽やかでどこかスパイシーな香りが広がった。
No.18が立ったまま、隣の変化に後ずさる。
「……失礼」
低い声が、No.17から聞こえる。
顔を上げた彼は、精悍な顔つきの青年へと変わっていた。
兵士のように引き締まった身体に、左目の下には尖った葉の痣。
間違いなく素顔を晒している。
「アキレアと申します。殿下」
「……なるほど?」
「お側でお話ししてもよろしいでしょうか」
「構わない。エルダー」
エルダーは「はい」ほんの少し場を空ける。
王子の正面に、アキレアは獣のようにそっと、それにしてはしなやかにやってきた。流れるような所作で膝をつく。
「――それで、お前もNo.19を殺したと?」
「はい。心像を使い、耳をそぎ落とし、それから頭の血管を裂きました。No.20ではなく、俺かと」
「ではなぜ先に名乗りでなかった」
「怖かったので」
ふ、とエルダーが笑う。
兵士のような体躯をしていて、怖い、と素直に言うその度胸がおかしい。
思わず笑ったあと、エルダーは咳払いで誤魔化した。誤魔化しきれてはおらず、アキレアが不思議そうにエルダーの銀髪を見ている。エルダーはちらりと視線を上げ、それから驚いたような目をする彼に向かって少しだけ笑んだ。
「怖い、とは? アキレア」
呼ばれたアキレアは、黒いローブのフードを見ぬようにその足下へ視線を戻す。
「殿下のお噂を、俺はNo.19から嫌と言うほど聞かされていましたので」
「詳しく」
「はい。彼女はかなりお喋りで、暇があれば俺のところにふらりとやってきて、どこかで聞いた噂話を聞かせるんです」
噂話、の部分で、No.18が強ばる気配がした。かたん、と椅子に座った音が響く。ゆっくりとアキレアが後ろを振り返った。
「気にしなくていい」
そうして、エルダーも見る。
「No.20も。治癒士に関することは聞いていない」
「……エルダーで結構です、アキレア様。お気遣い感謝します」
エルダーが微笑んで言うと、アキレアは「わかった。エルダー」と頷いた。
見た目と違い、恐ろしく素直な人だ、と感心する。
そして思う。
きっと彼は嘘をつかない。
「――噂とは?」
「殿下の噂は、そうですね……とても、恐ろしい人だと。彼女はあなたの生まれや、思想、どこから聞いていたのか分からない話をよくしていました。四人の兄たちに存在を無視されていて、どうやら治癒士もつけてもらっていないのではないか、この僻地に飛ばされたのは、国から死ねと言われたのではなく、単身切り込めと言われているのではないか、と」
アキレアは思い出しているように時折小さく頷く。
「向こうの陣営に第五王子が向かえば、誰も手を出せない。争いを望んでおらず、ただこちらの喧嘩をいなし続けているオーディルーは、絶対に殿下を傷つけない。武に秀でた殿下であれば、たやすく向こうの呪与士を殲滅できるだろう、とも言っていました。我慢がきかなくなれば、そのうち護衛まで殺して単身乗り込むかもしれない。我々治癒士のことだって、危ないと思えば――いえ、飽きてしまえば簡単に処分なさる、と」
「ふ、酷いな」
王子が苦笑する。
アキレアの表情は変わらず、焦ることも蒼白になることもない。
堂々とそこに跪いている。
何とも言えないその雰囲気に、エルダーはどこか恐ろしさのようなものを感じた。獣がただ静かに息を潜めているのとは違う。彼は「狩り」をする気がないだけだ。
「それで? お前は私のためにNo.20を殺してくれた、と?」
「いいえ」
アキレアがゆったりとした動作で首を横に振る。
まるで噛みついた獲物を振り回すように。
「俺のために殺しました」
「なぜ」
「わかりません」
「お前の気分で殺したと?」
「……ああ、そう……ですかね、そうかもしれません。いい加減、殿下の噂を聞かされるのも億劫でしたし、彼女がどこでそれを聞いてくるのか考えるのも嫌気が差していましたから。彼女がこれからも噂を聞かなければいい。そう思っていたのは事実です。彼女から噂を聞かされ続けるなんて辟易する。昨夜は特に苛立っていました」
「脅されてはいないのか」
王子の言葉に、アキレアは「はい、特には」とあっさりと答える。
「俺は話を聞かされ続けることが脅しのようなものでしたけど」
「妙な男だな」
「? 彼女は女では」
「お前のことだよ、アキレア」
王子が呆れた様子を隠さずに言うと、アキレアは「ああ」と気のない返事をした。
エルダーの肩が小さく震える。
妙な人だ。
重く沈んだような談話室の空気が、その存在一つで変わる。
「まあ、ですから、彼女を殺したのは俺です。No.18でもなければ、エルダーでもない」
「そうか」
「――殿下。昨夜、部屋に戻る彼女の気配で、部屋に訪ねました。今回の滞在ではどうか静かにしていて欲しいと頼むために。彼女は素顔のままだった。その顔を見ました。そうして自室に帰り、心像を使った。俺です」
瞬間、彼の眼光が鋭くなった気配がした。
つい先ほど彼の朗らかさのようなもので笑ったエルダーの背に、一気に不穏なものが駆け上がった。心像を使っているのではない。その殺気一つでこの場を支配できるほどの強靱な精神が、アキレアの中にあるのだ。
護衛のジードの手が、腰に携えた剣に伸びる。
「待て」
止めた王子は、エルダーでもアキレアでもなく、その後ろを見ていた。
「――No.16。まさかお前もか」
その声に、全員が一人を見た。
白いフードの口元にうっすら笑みが浮かんでいる。
「ええ。No.19を殺しました」
談話室に、軽やかな甘い香りが膨らんだ。