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メラーレの話によると、まだ正気が残っていた王は、我が子が生まれたその夜に彼女に頼みごとをしたと言う。
息子に殺されなければならないほどに止められなくなったときには、どれだけ自分が拒否しても殺して欲しい、と。
それを、彼女は守ったのだ。
カーラは思わず苦笑した。
「そうだったの……ようやく、あなたがすんなりリュゼ様の頼みを聞いた理由がわかったわ」
彼女の忠誠心はまっすぐに、王にだけあった。
「私たち、話を持って行くときに相当緊張したのよ。けど、あなたは一言、わかりました、って頷くだけだったから――あの王に思うところがあったのかと思ってた」
「……カーラこそ」
メラーレが呟く。
「カーラこそ、リュゼをどうして止めなかったの。私は、あなたが愛情深くて穏やかな人間だってずっと思ってた……どうして」
どうして、あの可哀想な子の反乱に手を貸したのか。
「どうしてかって言われたら――私の本質を、あの子だけが見抜いていたから、かしら。みんな、勘違いしているわ。私はそんな人間じゃない。私、誰にでも優しく接することができるわ。だって、興味も関心もない。見返りだって欲しくないもの。いらない。そんな面倒なもの」
カーラは、リュゼがどうして自分に愛を求めたのかわかる。
何も返さなくて良いからだ。無責任に愛を求めていい相手だから。
「あの人に愛されてた。私は確かに、愛されてた。けど、何があったのかしら……あの人、突然他の治癒士に手を出し始めたの」
メラーレの方をちらりと見ると、彼女はあからさまに視線を逸らした。
「それを、あの子が教えてくれたのよ」
用事を言いつけられていたのだと思う。詳しいことはよく覚えていないが、その夜は別の場所にいたことは確かだ。
まさか、第五王子の治癒士であるエルダーを寝室に呼び寄せていたことを知る由もなく、事が起きたその深夜に、彼が接触してきたことでその事実を知らされた。
「……接触って」
「どうやったのかは知らない。私の部屋にいたわ。ドアを開けたら立っていた。黒いローブのまま」
カーラは追求しなかった。彼が一言目に「私の治癒士に手を出したな」と呟いたからだ。
最初、誰かわからなかった。
小柄な身体に黒いローブ。言葉よりも、先にその見た目に頭が混乱した。ただ静かに立っているだけだ。不気味なほどに静かに。王族の黒いローブを、死神のように着ている者など見たことがなかったカーラは、まずそれが「誰」なのかを知らなければ、この場で殺されてしまうのではないかと本気で思ったのだ。
長く生きてきて、こんな子供を見たのは初めてだった。頭は混乱していたのだろう。
しばらく返事ができなかった。代わりに、カーラはローブのフードを脱ぎ、素顔を晒し、名乗った。そうすると、彼はようやく怒りを閉じこめてにこやかな声で言った。
――兄上の治癒士はまともだったか。こんばんは、カーラ。
第五王子。
名前すら知らされていない、素性がわからない「正しくない」王子。治癒士をつけられていることは王と王太子しか知らないくらいに、存在自体が無視されてきた末の王子だった。
「そこで聞かされたわ。治癒士に手を出そうとして失敗したんですって。私が共犯だと確信を得たら、きっとあの場で殺そうとしたのだと思う」
それからだ。
気づくと、寝室に黒い死神が現れるようになった。カーラにリュゼの様子を聞き、ふうん、と言って帰って行く。
ある日、それは「兄上は椅子に興味はおありか」と聞いてきた。カーラは「さあ、わかりません」と答えたが、彼は「兄上とお話がしたいなあ」と言って帰って行った。
カーラはリュゼに進言し、二人は人目を避けて交流を持つことになる。
「正直、抑圧された彼が椅子などに興味を持つとは思っていなかったし、あの子が何をしたいのかもわからなかったわ。でも、そうしないと報復される。そう思ったの」
「……カーラが?」
「いいえ。リュゼ様が」
危険だと思ったと同時に、不思議とあの子が状況を変える希望に見えた。
そんな中、リュゼは最後尾のNo.に手を出した。
前回の失敗を踏まえて、突然襲うことはやめたらしい。徐々に心を手に入れようとしたが、その課程であの純朴な少女に心を奪われたらしかった。
今までカーラとの間にあった閉じた愛ではなく、ぬるい恋に夢中になってしまったのだ。
「気がつけば、こうなってたのよ」
「……」
「王を椅子から追い出して、この国は正常になる道を歩んでいる。私はリュゼ様と恋とやらをはじめられるし、あなたはもう主が腐っていく様を見ていなくて済む」
「あの子は何がしたいの」
「さあ」
カーラは窓の外を眺める。
兵の外への配置は終えたらしい。
「あの子はあの子のしたいことをすればいい。リュゼ様の道を塞ぐときは容赦などしないけれど、でも、そうでないのなら、今はグレフィリアの希望の子ね」
「……これ以上、何かが起こるってこと?」
「ええ。これから忙しくなるわ」
ゼラは今、どこにいるのだろう。
無事にオーディルーに渡れただろうか。彼は他に協力者はいないと言っていたが、絶対にいる。
カーラはそう確信していた。
向こうにもこちらにもいるはずだ。そうでないのなら、こんなことはできない。
――治癒士を連れて、オーディルーに降伏する。人質となってグレフィリアが停戦を口にするきっかけを作り、新たなる王は争いを止める英断をするだろう。そうして、そのまま向こうで王女と婚姻関係を結び、和平を確約する。こちらへは戻らず、常にオーディルーの動向を監視する。
それがゼラが語ったことだった。
それを証明するために、レカというエルダーの弟の治癒士を影に仕立てていたことも、素顔も、名前も、カーラに明かした。
裏切るかもしれない。
けれど、裏切れない。
カーラは知っている。
エルダーの素顔を、知っているからだ。
「愛とは恐ろしいものね」
メラーレは、返事をしなかった。




