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庭に残されたジードは、ようやく重いため息を吐く。
「ふ」
ゼラが笑っている。
「殿下」
「うーん、よかった。ロムもスラーも、兄上の手の者ではないね」
「わかっていらっしゃったでしょう」
向こうに行くまでにハッキリさせておきたかったのだろう。スラーにはエルダーの扱いで揺さぶりをかけ、ロムはエルダーとレカに託した。ジードは基本的にはゼラのすることに口を出しはしないが、今回は別だった。あれはわざとだ。
「それにしても、ロムはエルダーに懐いたか。逆上して剣を抜くこともあり得たがーーうまくやったね」
「あなたがそう育てましたから」
「本当に厄介な子だ」
愛おしげに、エルダーの去っていった方を見る。
「私の側にだけいればいいというのに、誰にでも好かれてしまう。足でも切ってしまった方がいいかな」
「ゼラ、やめなさい」
「冗談だよ」
半分本気だ。
ジードは知っている。
人形だなど思っていない。あれはわざと、スラーにエルダーを哀れませる為だけに言ったのだ。そして、フェーネに「これ以上手を出すな」と暗に圧をかけた。
「誤解していますよ。エルダーも」
「いいんだよ」
ゼラが十五歳の少年らしく頬をゆるめる。
「エルダーは私に飼われている、と思っていた方が都合がいい。私まで治癒士を心底愛しているだなんて、誰にも知られたくない。お前だけ知ってくれていればいいよ」
幼い二人が、泣きながら駆け寄ったことを覚えている。ベッドに一緒に潜って、泣いているエルダーを慰めていたことも知っている。強く生きるために、ゼラが自分が強くなった方法をエルダーに教え込んできたことも、誰にも殺されないように、エルダーを守っていることも。
ジードだけが全て知っている。
今回の反乱の発端が、エルダーの処分が決まったからだということも。
ただ生かすため。
ただ、守るため。
「どうか、私が嫉妬に狂って忠実なあの子達を殺さないように、お前が止めてくれ」
「言われなくても。ただ、あれを殺すことは止めませんから」
ジードが言うと、ゼラは「そのつもりだから大丈夫だ」と微笑む。
第一王子である王太子。
いまや国王となった、あの気弱で無害に見える男。
エルダーを呼び出して襲おうとしたあげく、返り討ちにあって不能になった男。それが原因で父親を殺すことにした上に、ゼラにエルダーを殺すように迫った、馬鹿な男。
ジードはため息を吐いた。
あの呼び出しは、レカが受けるはずだった。知ったエルダーが一歩先に接触してしまったことが全ての発端だ。
――レカに行かせようとしたわね?
忍んで部屋に訪ねてきたエルダーが睨みながらそう言った。二年前だ。
何故勝手に行ったのか、と叱ると、彼女は首の痣を見せてきた。
――レカがこういう目に遭わないためによ。あれにレカを渡しては駄目。拒否しないわ。面白がって許すに決まってる。相手を馬鹿にするためならどんなことでもするわ、あの子。
エルダーの言い分はもっともだった。首の痣を治癒させながら、彼女は笑う。
――制裁ならしてきた。あっちだって誰にも言えない。言えるわけがない。治癒士を襲って不能にされただなんて、男が――王太子が言えないでしょう? 余計な火種は蒔きたくないの。このことは、ゼラ様には言わないで。レカにも言っておいたけど、レカが行って、恨み言を聞かされて、それで終わりだったってことにして。恨まれるのは私だけでいい。
ジードは黙り込み、エルダーは夜に紛れるように出て行った。
確かに、あの王太子は不能にされたことは誰にも言わなかった。自分の治癒士にすら打ち明けられず、元に戻してもらえなかったらしい。オーディルーの王女と早く結婚をして後継者を、と急かす父親に、次第に追いつめられていった。
ゼラが入り込むのは簡単だった。何も知らないフリをして、父親を引きずり降ろし、自分が王になり、好きな相手と慎ましい生活を送るのが幸せである、と兄に寄り添う弟となった。
休息の洋館の管理者になった際には、エルダーにフェーネをつけた。どこまでも守ろうとした相手を、王太子は処分するように迫ったのだ。相当に恨んでいたのだろう。不能にされたことなのか、それともエルダーを手にできなかったことなのか、どちらかはわからないが。
ジードは今でも、それを言われて戻ってきたゼラの様子を思い出せる。
――優しい兄上は、椅子を奪えた暁には、私に上位のNo.をくださると言ったぞ。もう必要のないエルダーを処分しろ、と。正しくない予備からあてがわれて可哀想に、と同情までしてくださった。
今にも世界を破壊しそうな少年が、続けて言った。
――グレフィリアを壊す。ここはもう救いようがない。
ジードの視界がさあっと広がった気がした。
簡単なことだった。
ゼラのために、何にも脅かされずに生きていける場所をつくろうとしてきた。けれど、そもそもグレフィリアにはそれがなかったのだ。
なかったのなら、一度壊して作り直すしかない。
罪なら背負える。誰かを殺めることも厭わない。自分の存在は、ゼラと、そしてエルダーとレカのためにある。そう思う自分を恐れることもできる。
まだ、正常だ。
判断を間違えはしない。
「ジード」
ゼラから呼ばれ、知らずのうちに下がっていた視線を上げる。
「はい、殿下」
「ありがとう」
昔の顔が過ぎる。
五歳だった。護衛という言葉に首を傾げる子供に「あなたの味方になりました」と自己紹介をすると、驚いたように目を丸くした後に「ありがとう」と少し悲しそうにはにかんだ。
あの表情とよく似た顔で、ゼラがもう一度言う。
「ありがとう」
馬の蹄の音が、赤い空気に溶けてこちらへ向かってくる。
ジードは手を伸ばしていた。
ゼラの頭を、グシャグシャと撫でる。昔のように。
「いいよ。ずっと、ゼラの味方だ」
お前が何をしようと。
誰を操ろうと。
誰を愛そうと。
絶対に味方だ。
全ての罪を背負う為にここにいる。
無邪気に笑った一瞬の素顔を、ジードは心の底に沈める。
「さ、行きましょうか、殿下」
髪を整えてやると、ゼラは頷いた。
彼もまた、何かを沈めたのだろう。
前を見る目は、すでにいつもの冷めた色に変わっていた。
赤く染まった世界によく似合う。
これから夜が訪れると、彼はひっそりと隠される。その間、何をしても、きっと誰にも咎められないだろう。世界は彼を振り落とさない。
八頭の馬が、森を駆け抜ける。
スピードを緩めることなく、一心不乱に、木々をすり抜けて前へ前へと進む。
白いローブが四つ。黒いローブが一つ、それを囲うように細い黒いシルエットが三つ。髪が風にはためいている。葉が落ちる。頬をかすめるそれは、踊るように後ろへと飛ばされていく。
夜へ。
深い夜へ。
グレフィリアを、破滅へ導く夜へ。
――殺されたNo.19――
読んでくださり、ありがとうございます。
ようやく一部を完結することができました。これからグレフィリアやオーディルーを焦点に、じわじわダークな方向へと向かう予定です。
初めてのファンタジーで苦戦していますが、ほんの少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




