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「ごめんね、でも、現実を知っていた方がいいかと思って」
ロムは声は穏やかだった。
「君は殿下にとってペットなんだよ。とっても便利で自分に忠実なペット。そりゃ、可愛がってくれるよねえ。でも、それって人としてではないし、愛されてなんてないよ。自覚した方がいいかも。知っていたら、裏切られただなんて思わないでしょ?」
エルダーは深く俯いて唇に触れる。
その様子がショックを受けているようにも見えたのだろう。ロムは「大丈夫?」と心のこもっていない心配を寄越してきた。
「――何が、大丈夫なんですか?」
今まで静かだった場所に、突然レカの声が響く。
地下から戻ってきたレカを、ロムが驚いたように振り返る。
「……おかえり、レカくん」
「ただいま戻りました」
レカがにっこりと笑うと、ロムはほんの少し顔をひきつらせた。
エルダーは俯いていた顔を上げて、レカに視線を送る。
大丈夫よ、殺さなくてもいい。
伝わったらしく、レカは片腕に持っていたNo.18のローブをロムに見せた。
「これですよね?」
ロムが落ち着いたように「うん」と表情を笑みの形にする。レカはそれに微笑み返し、おもむろにそのローブに袖を通した。
「……着ていくの、それを?」
「ええ。面白いですし。あの屑を馬鹿にしているようで最高に楽しいじゃないですか」
レカが言うと、ロムはどんな表情をしていいのかわからないようにレカの刺繍を見つめる。
あの屑、とやらが前国王であることは察しているらしい。ご機嫌なレカは、先に歩き出した。
「僕、あれがすごく嫌いだったんです。ゼラ様の代わりに何度か会いましたけど、会話らしきものは全て毒でした。姉さんのことまで馬鹿にした。いつも、殺すのを我慢していたなあ。あれは辛かった」
そう言って、振り返る。
「僕は姉さんを傷つける者を許さない」
それから、と付け足す。
「姉さんは、自分の立場をしっかりと自覚していますから、大丈夫ですよ」
少しだけ笑って、レカはローブを揺らして楽しそうに歩き出した。
「……エルダーちゃんさあ」
「なに?」
「味方、何人いるわけ? フェーネくんも君を守ってるよね?」
「あなたもそうじゃないの?」
エルダーが笑って聞くと、面食らったロムはくしゃりと笑った。
「えー。そうなの?」
「そうよ。あなたも私の味方」
「なんでよ」
「ゼラ様のことを愛しているから」
「君が?」
「いいえ――あなたが」
エルダーが断言したように言うと、共犯者のような笑みでロムが見下ろしてきた。
「え? なにそれ」
「さっきわかったの。あなたの胡散臭いところ。どこだろうってずっと考えてたんだけど。そこでしょう。隠したいのね。愛していること」
レカに「姉さん」と呼ばれたエルダーが先に一歩行くと、ロムがついてきた。
――現実を知っていた方がいい。
――君は殿下にとってペットなんだよ。
「さっき言ったこと、あれ全部自分に言い聞かせてきたのね」
「……君のこと、嫌いだなあ」
「嘘言わないで」
エルダーは隣を歩くロムをちらりと見る。
「同じ人間がいて嬉しいくせに」
「勝手なこと言わないでくれる?」
子供のように唇を尖らせたロムが、エルダーを感心したように見た。
「なるほどねえ、そうやって相手の柔らかい部分に勝手に侵入して、操るんだ。悪魔みたい」
「褒めたいのなら素直に褒めていいのよ」
「うっわー」
ロムが笑う。
「なんだ。言わなくてもわかってたんだね、自分が都合のいいペットだって」
「愛しているからいいの。あの人にとって都合がいいなんて、最高の立場だわ」
「いやだな、わかりすぎる」
愛しているのだ。
ロムはゼラを愛している。今まで感じた、狂気じみた忠誠心や、恋い焦がれいるような崇拝。それはただ特別な相手にだけ捧げる愛情だった。
ロムがエルダーに向ける感情は嫉妬ではない。
哀れみだ。鏡を見ているような気持ちになるのだろう。
ふと、理解できたような気がした。
何故だろう。隣で気を許したように、表面の何かが剥がれ落ちたロムの横顔を見て、わかったのだ。
「あなた、あの人に殺されたいのね」
ロムがぴくりと反応する。
「――やっぱり君がきらい」
拗ねたような言い方は、どこかレカに重なった。
エルダーが笑うと、ロムは「やってられない」というようにため息を吐いた。
「ねえ、ロム」
「なに」
「いい方法を教えてあげる。あの人は、自分のものに手を出されるのが嫌いよ。私を殺せば、きっとあなたの望みは叶う」
「……はいはい。そうだね、そうだろうよ。でも、その前に君の弟が僕を殺すし、フェーネくんも殺しに来るよね。あの人まで死ぬのが待てる気がしない」
それに、とロムが視線を寄越す。
「君を殺すと言うことは、自分を殺すようなもの。可哀想なもう一人の自分を自分の手で殺すことはできないよ。君も、死ぬのならあの人がいいんでしょ?」
いつか死ぬための命ならば、望む形で死にたい。
エルダーを映す鏡は、同じ瞳をしていた。
「やり返しているつもり?」
エルダーが聞くと、ロムがくすくすと笑う。
「君の味方になってあげてるんだよ」
「それはありがとう」
目の前に、庭への扉が見えてきた。
レカが扉を開ける。
さっと穏やかな風が入ってきて、外が夕暮れになっていることに気づく。
ロムがレカの背中を見て呟いた。
「愛したのは、どっちだったんだろう」
「あの人よ」
エルダーは言い切った。
ロムが眉を下げて、泣き出しそうな表情で「なんでわかるの」と見下ろしてくる。
エルダーはまっすぐ前を見た。
「心が動いたのなら、その相手はあの人だからよ」
レカはしない。人の心を動かそうとはしない。
できない。
家族しか愛せないからだ。
「あなたが愛したい人でいいのよ」
そう言うと、ロムは少し表情をほころばせて、それから「あー。いやだいやだ」と口にする。
「本当にいやだね、君」
「さあ、日が暮れてしまう前に行きましょう。オーディルーは面白いところだといいわね」
「……付き合いますよ。エルダーちゃんの味方になっちゃったしね」
「じゃあ、私もあなたの味方よ」
「いや、いい。あの人はペットにも手を出されたくないらしいし――ほら、行くよ」
ロムが表情を変える。
外に向かうために、彼の愛情を沈めているのだ。
扉を閉める。
心の内側の扉を。




