28
アキレア殿下。
そう呼んだゼラを、全員が注視した。
けれど、エルダーは別のことが気になる。
ゼラの機嫌がよろしくない。
彼が親しげに穏やかに話しかけるのは、彼の攻撃方法の一つだ。それが、アキレアに向いている。
夜の底にいるような紺碧の瞳が真っ直ぐにエルダーを捕らえた瞬間、反射的に駆けだしていた。
「お呼びですか?」
「おかえり、エルダー」
頬をくすぐられる。
「ずいぶん懐かれたな」
「レカと同じことを言わないでください」
エルダーが苦笑すると、ゼラは「お友達だったか」と思い出したように目を細める。
「それはNo.20とアキレアがです。私たちは……今はなにかしら?」
「お友達ではない」
後ろからついてきていたアキレアが答える。
侮蔑も怯えもない顔は、すでにエルダーを許した、どこか潔い表情だ。
「でも仲直りはいたしました」
とても単純な人よ。
ゼラにきちんと伝わったらしい。同じような目が返される。そして、それはゆっくりとアキレアに向かった。
「協力に感謝する。アキレア殿下が来てくださるなら、それだけで結構。こちら側はあなたの動きを強制はしないと約束しよう」
「……やめてください」
アキレアが居心地が悪そうに視線を下へ逸らす。フードをかぶっていたときの癖が抜けないのだ。王族を見るのは足下だけだった。
ゼラがふっと笑うと、気配を感じたのかアキレアは俯いたままもう一度「やめてください」とはっきりと言う。
「殿下と呼ばれる立場になどありません」
「なぜ? 向こうで十歳までそう呼ばれていただろう?」
目を見開いたアキレアが、苦しげに目を閉じた。
「どこまでご存じなのですか」
「どこまで……そうだね……お前がオーディルーの王弟の末子で、十歳まで城で生活した後で、戦況の悪化を見越した誰かに、グレフィリアの治癒士となって動向を見定めるように使命をおうことになった、というところくらしか知らないな。他にあるのなら教えてもらいたいのだか?」
「それで全てです――どこから」
「漏れた場所か? それともいつから知っていたか、か?」
「答えていただけるのなら、両方」
「では、いつから知っていたか――面白いことに今日だ」
ゼラが静かに笑う。
エルダーは、黙って聞き入っている全員の顔色をそっと観察する。
ジードとレカは警戒をしていることを上手に隠し、フェーネはアキレアの顔をじっと見ている。ロムは明らかに面白がっていて、スラーは面倒事が増えたと言わんばかりに目を逸らしていた。聞いてはいけないことを聞かされるのだ。そういう反応をするスラーが、一番まともに思える。
「今日の朝、親しい友から連絡が来た。従兄弟を保護してほしい、と」
「!」
「フツリ王女は心根の優しい方だね。お前の身を案じておいでだ」
「……こちらの状況はあちらに筒抜けと言うことですか?」
ゼラは曖昧に頷いた。
「正確にはフツリ王女にのみ、筒抜けだ。彼女は呪与士を率いているだろう。戦地の者を介した手紙のやり取りをここ一年していてね」
「今回戦地で動きがないのは」
「向こうまでごたつかれると面倒なので、双方で手を打っておいた」
「……フツリ様は、殿下が降伏することを?」
「ああ。オーディルーでの橋渡しを手紙で確約してくださった」
「……」
「戻りたくはなさそうだな」
ゼラがアキレアの表情を見つめる。
「エルダーからの報告でも思ったのだが、君はグレフィリアに染まっている様子もなければ、オーディルーを背負っているようにも見えないね。それに、とても幸運だ。オーディルーの王族をあの地下送りにせずに済んで本当に良かった」
ああ、そういうことか。
エルダーは、予備の治癒士の話を聞いていたアキレアが蒼白だった理由に思い当たる。
預けられる場所によって、自分もおぞましいところに放り込まれたのかもしれないという恐怖心に襲われたのだろう。死ぬよりもつらい目に遭う寸前だった。
本当に幸運だ。
それにしても、彼は自分の国をどう思っているのだろう。ゼラの言うように、見るからに帰りたくなさそうにエルダーには見えた。
「私はお前のためにどう振る舞えばいい?」
ゼラがそう尋ねると、アキレアは驚いたように目を見開いた。ようやく二人の視線が合う。
ゼラの目を真正面から見たアキレアは、それに吸い込まれていくようだった。
ゼラが、柔らかに目を細める。
かわいそうに。
逃げられない。
「お前に不都合な部分があるなら合わせるよ」
「……いえ」
「しっかりと治癒士として動いていたというのも……マズいのかな……フツリ王女が気にしているのだから、戻ったお前の待遇が悪くなることはないと思うのだけどね」
ゼラが思案したように呟くと、アキレアは肩の力を抜いた。
「いえ、大丈夫です――きちんと自分で清算します」
「そうか。それで、お前はまだ私が怖いか?」
No.19を殺した、と名乗りを上げた時の言葉でからかえば、アキレアは表情をほんの少し崩して、子供のように首を横に振った。
そうして、まっすぐにゼラに向かう。
「あなたとともにオーディルーに降伏します」
何とも言えないその雰囲気に、エルダーは思い出す。
これを最初にどう思ったのかを。
これは獣だ、と思った。
堂々としたところに、どこか恐ろしさのようなものを感じた。狩りをする気がない獣だと。
けれど、今は違う。
アキレアの覚悟を決めた顔は、もう青くなどない。
そこには忠義が浮かんでいる。




