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「――ですから、No.20の格好をしたエルダーが談話室に来るまで、何が起こったのはわかっていなかったんです。その後も話す機会は残念ながら全くなかったので、説明できることなんて大してありませんよ」
そう。説明できることはない。何も知らされていなかったし、何も聞かされていないのだ。
フェーネの掻い摘んだ説明に、アキレアやロム、スラーが黙り込む。
「突然来たNo.2には心底驚きましたし、殿下が王の崩御を企てていたことなど、全く知らされていません。けれど、それでいいのです。知らないことは答えられない。ほら、安全な立場でしょう?」
フェーネの「安全ではない立場で居たかったのか」という遠回しの問いに、誰もが口を噤んだままだ。
外の風は爽やかだった。
午後を過ぎた柔らかな日差しが、庭を優しく照らしている。石が敷き詰められただけの灰色の庭は、まるで野外の舞台のようにひっそりと輝いていた。
「フェーネ」
ゼラがゆっくりと振り返る。隣に並ぶエルダーが笑う。ごめんね、と言っているようにも見えた。
「おかげで話さなければならないことが減った。ありがとう――お前は本当に賢いね」
声に微笑みが乗る。
気づいている。
治癒士は誰一人として、No.20を殺していなかった、ということをフェーネが気づいたことに、気づいているのだ。
――No.19は、耳を切られ、口を裂かれ、目玉をつぶされ、腕、手、足、関節部分でどれも鋭利に切断されていた――
――ベッドに倒れたNo.19の上に乗り、ベッドサイドのデスクの上にあったナイフで心臓を刺したそうです――
ジードが黙ってこちらを見ている。
フェーネはそれに向かって目を細めた。
睨まなくとも、余計なことなど言わない。
あの夜、誰が最後にNo.20に会ったのか。
フェーネが退出するのを廊下で息を殺して見ていたモナルダが、押し入って目を潰し、心臓を刺した後、あの女は力を振り絞ってそこだけを治癒したのだろう。心臓の傷をモナルダしか知らなかったということは、少なくともモナルダの退出時には生きていたのだ。そこに誰かがやってくる。護衛の服。夜色の髪。帯剣していないはずの腰に鈍く光るそれを携えて、部屋へ。
小柄な身体が、ベッドの上で苦しむ目を潰された女の首を落とす映像が、フェーネの脳裏に浮かぶ。
見ていたのだろうか。
心像によって切り落とした首の喉を潰され、口が裂かれるところを。彼女の耳が落ち、更に全身が切り離されるところを、あの少年は――末の王子は、傍らに立って見下ろしていたのだろうか。
フェーネはくすりと笑う。
あの女が自力でモナルダに刺された部分だけを治癒するために最後の力を振り絞ったことで負荷がかかり、力尽きたということも存分にあり得る。けれど、なぜだろう。ゼラが殺した気がするのだ。
そしてそれはきっと、間違っていない。
手中の者には自ら手を下す。
あの女は、彼を怒らせることをしたのかもしれない。
「お褒めに与り光栄です、殿下」
「――お前、どこまで私について来れる?」
不意に尋ねられたフェーネは戸惑うことなく「どこまでも」と即答した。
「そうか」
「あの日から、変わっていませんよ」
あの日。
一年前、幽閉塔に閉じこめられていた先代が死んだ。
オーディルーと水面下で良好な関係を築いてきた先代の国王は、当時の王太子に退位を迫られた末に、半ば反乱という形で椅子を追われた。それから気が遠くなるほど長い時間を、その城の隅の小さな塔で過ごしていた。
二十五年。
二十五年だ。あのかび臭い塔で、二人で国の先を憂いていた。
グレフィリアとオーディルーの争いは約五十年。
しかし、兵を置くほど激化したのはここ三十年。それまでは、お互いの民のもめ事は確かにあったが、国としては互いに沈黙と不可侵を貫いてきた。
きっかけは当時の十八歳だった王太子だ。
突然治癒士を特別視し始め「正しい国」にこだわりはじめた。争いの種をまき、それを人徳のある王が抑えてきたというのに、目障りになったとばかりに好戦的な側近を集め、王を追い出して閉じこめた。戦地を作り、そこに兵を送り、治癒士を送り、その気ないオーディルーに侵略をほのめかしてまで「争い」を作り上げた。愚かな王になったのだ。あの小さかった子供が。
フェーネにとっても、先代にとっても、閉じ込められてもなお、あれは幼い子供という意識がどこか抜けきれてなかった。
先代はよく言っていた。
――いつか正気に戻るだろう。争うことがどんなに不毛であるか、いつかわかる。
フェーネが、そうですかね、と淡々と言えば、昔は威厳に満ちた目を悲しそうに細めた。
――悪いね、君まで一緒で。
いいえ。フェーネは力強く返す。いいえ、あなたを置いてはいきません。あなたが生まれた八十八年前から、誠心誠意仕えるべき主はあなただけですから。
――ありがとう。だが、もしあの子が正気に戻らなければ、どうかこの国から逃げておくれ。私たちが慈しんだあの子は、もうここにはいないと思ってくれていい。
フェーネはそれにだけ返事をしなかった。二人でいつものように窓の外を見る。空が恐ろしいほどに澄んでいたその日の夜、仕えるべき主が死んだ。朝に部屋へ向かうと、彼は目を閉じたまま二度と開けることはなかったのだ。
静かな死というものを、フェーネは初めて知った。
誰にも悲しまれず、弔われず、幽閉塔の側に埋められた主の墓前には花も供えられなかった。
そこに、第五王子が現れた。
彼は言った。
先代とよく似た声で。
――君にローブを渡すことになった。嫌なら今すぐ逃げてくれてかまわない。君を死んだことにしてあげることもできる。こんな国に尽くすことはないよ。
黒いローブの手元には、白い百合が一本。
――けれどもし、私の頼みを聞いてくれるのなら、いつか君にNo.1のローブを返してあげよう。私の治癒士を守ってほしい。
正直に言うと、剥奪されたNo.1のローブなどどうでも良かった。あの子についていた治癒士がそのローブを着ることになっても、何とも思っていない。けれど、第五王子の幼い声が、そしてその頼みが、枯れ果てそうな何かを生き返らせたような気がしたのだ。
あの日から、変わっていない。
どこまでもついていける。
それが伝わるように、フェーネはもう一度言った。
「どこまでも行きますよ。それがあなたの道ならば」
「そうか――では、これからオーディルーに降伏する。ついてきてくれるな?」
ゼラのまっすぐな瞳を受け止めて、フェーネはゆっくりと頷いた。
「それはそれは、面白そうですね。是非、お供いたします」




