20
再びノックが響く。
その音は微かだというのに、扉の向こうの人物の執念深さのようなものを感じた。顔を見合わせたまま、二人とも耳を澄ます。
もう一度、扉が叩かれた。
――どうしますか?
フェーネは声に出さずにそう聞いた。
お互い素顔のままで、ローブを脱いでいる。エルダーはワインを飲んでいるし、そもそも結尾の五人は不仲で通っている。その内の二人が部屋で一緒に過ごしているところに招き入れるわけにはいかない。
何より、あの黒いローブの主がそれを許さない。
エルダーはぺろりと唇を舐めて、少しばかり考えるように扉を見た。ふっくらした唇が弧を描く。
グラスを置き、ベッドに置いてあったローブを手にすると、あの姿に身体をあっという間に変えた。鏡で顔をチェックして、それからフードをかぶる。
フェーネは自分を指さしたが、エルダーはその頭をぽんと撫でて「じっとしていて」と示しただけだった。
度胸がある。
フェーネはワイングラスをそっと手にとって一口飲む。
随分上等なワインだ。
扉を細く開けたエルダーの背中を、フェーネは息を殺して振り返るように見る。
「――あら、どうかなさいましたか?」
「……少し話があります。いいかしら」
全く同じ声に、訪ねてきたのが治癒士であることがわかる。
こんな夜更けに、あの中の誰が来たのだろう。
フェーネはグラスを揺らす。
忍耐強そうなNo.17か、幼そうなNo.18、それとも聖女のようなNo.20か。
「では、談話室に行きましょうか」
「いえ、二人だけで、内密に話したいのです」
「まあ」
本性を隠すときの独特のゆっくりとした話し方で、それがエルダーであるとわかる。
対する者はどこか苛立っているような気配がした。
「あの、早く部屋に入れてくださいませんか?」
「ごめんなさい」
「なぜ? 誰かいるの?」
「散らかっていますから」
声には優雅な微笑みが乗っていた。フェーネの口の端が上がる。エルダーは馬鹿にしているのだ。相手の反応が見られないのは残念だが、この数秒間の沈黙が全てを物語っている。
フェーネはエルダーの背中の刺繍を眺める。
誰からも好かれないNo.19。
エルダーはなぜ相手のNo.を教えてこないのだろう。あのやり取りの中から、相手は彼女に背中を見せた気配がしたというのに。
くるくると揺れるワインの芳醇な香りを楽しむように、フェーネは目を伏せる。これは愛だ。あの恐ろしく美しい王子から、自分だけの治癒士へ。
「お願いです、部屋に入れてください」
切羽詰まったような低い声に、エルダーは「ふふっ」と軽やかに笑った。
「できません。私はあなたに話などありませんもの。扉をこれ以上開ける必要がありますか?」
「……でも、どうしても話が」
「お部屋に招いてくださるのなら、喜んで」
グラスを揺らしていたフェーネの手が止まる。
追うように、赤い液体がぐるりと回った。
「――わかりました。こちらです」
扉が閉まる音がして振り返ると、そこにはもうエルダーはいなかった。
それからたった二十分ほどで、エルダーは戻ってきた。
フェーネはベッドサイドのソファで、静かに思案しながらワインを煽っていたので、そのことに気づかなかった。
扉が開いてすぐに、また誰かと話す声が聞こえてきた。
フェーネは耳をそばだてる。間違いなく治癒士の声だった。先ほどの者がエルダーを追ってきたのかと思ったが、どうやら様子がおかしい。言い争っている相手は、別の治癒士らしかった。
――もう二度と話しかけるな、何も言うな。頼むから。
懇願するような言い方は、先ほどの相手とは話し方が明らかに違う。消耗しているような、本当に「もう無理なんだ」と訴えてくるような必死さに、フェーネは思わず同情してしまった。
また彼女がいたずらに誰かを刺激して遊んだ結果なのだろう。しかし、それに対する返答は奇妙だった。
「何のことかわかりません」
その一点張りだ。奇妙なのは、焦ったような話し方だった。エルダーならばこんな話し方はしない。同じ言葉を言ったとしても、もっと相手の神経を逆なでするように言うだろう。
相手は本当に参っているらしく、何度も何度も「頼むからそっとしておいてくれ」と繰り返していた。
その必死な懇願の果てに、彼女は冷たく言い放ったのだ。
「全てあなたの勘違いよ、私は何もしていない」
次の瞬間、何かが吹っ飛んできた。
白い塊。フードがはらりと取れたその顔と目が合う。
見たこともない顔だった。
地味な顔立ちだが、意思の強そうな瞳をした二十歳そこそこの女性。エルダーではない。
フェーネと目が合っていることに心底驚いている彼女は、自分が誰に素顔を晒していのか忘れているらしかった。
自分を突き飛ばした相手がその場から無言で去っていったことに少ししてから気づいたのか、立ち上がろうとしたが、膝が震えてできない。フェーネはゆっくりと立ち上がると、代わりに扉を閉めてやった。
「……どうしましょうか」
一人呟く。
考えられることは、最初に訪ねてきたのがこれで、彼女が連れて行った先でエルダーを殺し、この部屋に戻ってきたのではないか、ということだった。
でなければ、エルダーにとって誇り高い「No.19」のローブを誰かに譲るはずがない。
フェーネは穏やかな顔で、エルダーのローブを身にまとうそれに近づいていく。そして片手で細い首を掴むと、立ち上がらせ、ローブを脱がした。ベッドへと引きずっていく。
「ああ……どうしましょう。約束を違えたと知られたら……役目を果たせなかったと知られたら……生きていけない」
フェーネはそれの上にのしかかり、既に自分に治癒を施している彼女に、一つずつ苦痛を与え始めた。
治癒が追いつかないほどに、執拗に。
殺してくれ、と言い始めるまで、淡々と続けていったのだ。




