18
ゼラの視線が、天井の血飛沫から壁へ、そうして床に倒れるモナルダに定まった。
ローブの背のNo.2の刺繍を見て、浅いため息を吐く。
「死体がまた増えてしまったか。この新入りは幼すぎたな」
「……新入り?」
破れた沈黙の中、アキレアが思わずと言ったようにこぼした。
ゼラの紺碧の双眸が、ゆっくりとアキレアを捕らえる。
羨ましい。
エルダーはゼラの横顔をそっと盗み見た。
なんて羨ましいのだろう。
あれで見つめられると動けなくなってしまう。
自らを律する怜悧な目。底光りする静謐さ。人の上に立つ空気がにじみ出ているそれは、悲壮感を感じるほど美しい。無風の湖面に映る夜空のように、そこには孤独が横たわっている。
エルダーは、じっとゼラを見て言葉を待つアキレアに同情した。もう逃げられない。
だからこの人は恐ろしいのだ。
「そうだよ、アキレア。彼女は新入りだった。半年前に中央からここへ来るときに入れ替わってもらったが、気づかなかったかな?」
「治癒士は二十人だけでは」
「……ふ。お前は本当に妙な男だね」
アキレアを慈しむように見たゼラが、柔らかに笑う。
「予備がいる。前のNo.18はもう心像を使える状態になかったので、替えることになった」
「予備」
「お前たちは、正しい治癒士だから知らないだけだよ」
生まれが正しくない王子。
その言葉の意味は誰も知らないが、誰もが第五王子をそう影で呼ぶ。
ゼラが放った威力は十分だったようで、アキレアは口を閉じた。
ずっとアキレアの腕を取っていたフェーネが、ようやく手を離す。そうして、エルダーの隣に立つレカを見た。
「殿下。彼もそうなのですか?」
「いいや、レカは違う――ああ、レカのことも話しておかなくてはね。場所を変えよう。外にでも行こうか」
モナルダの死体が転がる談話室を出て、灰色の庭へ。
エルダーが途中で抜けると、代わるようにレカがゼラの傍らに寄り添うように歩く。
葬列を引き連れるようにして先頭を歩くゼラは、物語を読み聞かせるように軽やかに語った。
「――昔、まだ小さい頃にレカと出会ったときに、彼が治癒士の才能を持っていることに気づき、思いついてしまった。このまま誰にも知られずに育てることは可能だろうか、と。幸運なことに、私を気にかける者はいない。無力な子供が同情心から遊び相手をねだった――周りはそんな認識だったろう。よもや治癒士の卵とは知らずに」
ゼラはくすくすと笑う。
「レカはとても努力家で勤勉なんだよ。ジードから治癒士のことを学び、剣も扱えるようになり、世話役も――私のフリも、器用にこなしてくれた。私の側を片時も離れず、誰かに自分の名前を明かすこともなく。ロムとスラーが私の護衛に就いたときには、既に何度も城で入れ替わっていた。気づかなくとも当然だ」
ゼラが足を止めて振り返ると、ロムとスラーは息を詰めたように背を伸ばした。その様子を見てふっと笑う。
「お前たちを信じていなかったわけではない。驚かせてしまって悪かった」
「僕も。ごめんね」
レカが一緒に言えば、二人は戸惑ったようにゼラとレカを何度も見比べた。並ぶと同じ体格、同じ髪型。けれど、顔つきがまるで違う。レカは少年らしいあどけなさが残っているが、ゼラはそうではない。王族の風格。その一言に尽きた。
ロムがゆっくりと表情を微笑みに変え、美しい礼をする。
「殿下、あなたに忠誠を」
「ありがとう、ロム。今までのように名前で呼んでくれても良いよ」
「それは、遠慮させてもらいたいなあ、じゃなかった。遠慮させていただきます」
「ふ」
ロムの隣で、スラーも頭を下げる。
「変わらず忠誠を捧げます」
「ありがとう、スラー。言葉を崩しても構わないよ」
「……いえ」
「口が悪かったなんて、城にいた頃は知らなかったな」
ゼラが悪戯っぽく笑うと、スラーはすっと視線を外し、レカは驚いたように目を丸くした。
「そうなんですか……ここでは殆どをゼラ様の代わりとして過ごしていたので、気づきませんでした。これからはロムさんやスラーさんとたくさんお話しできるといいなあ」
ロムが「あれ」と声を上げる。
「ええと、レカくん、は、ずっとここで黒いローブを?」
「はい。重要なとき以外は」
「じゃあ、いつもお茶を一緒に飲んでいたのは」
「私だね」
その言葉に、ロムとスラーは同じ表情で凍り付いた。
「お前たちをよく知れて、楽しいお茶会だった」
護衛であったときの穏やかな笑みを二人に向けたゼラは、何かに気づいたようにその目を慈しむように細めた。
「ゼラ様。お待たせいたしました」
エルダーが走ってくる。
白いローブを身にまとい、ロムとスラーを追い越し、フェーネとアキレアの隣を駆けていく。その背中の刺繍を見たアキレアが目を見開いた。フェーネがすぐにアキレアの腕を掴む。
「……駄目ですよ、彼女を殺してはいけない」
フェーネの顔を見たのは、アキレアだけではない。
ロムもスラーも、フェーネを見て、それからエルダーの背中の数字を見る。
No.19。
「おい、なんだあれは」
スラーがフェーネを睨み、ロムは茫然とゼラに向かって行くエルダーを目で追っていた。アキレアの腕が、ひくりと震える。
「あれですか?」
フェーネが答える。
「あれが、本物のNo.19――殿下の治癒士であるエルダーですよ」




