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――ねえ、エルダー。あの新王はね、治癒士と結婚すると言っているのよ。恐ろしいことに、敵国の女王である私にそれを伝えることができた――それがどういうことかわかる? あれは力を持ったのよ。王という絶対的な力を自分のものにした――結局、自分の思うように周囲をねじ曲げたの。フロイドと同じ。あの王は信用できぬ。私ではなく、フツリがそれを引きずりおろさなくては、フツリの立場は無くなっていくわ。想像してみて。きっと、フツリはあの王を導こうとするでしょう。でも、それはあれの言いなりになっているように見えないかしら? フツリには味方が多い。けれど、味方が多い人間には、敵も多いわ。私は老いた。もう守れない。とにかく、彼女に王位を――さあ、お前にしか頼めぬ――
嗄れた声が、懇願するように、それにしては気高く、強く響く。
エルダーは手に持っていた短剣を見下ろした。
彼女はまだ囁く。
――大丈夫。フツリはここを見て理解するでしょう。今や全てが複雑に絡まってしまった。イトセとあの子をまとめて守ることなんて出来はしない。どうせまたこのまま悪化して行くだけ。イトセとの間に子でもできたら目も当てられない。フツリはそうならないように手を回すでしょうけど、自らが狂わせた歯車に巻き込まれたら、出られないどころか永遠に身体を潰され続けるだけよ。お前ならわかるでしょう?
ええ、わかる。
エルダーは何も言わずに短剣を握っている。
――フツリは今まで私の歯車の上にいたけれど、もう守れない。時間がない。自分では決して回そうとしない歯車を、フツリに渡さなければならないわ。受け取ろうとしないのなら、押しつけるまでよ。時間がないの、エルダー。全て終わったら、教えた通りにこの椅子の下の地下通路から逃げなさい。フツリしか知らぬが、フツリはお前を決して追いつめない。あの子は賢いもの、わかってくれるわ。ソトも何もしない。大丈夫よ。さあ。早く。
ぐっと手を握られ、導かれる。
老いた女の細い身体の上に、短剣の切っ先が置かれる。
エルダーは、母の顔をした女王をじっと見つめ、それからゆっくりと強く抱きしめた。
斜め後ろに控えていたソトが、その瞬間を待っていたように口から血を流す。彼女が、女王が、同じように囁いた。
――ありがとう。
「兄上に、子が?」
ゼラの声にハッとする。
白昼夢を見ていた心地に、エルダーはゆっくりと瞬きをして心を鎮める。
未だ馬車の中、ゼラとジオは向かい合って互いに集中していた。
エルダーはほっとすると同時に、気を引き締める。
まだ夢の中のようだった。
兄弟の気配に触れないように、視線をジオの隣の空席に向ける。
赤い布。
それが記憶と被る。
王というのは、奇妙な生き物だ。
王の呪与士というのも、奇妙な生き物だ。
あの二人は互いの立場と尊厳を守るために、エルダーを使った。都合が良かったのだろう。
自害した女王と守らなかった呪与士は、今や敵国の治癒士に殺された被害者だ。フツリを王座に強制的に座らせることもできた上に、これによりフツリに非難が来ることは限りなくないと言えた。全て「牢に閉じこめていた治癒士を温情で出そうとしたが見誤った」で終わらせることができる。
結局あの軟禁は、フツリからエルダーを離すためのものだったのだろう。全ての判断は「女王にあった」せいだと、フツリは何も関与できなかったと、そう周囲に知らしめるためだ。
母の愛というのは凄まじい。
おぞましいと言ってもいいほどだった。
フツリもまた、同じようにゼラを愛しているのだろうか。
だから、彼に非難が来ないうちに早々と国から出したのかもしれない。手土産を持って帰ると言ったゼラに、本当ならば逃げてほしいのかもしれない。
けれどきっと、ゼラは戻る。
これが終われば、オーディルーに戻る選択をするはずだ。あれが彼の国なのだから。
「そう。ラスとレイラの子だ。予定より早く生まれてきた」
ジオが「全てのタイミングが都合良すぎる」と呟く。
ゼラが笑った。
「そういうものですよ。で、子の性別は男だった、と」
「ああ。都合良くな。ラスの子を王太子として養子に迎えると言ったからこそ、治癒士との結婚が認められたらしい」
「認めさせた、の間違いでは。兄上はそれを受け入れられたのですね。相変わらず、あの人に甘い」
「……まだ、レイラには言えていないそうだ」
「めずらしい」
ゼラが驚いたようにこぼせば、ジオは疲れたようにため息を吐く。
「あの二人は相思相愛の夫婦だからな。いくら長兄の為に生きろと植え付けられたラスでも、愛しい妻の産んだ子をあの馬鹿な兄に渡すなんて言えないだろう」
「もしくは、本当は渡す気がないのでは?」
エルダーは黙ったまま息を飲む。
ジオがゆるく首を振った。
「無理だよ。ラスはリュゼに対して負い目がある。母親の愛を一心に注いでもらった負い目と――その母親からかけられた呪いまである。兄を支えよ、と。皮肉なことに、王の資質はラスの方があるというのに」
「問題ありませんよ。すぐ交代していただきますから。いつです?」
ゼラが尋ねると、ジオは人差し指をくるりと回した。
「時間がない」
どこかで聞いた台詞だ。
「明日の朝、国王陛下は親しい人間と治癒士を集め、教会で自分の治癒士と結婚式をする――そしてその場で、元No.1をラスの子につけていることを明言するらしい。つまり、自分の後継者になる、と宣言するつもりだ」
ああ、本当に時間がない。
エルダーは、ゆっくりとジオの顔を見た。
決して、兄を殺すことを心から望んでなどいない苦悩する弟の――そしてゼラの兄の顔を。
「ゼラ。馬車を降りてもらう。湖畔で夜を明かし、明朝グレフィリアに入れ。一気に城の教会まで行き――国王陛下を、父と同じ場所へ送って差し上げろ」




