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休息の洋館に馬車が到着したのは、それからすぐのことだった。
二つの馬車が止まり、その一つ流れるように押し込まれたエルダーは、そこにいた顔を見てようやく漠然と状況を把握した。
「――それで、詳しい状況は?」
エルダーの前に座った青年が気怠げにゼラに尋ねる。
馬車がかたんと小さく揺れた。もう一つの馬車には、フェーネとイノンが乗り、アキレアやレカ、スラーとロムやジードは馬で馬車を警護しながらついてきている。
エルダーの隣に座るゼラは、彼に向かって穏やかに頭を下げた。
「兄上――まずは来てくださり、感謝します」
「約束だから」
「……合図に気づいてくださって助かりました」
「手紙をもらってからずっとそっち側を監視していてよかったよ」
「ありがとうございます」
ゼラが無邪気を装って笑う。
ゼラの笑みを上辺で受け取った青年――グレフィリアの第四王子のジオは、ゼラに報告を促すような視線を送った。ゼラが頷く。
「――オーディルーの女王は死亡。並びに、その呪与士も死亡しました」
「あの恐ろしいばあさんね。よく葬れた」
「エルダーが」
ゼラが言うと、ジオはどこか悲しげな目でエルダーをちらりと見た。が、言葉をかけることはない。
ゼラが続ける。
「フツリ王女殿下が即位のために動いています。今回のことは箝口令を敷いても城の中には知れ渡るでしょうが、民衆に知られることはないかと」
「……招いた敵国の治癒士が自国の王を殺すだなんて、恥ずかしくて恥ずかしくて口に出せないだろうよ。それで、どうやってあの国を出てきた? こんな短時間で」
「暗殺後の現場に居合わせたので、その場で丸め込みました」
「混乱に乗じて?」
「ええ」
「兄であるリュゼを殺してくるから黙って繰り出せ、と?」
「そうです。あなたとの約束通り」
ゼラが笑うと、ジオは遠くを見るような目で足元を見た。
エルダーもその視線を辿る。
ゼラは最初の目的から、一歩も離れていなかったのだ。
「うまくやったでしょう。褒めてください、兄さん」
無邪気な弟のふりをして、ゼラは言い放った。
馬車には沈黙が降りている。
○
今思えば、エルダーが知っていることは少なかった。
あのおぞましい父親から椅子を奪い、リュゼに座らせる。そのためにオーディルーに降伏しようと考えていることくらいだ。
休息の洋館にゼラが追い払われてからは、ゼラの真意はエルダーの耳には中々入ってこなかった。
フェーネも何も知らないと言う。
ゼラから命令されることのないエルダーができることは、いつか起きる「何か」の時に備えるため、ゼラを裏切る者はいないか仲間のNo.をしつこく探ることくらいだった。おかげでとても嫌われたが、動きやすかったように思う。
カーラから「王の愛人はNo.18である」と情報を貰えたことがきっかけで、エルダーは彼女を刺激して排除する動きに入るつもりだった。それが思いもよらない方向へ転がりだし、予測しようのない状態へ流れ、結果、最初の目的通りの場所に着地することとなった。が、都合がいいことが起きたわけではない。
ただ単に、全員が我慢の限界だったのだ。
誰かは王である父親の暴走に疲れていたし、誰かは愛する人をその手にしたかったし、簡単に言うと、誰もが状況を変えて幸せになりたかった。
ゼラはそれぞれの心の隙間に入り込み、それぞれを手のひらの上に乗せた。
カーラには、リュゼの愛を。
リュゼには、父親からの解放を。
ジオには、マツリカとの平穏を。
マツリカには、ジオの自由を。
そして両国に平和を。
それぞれが欲しがっているものを渡すことを明示して、内乱を仕掛けることをカーラを使って王太子であるリュゼに飲ませたのだ。
ただ、リュゼもカーラも知らない。
その裏側で、ゼラが第四王子のジオとの間にも「約束」をしていたことを。
ゼラは約束というものを不用意にはしない。
けれど、ジオはそれに値する人間だった。
ジードを介して手紙を出せば、すぐにプライベートが確保されている場所へと招き、隠しておくこともできた彼女と共に、ゼラとエルダーを迎え入れたのだ。素顔でいた彼女は、穏やかに笑って「マツリカと申します」と丁寧に名乗った。
ゼラが、ジオという兄を信頼した瞬間だった。
――王を廃したとして、次に座る方を、信頼できますか?
ゼラは単刀直入にジオにそう問いかけた。
気怠げに頬杖をついていた彼は驚くこともなく「無理」と即答した、
父に虐げられ、それを真似て治癒士に入れあげている兄には、国をまとめることはできない、と。
――では彼ならどうです?
ゼラの二つ目の問いに、ジオはまた即答した。一瞬も考えなかった。それが当然のように「俺もそれがいい思う」と言い、それまでマツリカの表情を見ていたジオは、ゼラとエルダーを初めて真っ直ぐに見た。
協力してくれる。
その目を見て、ジオ達は裏切らないとエルダーは確信したのだ。
――王から椅子を奪い、王太子を国王にした後、オーディルーへ降伏し、その上でグレフィリアに戻って新王から椅子を奪う――
その場で語られた父親と長兄の殺害計画について、エルダーもジオも詳しく聞くことはなかった。
ゼラが可能というのなら、たとえ敵国のオーディルーに行ったとしても可能にする手段を持っているのだろうとエルダーは思い、ジオはジオで「そこには関知しないが、助けが必要なときは必ず助ける」とだけをゼラに伝えたからだ。
ゼラの目的はシンプルだった。
グレフィリアは、第二王子であるラスの手にあるべきだ、と。
そのために動くという真意だけを知っていれば、他のことを聞かずとも不安はなかった。
オーディルーに渡り、イトセを知るまでは。




