110:夢の中
ふと目が覚めると、窓の外には月が出ていた。
エルダーは横になったままその景色を眺める。
よく眠った。
こんなに眠ったのは久しぶりかもしれない。
枕に頬を寄せて、何気なく星の数を数える。
ベッドに入ったのが夕方だった。もしかすると、丸一日ほど眠っていたのかもしれない。だとしたら、明日には誰かがここに来るだろう。
起きあがろうかとぼんやりした頭で考えるが、明かりをつけられない中で起きたとしてもてどうしようもない。
エルダーは再び目を閉じる。
ぬるい水に浸るような眠気が、足を掴んだ。
そうだ。
疲れていたのだ。
ひたすら歩き、ようやくここへ帰ってきた。
湿った日の当たらない地下道は、昔押し込まれていた場所を否応なく思い出させた。
殺し合う子供達。エルダーの生死を伺う大人。ひたすらレカの無事を祈って心を殺してじっとしていた記憶が、エルダーの背を突いていた。
どこを歩いているのかわからないまま、ひたすら進んだ。
時間の感覚もなくなり、足がおぼつかなくなった頃に倒れるように堅い石畳の上で眠ったが、誰かがこの道を使って追いかけてくるのではないかと思うと少ししか眠れず、這うように起きあがってまた歩いた。
それを何度か繰り返した後で、突き当たりに掛かっていた梯子を手で掴んだ。
重い身体を持ち上げ、天井の木の板を手で押し上げると、そこは森の中だった。這い出たエルダーが見たのは、見慣れた戦地と休息の洋館がだった。エルダーは笑った。ふらふらと揺れる身体で、乾いた笑いを止められることが出来なかった。
オーディルーの王の間にある隠し通路は、こんなところにつながっていたのだ。
アキレアはここから運ばれ、生まれたばかりのゼラもこの道からグレフィリアに連れてこられた。この地下道の存在は両国が知っているということになるだろうし、かつてはこれを使って密かに交流していたのだろう。
それもなにもかも、結局良好な関係ではないのだから、無駄でしかない。
エルダーは踏みつけた。
隠されていた通路の出口を、強く、踏みつけた。
そうして再び鉛のような身体を引きずるように歩き、休息の洋館へと一年五ヶ月ぶりに戻った。
予定通り開いており、エルダーはゼラの部屋に入って倒れ込んだのだった。
大きなベッドの上で、エルダーは身体を丸める。
まだ、倒れてはいけない。
まだやるべき事がある。
それが終わるまでは――信じて待つしかないのだ。
もうゼラの残り香もない冷たい夜の中で、ただ静かに目を閉じた。
エルダーの短い髪が小さく広がる。
「姉さん」
声がして、エルダーはハッと目を開けた。
明るい日差しの天井よりも先に、知った顔が視界いっぱいに広がる。
「!」
「おはよう、姉さん」
人懐っこく笑ったレカへ思いきり手を伸ばしたエルダーは、その身体をきつく抱きしめて背中を二回叩く。レカは教えたとおり、エルダーの首筋を指先で四回叩いた。一気にほっとする。
「レカ……レカね」
「うん、僕だよ」
「……どうしてここに」
「んー、フツリ様がね、エルダーならグレフィリアに向かうだろう、って話すのを聞いて、追いかけて来ちゃった。だから、休むならここかなって――この部屋だと思った」
幸せそうに言うレカを抱きしめたまま、エルダーはほっとする。
血で書いた「大切なお母様に、プレゼントを」の文字はきちんと伝わったらしい。
よかった。
エルダーは表情に気をつけながらレカをゆっくりと離す。少し怒った顔をすれば、レカは眉を下げて「ごめん」と呟いた。
「だって、姉さんから離れたくなくて。ようやく一緒にいられるようになったんだよ。みんな家族だって知ってるし、隠すこともなくて嬉しかったのに……姉さんは、僕が来て嬉しくないの?」
そんなことない。
レカが来るまで待っていたのだ。
賭けだった。
エルダーがオーディルーを出れば、家族しか愛せないレカは絶対についてくる、と。
誰にも止められないように一人で密かにエルダーの後を追ってくると賭けていたのだ。
その為に、あの細い高貴な身体に短剣を深く突き刺したのだから。
エルダーは悲しげな弟の頬を撫でる。
さあ、二人で今すぐにでもここを発たなければ。
「レカ……会えてすごく嬉しいわ。ただ、心配で……無茶なことはもうしないで。一人で大変だったでしょう」
「え?」
きょとんとするレカに、エルダーは一瞬反応できなかった。指が強ばる。
「……一人で、出てきたのよね?」
レカはにこっと笑う。
が、すぐにびっくりしたようにエルダーを見た。
「あれ? 姉さん、髪」
「……ねえ、レカ」
「髪、どうしたの。まさかオーディルーの奴が?」
「違うわ。向こうから出るときに邪魔で、短くしたの」
目に炎が灯ったレカを落ち着かせるように言うと、レカはほっと微笑んだ。
オーディルーの誰かに切られたなど言えない。この子に言ったら、きっと戻って殺してくるだろう。
エルダーの表情をじっと見ていたレカは、納得したのか大人しくこくんと頷いた。
「疲れてるなら僕が元に戻そうか?」
「それはダメ。約束でしょう」
エルダーはレカの両腕を掴んで「この一年、守っていてくれたのよね」と褒めるように聞くと、レカは少年らしく、自慢げに笑んだ。
「うん、ちゃんと守ってたよ。フェーネさんから聞いた……治癒の力を使わないようにって姉さんが倒れる前に言ってたって。僕も、使いすぎると倒れるからでしょう?」
「そうよ」
エルダーは掴んだ両腕を引き寄せて、優しく抱きしめた。
「約束を守ってくれてありがとう。でも、まだしばらくは使わないで。姉さんからのお願いよ」
「ん、わかった。約束する」
「……レカ――もう一度聞くわね、あなた、一人で来たのよね?」
抱きしめた身体が「ふふ」と笑う。
無邪気に、そして、嬉しそうに、レカが声を弾ませた。
「ううん、みんな一緒。姉さんを追いかけてきたんだよ」




