106:赤い花の邂逅
その人に会ったとき、お互いの間に何かが巡るのを感じた。
時間にして数秒。
たったそれだけで、その人の表情が深いところにまで焼き付いた感覚があった。
あれから三十一年経ってわかる。
生涯一度の一目惚れだったのだと。
どういう流れでその場が決まったのかは覚えていない。
けれど、フツリの母である女王と、グレフィリアの王は長い時間をかけて旧友のような関係性を作ることができたその結果を、自らの子供たちにも与えたかったのだろう。
密かに双方の後継者を会わせたのだ。
今となっては、あんな事さえなければ、そのままオーディルーもグレフィリアも親の代で和平を結べたかもしれない。
けれど会ってしまった。
フツリは最低限失礼のない格好をしていたが、決して華美に着飾ってなど居なかったし、相手の青年――フロイドもそうだった。
次の王にしては、覇気のない、柔らかそうな印象の青年。
吹けば飛んでしまうような、寂しげな眼差しをした薄幸な彼――フロイドは、フツリを見て少しだけ目を見開いた。
互いに、これが「和平のため」の出会いであることはわかっていたが、同時に互いに「これが敵国の次代の王なのか」と不思議そうに見つめ合ったことを、フツリはよく覚えている。
興味が湧いた。
まだ無邪気だったのだ。庭を所在なさげに歩くフロイドの近く行って、グレフィリアについてあれやこれやの質問をすると、フロイドはそのたびに静かな声で過不足なく説明してくれた。そうして、フツリを慈しむように見る。
快活なフツリを眩しそうに見ていたあの目が、不思議と一日経っても二日経っても忘れられなかった。
フロイドにとっても、それは特別な出会いだったらしい。
フツリとは違う温度で彼が追いつめられていくことを、十三のフツリはまだ知らない。
会ってしばらくして、フロイドが婚約を求めてきたが、できるわけがなかった。
互いがそれぞれの国の後継者だったからだ。
そのうちフツリは女王になり、フロイドは王になる。二人が二番目であれば、どの国からも喜ばれただろうが、婚約などできるはずもなかった。それどころか、それを言い出したフロイドとフツリの交流は、親たちの判断で突然絶たれることになる。
数年が経ち、フロイドが結婚し、子が産まれたことを聞いたフツリは安心した。
もうこれで、彼は寂しそうにすることなく過ごすことができるだろうと思うと涙すら出た。これで全て忘れられると思えた。
けれど、フツリが想像できない方向に事態が歪んでいく。
何があったのかはわからない。
ただ、フロイドがオーディルーを弱体化させようとしていることだけは確かだった。緊迫していく状況に、フツリは女王に何があったのかを聞き出そうとしたが、女王は何も教えなかった。
気がつけば、フロイドの二人目の子が産まれてすぐに、グレフィリアの王が死んだと聞かされた。彼が王座についたのだ、と。
戦地が出来、兵が送り込まれるようになり、そこに呪与士まで置くようになって初めて、呪与士をまとめていたフツリにようやく状況が届いたのだった。
フロイドが何度もフツリを渡せば手を引くと言い渡していたことや、彼の妻はいつの間にか死んでいたこと、女王は全て突っぱねて応戦していたこと――自らの塔にほとんど閉じこめられて過ごしていたフツリがそれを知ったのは、二十一の頃だった。
どうにか会う機会をと頼んでも、女王は首を縦に振らなかった。
ところが、会っても何も出来ぬ、と言われて終わりだったというのに、八年後突然その機会を言い渡されたフツリは、護衛を数名、さらに呪与士を一人連れて、密かにグレフィリアに渡った。
何故か酷く納得した覚えがある。
寂しい国だと、そう思った。規律を重んじる堅牢な国は、彼にとってはきっと重苦しい手のひらで頭を押さえつけられているような心地なのだろう、と心からフロイドを心配した。
それも、変わり果てた王に会うまでだったが。
最初の妻は死に、二人目の妻との間にも子をもうけていると聞いて安堵していた自分を殴ってやりたくなるほどだった。フツリはどこかで、彼は、走り出した争いを止められず、悔しく悲しい思いをしているのではないかとさえ思っていた。
これのどこが、悔恨しているというのか。
歪んだ正義感を振りかざす見知らぬ冷徹な王がそこにはいた。
その夜、部屋を抜け出した。
ついてくると言っていた呪与士を部屋に置き、庭へと出たのだ。頭を冷やしたかったのかもしれないし、動揺で、これからどう動いて何をするべきなのかわからなくなりそうだったからかもしれない。人の気配に気を配りながらうろうろと歩いていると、見覚えのある庭があることに気づいた。
吸い込まれるように歩いて行った先にある温室を見たフツリは、その場でしばらく立ち尽くしていた。
今や戦地となっているあの場所にあった、館と広い庭。
幼い頃にフロイドの後をついて回った先の温室と、全く同じものがそこにあった。それを意味することがわかっていて、フツリは温室へと入ったのだ。
「どうかされましたか?」
声をかけられたフツリは、伏せていた目を開けた。
目の前に座るゼラが、フツリを気遣ったように見ている。
まだ十五の少年。
そんな風には見えないが、彼はエルダーから離れたこの一年で驚くほど穏やかになった。その面差しは、どこか初めて会った頃のフロイドによく似ている。
聡明で、寂しげで、けれど妙に芯の強い美しい目。
首を傾げる仕草まで、よく似ていた。
「フツリ殿?」
「……なんでもないよ」
かろうじてそう返す。
エルダーが女王への謁見を終えるのを待つ控えの部屋で、フツリは緊張感と胸騒ぎの中、自らの記憶を辿っていた。
何故、あんなことをしたのだろう。
フツリは何度も考えた。
十六年前、何故温室に入ったのか。
フロイドが居ることはわかっていた。
自分を待っているのをわかっていて、どうして部屋に戻れなかったのだろう、と。




